古狸連中-漆 処を移し一夜ばかりの宴席で鬼灯の杯を酌み交わす


白橡/

ほの明るい霧が忍び寄っていた。

俺が気づいたのは小鬼らが現れた時だった。

口元に一本指を立て、密やかに息を漏らすよう、俺にだけに教えるために忍ぶ気配なのだ。

他の奴らは気づいただろうか。

雪華は、すぐ目の前で白桃と黄桃を赤猫で釣ろうとしている。

忍冬は、ちょうど快の波が押し寄せたらしくそれどころじゃあない。

桐生は、お預けを食らってどうしたものかと螢火をなでている。

慎重にならずとも、誰一匹として気づいちゃいねぇ。

銀匂の冷やかな唇がまだだ、と言うのが頭に浮かんでほくそ笑む。

懐から煙管を取り出し、俺は専ら見るに集中しようと思った。

しばらくして、精根尽きた壱鹿が籐の上に転がった。

雪華が猫を被っているのは知っている。

禍々しい狸のくせに猫や狐に毒っけを隠し、好々爺ぶってみせたいのだ。

考えてみれば、雪華も性格のねじ曲がった狸だ。

骨 の 髄 ま で

  ホ ネ ノ ズ イ マ デ

白桃と黄桃がくすくす笑いを始めた。

そうしながら花と花とをこすり合わせ、先走るもので糸を引かせてきゃっきゃと遊んでいる。

小鬼らの様子が変わったことで気づいたか。

雪華が異質な霧に気づいた頃には、周りは白く煙り、冷やかな空気に囲まれていた。

熱くなって流れた汗が、今では逆に身体を凍えさせる。

古狸どもの動きが止まり、声もなく、辺りが静まり返る。

やがて霧が晴れ、気味の悪いざわめきに包まれた。

碧緑の竹々がさんざめき、いくつもの竹灯籠に火が灯っている。

雪華を化かしていつもの屋敷へ招いたが、今度は俺ごと化かされる番だった。

仰ぎ見ると、高く高く伸び上がった竹がずっと上の方で頭を垂らしている。

それらに囲まれ、入口もなければ出口もない半円球の場に囚われた。

竹林の中に突如として現れた舞台だ。

もう一度天を仰げば、星で化粧した夜がこちらを覗く。

まるで壺の中へ落ち込んだ具合だぜ。

そう思っていると、瑞々しいにおいが花を突いた。芳しくもある。

ああ……いよいよだ。

「古狸連の皆様とお連れの方よ。

鬼の灯りと呼びならわす鬼灯の頃合いに、お集まりいただき感謝申し上げる」

においの元へ目を遣ると、額に二つの角を生やした者が立っていた。

白地に緑がかったなめらかな角。これが竹鬼の種の証だ。

「今宵は酒盃を交わすために、特別にこのような場を用意させていただいた。

一夜ばかりの宴をともに愉しもう」

いつものことだが、ふるまいに目を奪われる。

改めて銀匂は美しい鬼だと思った。

汗ひとつかかず、立ち姿は優雅。

見る者を印象づける目は鸚鵡緑に光り、銀灰色の長い髪に碧緑の艶が波打つ。

裾の長い薄絹を纏い、心を惑わす笑みを浮かべ、両手を広げてみせる。

袖から覗く肘から先を見ても、相手を誘惑するに足る魅力を感じずにはいられない。

旨そうな身体を前に、俺は咽喉を鳴らした。

「銀匂、新酒の宴ぶりだな。

呼び出しに応えてくれて嬉しいぜ。気が変わって、もう来ねぇと思うところだった」

「白橡の約束を違える訳がない。遅れてやって来いと言ったのはお前だろう」

「ああ、そうだった……とっておきは最後と決まっているからな」

銀匂は今晩も旨そうなにおいをさせていた。

奴の誘い香に、俺の花は早くも盛り狂ってしまいそうだ。

今の銀匂は、冬の最中の四ノ猫に似ていた。

理性が覆され、本能が勝る。

別段、大した理性を持ち合わせているつもりもないが、そう感じる。

まだ夏の内ではあるが、時期外れに顔を合わせたせいかもしれなかった。

吸い込まれるままに唇を合わせ、舌を絡ませる。

早く、互いのもので濡れてしまいたい。

そう思い、着物に手を掛けたところで雪華に呼び止められた。

「お熱いことだが、竹鬼の若頭目を見せつけて紹介もなしかい?

いくらなんでもそんな野暮はないだろう。ひけらかしておいて」

邪魔されると口を尖らせるくせに、色欲狸がこちらの邪魔をしてくる。

「そんなもん、いつだってねぇだろ。さっきも顔合わせなしに始めたのはどこのどいつだ?」

「さぁて、何のことやら。幻夢を渡る鬼なのだろう。他とは訳が違う」

「お気に入りを『他』呼ばわりかよ。お前らに銀匂を紹介するのは気が引ける」

「わかりやすい嘘だねぇ。気が進まない、の間違いだろう」

そう言った時、銀匂がふっと笑った。

「これは失礼した。申し遅れたが、私の名は銀匂という。

花屋敷の雪華殿、白橡の最も古馴染みと聞いている。どうぞお見知りおき願いたい」

「ふふ、その呼び名は久しいねぇ。竹鬼の耳に及んでいるとは光栄だ」

満開の桜が吹雪くかと錯覚するように微笑んだ後、雪華は自分の唇に指を這わせた。

前座と違って、今度の宴会場は酒も肴もそろっていた。

おまけに綺麗な小鬼らまでいる。

気づけば、目の前の竹格子の座卓ににごり酒と旨そうな食い物が並んでいる。

どういう芸なのか、俺ら古狸は厚手の座布団に座り、そろって連れは伸びて寝かされている。

同じく竹鬼の種である小鬼らが、客一匹につき一鬼ずつ付いて世話をくれる。

そう思ったが、桐生に付いた小鬼だけあたふたした様子だ。

古狸の中で桐生だけ座布団の上に座り、肘掛けで均衡を取るも今にも崩れそうだ。

早々に体力を消耗したみてぇだ。

「桐生め、小鬼を困らせやがって。こんな旨い物を食う前にへたばるなんて馬鹿な奴だ」

付き合わされた雪花を喰えばいいのに、忍冬に集中するからこうなる。

「こいつはいつも大損をみる役回りだろう。そんな奴のことは知ったことではない」

振り回している自覚のある忍冬が言う。振り回される桐生が嫌いでもないくせに。

だが、何だっていい。

「まったくな。ついて来れねぇのは放っておくに限るぜ」

一呼吸して毒を吐く。

「銀匂、後でうるせぇから紹介だけさせてくれ。

知ってのとおりの雪華だ。食う、寝る、交わるの三拍子。

この悪友はお前に酷く興味があるらしい。

あっちが忍冬。嵐雪の商売仲間だ。大陸の物が要りようなら頼んでおくといいぜ。

苛烈がお好みならこいつだ。

で、そこの阿呆が桐生だ。御座敷暮らしの坊々だよ。使い物にならねぇが虐めりゃ悦ぶ」

ある意味で、間抜けな桐生がいるからちょうどいい。

結局、体勢を崩してしまい、重ねられた座布団の上へ寝かされた。

「こっちの恐ろしく綺麗な鬼は銀匂だ。竹鬼の若頭目で、白桃と黄桃の世話役だ。

いつもなら表に出さねぇが今晩は特別だ。だが、どうぞ召し上がれなどと言うと思うなよ。

手を出して、身体が壊れても知らねぇからな。いや、お前らの花なんざ朽ち果ててしまえ」

気づけば脅しをかけていた。身体が壊れ兼ねないのは真実だ。

だが、どうやら自分が思っていた以上に、銀匂を他の奴に喰わせたくなかったらしい。

露呈した俺の本心を聞いて、雪華がつまらなそうに笑った。

どちらかと言うと、小馬鹿にしているのかもしれないが。

「改めて、名を雪華という。

今は隠居の身だが、常日頃から容易に朽ちぬくらい使い込んである。

そうだ……白橡と戯れたせいで嫉妬を買ったと聞くが、

誤解であることを証明しようではないか」

銀匂に一番に手をつけたのは雪華だ。言わずもがな、だ。

俺はぐでぐでになって丸まった壱鹿を肘掛けにして眺めることにした。

うわ言だか寝言だか、うるせぇから小鬼に口を塞がせる。

壱鹿についたのは黄桃だった。頬を染めて、旨そうに唇を吸っている。

何だ、懐いてしまったのか。

白桃も気に入ったようだし、宴が済んで気が済まない分は壱鹿に払わせるとする。

鬼灯を浮かべた酒を呑みながらそう思った。

白く濁った酒はとろりとして、味わいは濃厚。

香りは芳醇で、それを存分に味わった後に鬼灯が残った。

その皮と実を食らえばさらに気が高ぶり、ますます酔っ払う。

鬼の造った酒と鬼灯を食って、異様に興奮していた。

それにしても、どちらも噛みつくほどの激しさで交わっている。

銀匂はともかく、動作のおっとりした雪華にしては珍しい。

被っていた猫の皮は脱いだみてぇだ。

歯を立てた口づけは激しく、妖しげな腰で銀匂を誘惑する。

尻を突き出して、そこで咥え込む体なのが気に入らない。

俺も雪華も閨での立ち位置は大方同じだ。だから尚更なあ。

相手が銀匂でなければ、手放しに楽しめるというのにむかっ腹が立つ。

心内で文句を言いながらも目の肴にして、花屋敷の雪華という名を思い出す。

花屋敷は、雪華が一時期やっていた娼館のことだ。

雪華の熱いのを受けて眠りこけている壱鹿も、忍冬にいたぶられて気を失った雪花も、

そこの出身だ。

ここにいない嵐雪も勧誘された口だ。

雪華は下町の連中から逸品を見つけ出すのが得意で、花屋敷は大いに繁盛した。

だが、一番の目玉は雪華自身で、色欲狸の本領を発揮するにこれ以上なかった。

雪華は俺と同じ隠れ里の出身だ。幼い頃は天真爛漫を絵に描いた狸だった。

他愛のない遊びから術の習練をはじめとする学びまで、だいたい同じ仕込みをされた。

出し抜き出し抜かれの関係も昔からだ。

とはいえ、色好きなのは変わらず、あの頃はよく青天井下で戯れた。

狡猾さを持ち合わせるようになった雪華を眼帯で覆われていない目で突き刺すほど睨む。

こんなにされた銀匂の全部を今まで拝んだことはなかった。

欲望も嫉妬も上限がわからなくなっちまった。

認めたくないが、いい遊びじゃねぇか。

悦に入っていると、視界の端で螢火が起き出す気配がした。

白桃が付いていたので、ぼんやりした螢火に耳打ちしている。

「起きちゃったのね。驚いた? 宴の会場が移ったのよ。

桐生はあそこ、しばらく起きそうにないわ。僕と遊ぶ……?」

そう言って、白い頬の右に左に口づける。唇が立てる音まで愛らしいぜ。

だが、螢火は茫然自失したままだ。

乗り気のない螢火を見つめて白桃は小首を傾げる。白桃もまだまだだな。

「その気がないならこちらへ来い」

見兼ねて忍冬が言った。

忍冬は加虐的だがそれは閨での話だ。同種の狸にはよくよく目を掛ける。

目を掛けるのは年かさの少ない狸であり、礼を示すのは年長の狸だ。

どっちにも含まれない桐生に忍冬は冷たい。

「螢火に気を配るのか。桐生には冷てぇのに。

とはいえ、酷薄な態度も笑みも桐生を悦ばすだけである訳だが」

俺が笑うと、忍冬はどこへ向けてともなく鼻を鳴らした。

螢火がこちらへ来たので、螢火、忍冬、俺と横並びになった。正面には銀匂と雪華だ。

蛍の頃合いにあれだけ戯れたっていうのに、

席に着いてから螢火はどうやら緊張し始めたらしい。

まあ、親しくしている桐生も以前から関係のある雪華も口を利かねぇもんな。雪花も伸びてる。

だが花の興奮は見て取れた。

そりゃ、鬼のまぐわいを見てりゃそうなるだろ。雪華の媚態も結構なもんだ。

その前で再び満たされた鬼灯の杯を交わす。

透明な音を響かせて、咽喉を湿らせる。

「螢火、そんなに怖がるなよ。仕方ねぇか、忍冬の顔は怖いもんな」

「どの口が言う。さっきまで天敵の大山猫ですら逃げるほどの鋭い目をしていたくせに」

「さあ、知らねぇな。そういや俺が手を出す前に雪花は伸びちまったな。

お前ら雪花で繋がってんだろ。紅白狐のどこがいいのかわからねぇが」

言いながら螢火の方へ回り込んで、隣に座って顎をつかんだ。

螢火は童顔だ。顔形の造りは繊細で、見ようによっては好みの範疇だ。

忍冬がやれやれという顔を浮かべる。

「雪花は白橡の好みに合致しないだろう。

だが、そうだな……ある意味ではお前と私の好みは似ている」

螢火の面がこちらを向いているので、忍冬は後ろから小さな耳のそば近くで囁いた。

「抱くか抱かれるかの、立ち位置は違うがな……」

俺は言って、顎をぐっと引き寄せ、深く口づけた。

「そのようだ……」

忍冬はうなじに唇を這わせ、そのまま首を咬んだ。

咬みやがった。

忍冬だってその気があるんじゃねぇか。さっきは呆れてみせたくせにな。

そうして螢火の腰を浮かせるようにし、前から後ろから弄ぶ。

鈴のような声の合間に花蜜の濡れた音がする。

「桐生に後ろを取られていたな。

思うに、被虐趣味の桐生はまだ後ろを明け渡していないのだろう」

「……えっ」

「桐生は生意気にも格好つけだからな。虐められたいと思っていながら隠したがる」

桐生のへらっとした顔が浮かんで思わず力が入り、弾みで螢火が喘いだ。

俺の腹にかかったものに対して謝りながら、とろんとした眼で疑問を口にする。

「……あの、さっきから桐生さんのこと……虐められるのが好きみたいに言って……」

「みたいに? 虐めりゃ悦ぶって言っただろ。ああ、ありゃ螢火が起きる前だったか」

「今までにそれらしいことがあっただろう? あいつは縄を使った遊びが好きだからな。

この辺も、次にでも試してみるといい」

えらく用意がいいことに忍冬は竹の鞭を持っていた。

「虐めてやれ。そうすれば今までになく情けない桐生が見られるぞ。

それに、どちらかというと……お前はこちら向きだ。

思いがけず、新しい自分を見つけることだろう」

忍冬は酷薄な笑みを浮かべて螢火にそれらを渡した。

用意された包みに入っていた竹の鞭は小ぶりであったし、縄も真新しいものだった。

どんな腹の内でそんな物を選んで贈るのか知れやしない。

夜が明けようとしていた。

目覚めた場所はいつもの東屋だった。ゆっくりと身体を起こす。

いつもの、と言ったが、東屋で寝入って目覚めたことは初めてだ。

昨晩の遊びの末に眠気をもよおしたか、意識を失ったか、それすら思い出せない。

思い起こそうとすれば、忍冬が螢火を誘って銀匂と交わったのは覚えている。

その後で骨の髄まで銀匂を味わったのだ。

そうやって俺と銀匂が濡れ合っている間、忍冬は雪花を縛り上げて愉しんでいた。

今は夜から朝へと移りゆく特有の静けさの中にあり、銀匂の気配はもうない。

白桃と黄桃はしばらく竹鬼の連中と過ごすと言って消えた。

そうすると、しばらく独りか。

一抹の寂しさを感じなくもないが感傷は持ち合わせてねぇ。

気晴らしに煙草を呑もうとして、ふと手が止まる。

音がしているのだ。竜舌蘭のにおいもする。

雪華も忍冬も去り際に汚い部分は見せやしない。

そんな奴らは連れともどもとっととねぐらに戻っただろう。

音は向こうの座敷から聞こえる。

誰がいるかなんざ初めから決まっていた。満ち足りていない奴もな。

見れば、恥ずかしげもなく朝から交わってやがる。

桐生が腰へ螢火を乗せ上げて花を入れている。

ふん、仲のいいことだ。

心の内で呟いて、舌打ちもする。

桐生は忍冬に、螢火は雪花に……互いに別の者に心酔してるというのに可笑しな話だ。

雪華なら、番いは対の一匹、とのたまうがこういう奴らもいるようだ。

結局、桐生はいまだ忍冬への未練を断ち切れていない。

相手にされないからといって、諦めの悪い桐生が好きな手合いを簡単に吹っ切れる訳がない。

忍冬に身体の至るところを痛めつけられながら甘えたいばかりの顔をしていた。

螢火も一体どんなつもりなんだか。

……ああ、それにしてもいいにおいが花を突く。

螢火でなく、桐生のにおいに惹かれる。

それを盗み嗅ぎながら脚を組んで柱にどっかと背を預ける。

雪華に揚げ足を取らせるきっかけとなったのは桐生だ。

酒を狙ったついでに銀匂を喰われたこの一件はそうそう気が済むもんじゃねぇ。

どうせ暇を持て余すに決まっている。

次は桐生を玩具にして見せ物をこしらえようと思案する。

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