古狸連中-伍 鬼灯を食らう雪華は古狸連の会合に壱鹿を誘い出す
雪華/
壱鹿が現れると、たちまちにしてわかってしまう。
出迎えた私の式神が胸を弾ませるものだから。
例え、眠りにまどろんでいても、戯れの最中であっても、いつだってすぐにわかるのだ。
今も青葉が眩しく影を落とす門扉を壱鹿が叩いた。
いつもの座敷へ通してみると、案内に飛ばした式神が壱鹿に纏わりついている。
私の無意識がそうさせる。
僕であるのに、欲望に忠実であるように作ったためだ。軽く嫉妬を覚える。
式神の片手は壱鹿の腕に絡み、もう片方の手は鬼灯がぶら下がった枝を持って揺らしている。
「……またそんな格好で」
私を見て呆れるのはいつものことだ。呆れながらも花を反応させることも。
「舗に出入りの猫に鬼灯をもらったんだ。研ぎ師の雨塚。知っているだろ」
「いいや、知らないよ。わりかし紺と親しくやっていた猫だなんて、知りもしないよ」
「よく知っているじゃねぇか。
まあ、紺を口説いていた訳だが、近頃じゃあ諦めもついたみてぇだ」
「そうなのかい」
「ああ、無口に包丁を研いで、舗の鏡も磨いてくれる。その辺の事情も知ってんだろ」
「雨塚には可哀想なことをした。
しかし、ある猫に肩入れをすれば、他の猫が喰いっぱぐれるのは仕様がない。
身体は一つ。番いはいつだって一匹と一匹なのだから」
鬼 灯 を 食 ら う
ホ オ ヅ キ ヲ ク ラ ウ
雨塚は人をたらしこむ奴だ。
華やかな見た目に反して硬派なものだから、それが一層持てはやされる理由になる。
商いに訪れる度に土産を持たされる様が目に浮かぶ。
おそらく、何人にも鬼灯をもらって困ったのだろう。
鉢ごとの鬼灯をいくつももらったと推し量るに十分なものを壱鹿が持っていた。
片腕に鬼灯が植わった鉢を抱え、同じ腕に提げた籠からはこんもりと鬼灯が覗いている。
「ほらよ、鬼灯の砂糖漬け。雪華の好物だろ。
乾燥鬼灯は何に入れてもいいし、薬湯で飲んでも湯船でもいい。
こっちは酒粕に寝かせたやつだ。酒の液に浸けたのは呑み頃にはまだ早いから待て」
「ふふ、ありがとう。壱鹿の心尽くしは嬉しい限りだよ」
籠一杯のさまざまの鬼灯を出して、あれやこれやと壱鹿が説明する。
細かい事は式神が聞いてくれている。
だから、壱鹿の声色に集中して耳を傾ける。そうしていると心地よくなる。
鬼灯は砂糖漬けが一番だ。
酒に浸したり煎じたり、食用にも薬用にもなる。しかし、多く食えば毒になる。
狸は鬼灯を好んで求める。いかんせん好物なのだ。
猫などは手をつけやしない。
それだけに、壱鹿がこのように手間暇を掛けてくれることに感謝を禁じ得ない。
味見だって嫌に決まっている。ふつうは舌が痺れる。
そんなことを考えていると、自然と意識は壱鹿の口元へ向かった。
大きめの口に収められた極上の舌だ。形もよく、技を持ち合わせる。
ちらりと見える咽喉の紅さが、旨い鬼灯を連想させる。
壱鹿の首に両腕を回し、声を息を唇を奪う。
舌を捕らえて絡めれば、乱れて熱くなる。
「……んはぁっ。聞いてやしねぇな」
「心配しなくとも式神がちゃんと聞いている。鬼灯の使い道も私らの息づかいも。
役目は分担しなければ集中できやしない……
ねぇ、そろそろ私の役目を果たしてもいいだろう?」
夏は盛りを過ぎ、残暑の様相を呈している。
しかし、うだるような暑さだ。
風通しのよい座敷で水を張った盥に氷を浮かべていた。
式神らに団扇や薄布であおがせて、盥の冷気で涼を入れる。
氷のない盥もあり、それには蝶尾という白黒の洒落た縞模様の出目金を泳がせている。
気ままに過ごしていたので、壱鹿が訪れた時は一糸纏わぬ姿で横になっていた。
誘いを口にすると、目を細めて惚れ惚れとして私を見る。その顔が好ましい。
小さくなった氷を手に取り、壱鹿の火照った胸に当てる。
「冷たくてなかなかいいだろう」
私の身体もすりつける。
「冷た過ぎる。この暑さの中で、よくもここまで身体を冷やしたもんだ」
「だって暑いから仕方ないだろう。手足はそうだが、」
壱鹿の手をつかみ、花を握らせる。花はいい塩梅になっている。
「壱鹿のせいでこの辺りは熱くなってしまった。水風呂の用意もしてある。一緒に入ろう」
そうして水風呂に入り、ともに汗を流した。
真新しい浴衣を用意し、私の身支度を手伝わせながら壱鹿の支度を邪魔する。
水の中で大いに弄んだため、壱鹿は薄物の浴衣に身を包むのは気が引けるようだ。
私などは別の意味で気が引ける。薄物であっても、袖を通すのは煩わしい。
しかし、出掛けるには衣を着なければならない。
「今晩は目利きの用事を頼まれているのだよ。扇子を扱う舗のものだ。
稀有な物が手に入ったと聞いているから少々愉しみだ」
「身支度をしているかと思えば、そんなことか。わざわざ出向いて目利きとは珍しいな」
「目利きはついでだよ。ひとつ、壱鹿に持たせたい扇子を選ぼうと思っている。
だから付き合っておくれ」
「そういう話なら早く言ってくれ」
戯れた直後なものだから、壱鹿は少し疲れた顔を見せた。
私にかかれば、体力自慢の精根もこのようになる。
「悪いが、まだ休ませてあげないよ。宵になれば、別の会合に付き合ってもらうからね。宴だ」
笑みを浮かべ、壱鹿が拒めないようにする。
そんなことをしなくとも、壱鹿は私の誘いを断ることがないと知っていた。
枝付きの鬼灯がのれんのように垂れ下がっている。
通りに並んだ鬼灯はどこまでも続くように思われ、紅く色づいた様は壮絶だ。
沈みゆく太陽が照り映え、炎の幕のようでもある。
他には、林檎飴や綿菓子、面に虫籠、金魚などの出店が並んでいる。
蝶尾もお使いついでに式神が掬ってきたのだ。
散歩かたがた市に寄る連中も多く賑わっている。
蜻蛉玉や風鈴の煌めきも加わって、祭り特有の光の具合に愉しくも眩暈を覚える。
それに今は壱鹿も一緒だ。
久しぶりの祭りだと言って、うきうきしながら舗々を覗くのが微笑ましい。
手を繋いで指先を絡めると、照れた顔をするのでいけない気分にさせられた。
すぐにでも壱鹿の尻を舐めて、中を突き上げてやりたくなる。
でかいなりをすべて預けてくるので、庇護欲を誘い、堪らないこと請け負いだ。
人混みに紛れて尻を揉むと、壱鹿がたしなめる視線をくれる。そういう壱鹿だからいいのだ。
訪れた舗は、鬼灯市が開かれている通り沿いにある。
舗の敷居をまたぐと、私は二階へ案内された。
お付きの方はどうされますか、と問われたので階下で待たせると返した。
少し眠たげにしているので、舗の連中の戯れ相手にされないか気に掛かる。
壱鹿は身支度に気を配るくせに、いつの間にやら浴衣の前が肌蹴ている。
色猫をやめて久しいせいか、壱鹿は自分の面がよく、いい身体であることを忘れている。
ただそこにいるだけで誘いたくなるというのに。
人見知りもせず世話好きであるし、その逞しさは魅力だ。
あの厚い胸板に、今すぐ触れたい。
二階へ通されると、扇子ばかりの品評会となった。
珍しい扇子を眺めすがめつ真贋をみるも、手離しで絶賛できる代物がそろっていた。
これらの作り手は鬼だ。
出来は素晴らしく、年月を経て一層よい風合いをしている。
壱鹿のこともしばし忘れ、鑑定書作りに専念する。
目利きの仕事でこのように興奮するのは久方ぶりだ。
時も忘れて鑑定書を作り、それを終えると依頼主に声を掛ける。
壱鹿に持たせるつもりの扇子を選ぶのだ。
古風なものか流行りのものか、似合う色や模様、品や細工の利いたものを見る。
日の光、月の光で絵が浮き上がる扇子を手に取れば、遊び心があっていいと思う。
しかし、これぞと思うものを見つけた。
目利きの代金に依頼主から扇子を頂戴すると、生食用の鬼灯をおまけにくれた。
用事を済ませて二階から降りるが、壱鹿の姿がない。
その辺でうたた寝を始めたというから、
勝手ながら寝所を整えさせていただきました、と案内の者が言う。
舗の者が気を利かせてくれたのか、はたまた壱鹿の無防備に手をつけられたか。
あちらです、と示された部屋の襖に手を掛けた時、何やらおかしな気配を感じた。
振り返ると案内の者は消えていた。どうもこれは妙だ。
一方で、私の顔は笑みを形作ってしまう。
襖を静かに開けると、中は暗く、灯りもない。
壱鹿の淫らな声がする。それに百日紅の花のにおいが充満している。
「いい声だ。それだけに許し難い……」
私の名を愛おしそうに呼ぶので、目くらましの術でも使ったのだろう。
今まさに、寝取られている。
嫉妬と興奮がない交ぜになった思いが渦巻く。
両手で襖を勢いよく開けると、気配は薄まり、壱鹿の身体は投げ出された。
「壱鹿、待たせて悪かったね。それ」
大柄の身体を抱き留め、手の内に火を灯す。
「あれ……何で雪華が入ってくるんだ。ずっとここにいただろ? だって今まで……」
壱鹿は火を見て眩しそうにする。
「馬鹿者め、化かされたのだよ。ここも、このようになってしまって……」
壱鹿の花に火を近づければ、思い乱れていた。
広く顔の知られた私の同伴者を弄ぶ輩は決まっている。これは遊びの一環だ。
依頼主もグルだろう。おまけの鬼灯も怪しいものだ。
「すでに宴は始まったようだ。宵を待てずとは、せっかちなことだね」
巾着袋からさきほどの鬼灯を取り出す。四ノ猫一件でもこのようなことがあったと思い出す。
袋の底に和紙を見つけ、御招待、と書付がある。
ふん、と鼻を鳴らし、鋭い歯でかぶりつく。
鬼灯の実を咀嚼し、種は壱鹿に口移す。
「……旨い」
眼下の猫はわずかに苦い顔をする。
「ふふ、この味がわからないなんて人生大損だよ」
浴衣の袖を払えば、足元の畳は編んだ籐に変わり、外のぬるい空気に包まれた。
座敷は様変わりし、南国風の東屋の中にいた。
周りは鬼灯が連なり、皮が網目状に透け、種のあるところに火が灯っている。
紅く燃えて見えるそれは、魅入るほどに妖しく美しい。
「ご覧よ。鬼らの提燈だ。連中が携える小さな紅い灯だ」
中華猫は、これを金灯だとか錦灯籠と言うらしい。食わないなりに煌びやかな灯りを愉しむ。
そして、狸は鬼灯を食うと気分が高揚する。
毒っぽいふるまいに壱鹿は参っているようだ。しかし、今は存分に参らせてやりたい。
額にうっすら汗が浮いている。紅い鬼灯に照らされた姿は実に艶かしい。
だいたい、花から蜜を溢れさせたままなのだ。
どこか遠くで鈴の音が聞こえるが、
いいにおいをさせる壱鹿を前に時間など気にしていられない。
口を開くよう促すと、壱鹿の中で種が震えて芽吹いた。
木天蓼の葉が茂り始めたので、驚いた壱鹿は種を吐き出した。
間に合うも合わぬもないが、ますます身体を火照らせ、とろんとした目をしている。
花に至らず下腹部に触れただけで、壱鹿は白濁とした蜜を噴き出した。
「猫に木天蓼、狸に鬼灯」
歌うように言って、壱鹿の花蜜を舐め上げた。
「まさに効果覿面」
とろとろになって弱った壱鹿に語りかける。
手に入れた扇子は、箱からして木天蓼の枝を重ねた特注品だった。
取り出して広げてみせる。
闇に見立てた黒地に、焔に焼かれる真っ紅な蝶が描かれている。
「どうだい、綺麗だろう。お前の腰に差すに相応しいと思ってね」
蝶の翅は破れかぶれで痛々しい。
綺麗というより、狂気を誘う優美さなのだ。退廃的とも言える。
「……悪趣味だ。そのくせ馬鹿高い代物なんだろ」
壱鹿の評価はわかっている。好みである訳がない。
「しかし、お前はこの蝶と同じだよ。
身を滅ぼすと知っていても、火中に飛び込まずにはいられない」
「……どうだか」
「壱鹿は私の期待を裏切ることはしないだろう。
毒を含ませても、お前は必ず食らってくれよう」
鬼灯の汁が残った口で接吻し、壱鹿を味わう。
「私は存外に年を食ってるし、ましてや古狸だよ。お前をどうかするなんて訳もない。
さあ、これから宴だ」
「……どういう事だ?」
身体を横たえ、悩ましい息づかいで私に向かって食ってかかる。
「悪いね、壱鹿。鬼灯の頃合いは、狸にとって盛大な祭りの日でもある。
会合は祭りの中で行われる」
壱鹿は本当の目的に気づいて額に手をついた。
「会合って古狸連のかよ」
「まあ、そうだ。きっと気が進まないだろうから、こうやって連れ出したのだよ。
どうやら途中で足を掬われてしまったが、歓待のご挨拶だ」
そうそう、と思い出したことがあるので口にする。
「鬼灯の花言葉は偽り、という。まるでわれわれ古狸のようだね。猫は十分注意するがいい」
「どれだけ注意したって、謀れるのが関の山だろ」
「ふふ、そうだね。壱鹿も食べるかい? そろそろ鬼灯にも慣れたのではないだろうか」
「猫は遠慮するよ。曲者ぞろいの古狸には、毒のある鬼灯がちょうどいいみてぇだ」
「ああ、まさに」
言って、鬼灯を好むと同じに壱鹿の肌に歯を立てた。
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