古狸連中-肆 雨の降る七夕の夜に忍冬は催涙雨と品定めに興じる


忍冬/

星合いの日に嵐雪から便りが届いた。

埠頭で別れてからのことが書いてある。

春先に私の船に乗せ、ともに大陸へ渡った。

この帰郷の前に一度顔を見せた後、西亜細亜にある沙漠の国へ向かったらしい。

言うまでもなくリーネも一緒だ。番いの二匹は自ら好んで忙しなくしている。

目新しい物事が好きで、逃亡であることも忘れて流れの暮らしを愉しんでいるようだ。

嵐雪にはその性質を見込んで、貿易商のあれこれの一端を任せている。

主には色猫の買い付けだ。あとは、薬の仕入れ話があれば、こちらに流すようにしている。

おだてるのが上手な嵐雪を仲間に引き込んだのは儲けものだったが、

いまだに雪花によく思われていない。

ウチの舗から色猫を買うくせに、密輸の一件が相当気に食わなかったらしい。

中華猫、か。

白橡が、嵐雪という中華猫を養い始めた頃はまだ珍奇だったが、それも昔の話だ。

この町では中華猫はすでに目新しいものではなくなっている。夏猫もすぐ見慣れるだろう。

だから、新しい毛色の猫を見繕うために西亜細亜へ行かせたいと思っていたところだった。

手紙には消息の他に、現地の猫の特徴が記されていた。

短い間であるのに要領のよいことだ。物事の機微を察するいい猫だ。

降りしきる雨の中、縁側で読んでいたせいで、手紙はほんのりと湿気を帯びていた。

軒下から雨雲の群を見上げる。七夕に降る雨は止む気配がない。

星らの逢引も、この調子では叶うまい。

雨 夜 に 濡 れ る

  ア マ ヨ ニ ヌ レ ル

古狸連から酒宴の知らせがあり、その日の晩に町の料亭に呼び付けられた。

この辺りの土地の所有権を持つ目利きの雪華。

趣味の煙草や骨董を気ままに売りさばく白橡。

御座敷に棲んで苦労などなく遊びに耽る桐生。

その三匹に、私を加えての古参の狸連中だった。曲者ぞろいの古馴染だ。

桐生は古狸仲間と呼んだりもするが、

互いに騙暗かすことに明け暮れる間柄に仲間もないだろうに。

とはいえ、何の気なしに召集して会合を開けば集まる仲ではある。

先立って、蛍を放した水辺の旅館で会合をした。

古狸連と顔を合わせるのは、桐生と戯れ事をして以来だった。

私の帰郷を祝う酒宴と聞いていたが、

蓋を開ければ、桐生の新しい戯れ相手を披露するものだった。

化け物には化け物で対抗せねば、という説明も反論も受け付けない雪華の提案で、

身体中に墨で渦巻模様を描き合った。雪華の得意とする呪術の一種だ。

そうして閨の相手に付き合わされ、化け物絵師と呼ばれる螢火をみなで喰った。

なかなかよい獲物だった。あの狸はそそる目でこちらを見るのだ。

一方で、萎れていると思っていた桐生はそうでもなかった。

それに、螢火を相手に新しい閨の癖を持ち合わせるようになったらしい。

などと思いに耽りながら、雨傘を差して路地を行く。

風が吹けば、軒先に飾られた竹の幹がしなり、笹が音を立ててこすれる。

笹の葉は青光りする雨水を滴らせる。

五色の紙はあおられ、短冊がくるくると表裏を入れ替える。

互いに恋慕する星らには気の毒だが、雨夜であれば、催涙雨の酒と品定めの遊びに興が乗る。

今夜の会合はおそらくその手の趣向が為されるだろう。

のれんも看板も出されていない料亭の門をくぐり、狭い石畳の路を進む。

石畳は濡れて黒く光り、案内の者は口も利かず、飛び石の先にある離れへ導いた。

定刻どおりに現れたのは桐生だけだった。

雪華と白橡の姿はないが、待つ道理もないので先に盃を交わす。

雅に造られた離れは静かなもので、しめやかな雨音が響いている。

「先日、竹林枯れがあったそうだな」

「ああ、そうさ。南の町外れの竹林が、妖しいばかりの花を咲かせて枯れ果てた。

狂宴の果て、鬼の邪気のせい、と噂している連中は夏の怪談話がお好きらしい」

「尾ひれはひれが付く様は面白い。みな恐ろしい物事に興味がある。

竹鬼の秘術を知っていれば何のことはないが、そうでない連中には仕方のないことだ」

「それもそうだ。竹林枯れの後には、白橡の竹銀匂で大盤振る舞いをしたのさ。

土産に持たされた竹銀匂を大いに減らせて愉快だった。

大事なものに手をつけるのはいい。白橡の悔しそうな顔といったらない。

今少し帰郷が早ければ、忍冬も酒にありつけただろうに。呑み損ねたな」

「ついに白橡に酒をふるまわせたか。それならば、鬼の宴に呼ばれる日も近いだろう。

鬼らの酒は至高の旨さだと言う。確かめる機会を失ったのは残念だ。

だが、今一番は催涙雨だろう。織姫と彦星の流す涙を集めて蒸留する酒の切ないこと」

と言って笑った。

今まさに盃を満たす液は、星合い日に雨が降れば蔵から出すことが許される酒だ。

稚狸らは星天を願うが、我々のようなものは雨夜を望む。

澄んだ水色が涼やかで、ほの甘く爽やかな味わい。

これが不思議と五臓六腑にしみわたる。

桐生は笑い返すが、物言いたげな気配をさせている。隠すつもりもないようだ。

聞いたところで何が変わるでもないので、こちらから聞くような真似はしない。

もちろん、番いじみた戯れ事もしないが、酒の相手なら構わないだろう。

螢火狩りの夜は、勢いついでに交わりもしたが、古狸連の付き合いの内だ。

ひとしきり町の噂話に花を咲かせた後、摩夷夏での色猫遊びの話を振った。

夏猫を抱いたと小耳にはさんだので、抱き心地を聞き出そうと思った。

御座敷に棲む桐生は遊び歩くだけの財と暇を持ち、商売や金儲けには興味も欠片もない。

だが、さまざまに手を出す分、物事の市場価値を肌で知っている。

「双飛とかいう摩夷夏の夏猫を抱いたのだろう。雪花の仕込んだ猫はどうだった?

雪華と白橡は、例の四ノ猫の媚態を拝んだと自慢していた。嵐雪の気に入りの猫だったか。

みな、いつにもまして羽振りがいいようだ」

そう言うと、気持ちよく呑んでいた桐生の目に醒めた色が浮かんだ。

ああ、と思い至る。気に障る名前だったか。

「お前こそ。帰って早々、摩夷夏へ行ったんだって? また、あの紅白狐と花を交えたのか。

加虐趣味の狸がご執心……手荒に抱いたんだろ。死なせてやるなよ」

無粋なことを聞く、と言って笑いながらも睨みつける。

「死なせるものか。私はあれが気に入っているんだ。しばらく飽きそうもない。

だが、詮索してどうする。私が雪花と何をしようと勝手だろう。

お前の言うとおり、雪花を心ゆくまで愉しんだばかりでそれはもう気分がいい」

雪花に思いをはせる。苦痛に顔を歪める様がどうしようもなく色情をもよおす。

紅い血の似合う身体だ。生まれた傷は容易くは癒えず、痕跡を残すだろう。

膿んで醜くなる様もまたいい。想像すると、花がうずき始めた。

「雪花なんかに惹かれて嫌になる……俺を抱けばいいのに。

虐げて苛んで滅茶苦茶にしてくれよ」

桐生の目が昏く光る。

「お前など抱いて何になる。新しい相手もできたのだろう、」

そばに寄って唇を重ねてきた。聞いていやしない。

それに留まらず、帯を解いて脚の間に手を伸ばす。

「こんなに蜜を溢れさせてるじゃないか……」

「悪いが、これは雪花の名を持ち出したせいだ。雪花との一夜は実に甘美なのだ。

思い出すとこうなる」

閨の営みを思い起こして悦に入る私に、桐生は舌打ちする。

「俺の前で花をこんな風にするなら据え膳だ。この際だ、喰ってやる……!」

「ふん、上げ膳にしてやる。私を喰えるものか」

気色ばんだ桐生を払いのける前に、赤毛の狸は視界から消えた。

斜め下へ視線を移せば、顔から床に沈んでいた。

顔面が畳に押し付けられている。ふごふご言っているがいい様だ。

押し付けるのは白橡の足裏だった。横から現れた。

「加減が過ぎたか? 俺らを出し抜こうたって、千年どころか万年早い」

「おや、手温いのではないかい。被虐趣味の桐生がそれほど悦んでいないようだからね」

「どうやらそうみてぇだ」

腕を組んだ格好で桐生を足蹴にする白橡と、くすくすと妖艶に笑って佇む雪華だ。

隣の座敷から現れた。そちらの襖が開け放たれている。

二匹は遅れた訳でなく、隣室に潜んでいた様子だ。

「よくも別の離れを案内させてくれたな。妙な謀り事をしやがって」

続けて、白橡は桐生に罵詈雑言を浴びせる。

「まだまだだね、お馬鹿さん。忍冬の旨い汁を独り占めさせてなるものか」

雪華は気だるくも色を漂わせて言うと、こちらに笑みを向ける。

そうして、目を見張る私のそばで優雅に両膝をつく。

私の頬に片手をやさしく添え、もう一方の頬には鋭い爪を立てる。

血のにおいがして気が高ぶる。

「口に咥えて蜜を吸えば……それは、スイカズラの名の由来に通ず」

吟じるように言って、脚の間に顔を埋め、花に舌をつけた。

花を吸わせるのは征服欲をくすぐる。上目遣いの雪華も悪くない。

桐生にさせるより断然いいので、自由な雪華のするに任せる。

やがて白橡の罵りは説教じみたものとなり、踏み付けられる桐生が反撃するも阻止される。

それを眺めながら、雪華のもたらす快感と催涙雨の醇味を愉しんだ。

外は雨が降り続き、今夜中降る気配だ。

桐生の恨み言も同じで、みな適当にあしらって酒を酌み交わす。

「お前の恨み言は聞き飽きたぜ。そろそろ別のネタはないのかよ」

「定石であれば品定めだが、桐生は今が螢火なのだろう。ならば、聞きたいこともなし」

「まったくだ。桐生が螢火の旨さを語っても我々はすでにその味を知っている。腹一杯だ。

今晩はお前の持ち札はないと思え」

「針の筵かよ」

「己がまいた種だろ。雪華も忍冬もお前の話はもういいらしい。聞き役であれば許してやろう」

「それはどうも、ご寛大なご配慮で」

桐生は不貞腐れてみせるが、だいたいこいつはいつもこうだ。

惚れられて可愛げを感じない訳でもないが、相手にすると面倒な奴でもある。

「ねぇ、白橡。銀匂の話を聞かせておくれよ。一体、どのようにして出会ったのか」

「ここで披露するほどの出会いでもない」

「そうかな? きっと忍冬だって聞きたいと思っているはずだよ」

「ああ、ぜひ聞きたいものだ。幻夢を渡る鬼はそうはいないからな」

「まぁな。銀匂は鬼の中でも稀有な存在だ。頭目を務める鬼は力も強い。

奴はいつも霧を纏って現れる。手招きして誘い、自ら寄ってくる者を狩る」

引き寄せられる者しか相手にしないのか。

銀匂は小狡い奴だ、始めから優位だ。

白橡が片目の視力を失ってからずいぶん経つが、完全に光を失った時に初めて現れたという。

夢の中に。

その日から夜な夜な夢に現れては、手を差し出して誘惑する。

しかし、姿は竹林に隠している。

己を誘う者の正体を暴く気になった白橡は、易々とは奴の手を取らなかった。

「お前の姿を拝んでから考えてやる」

それで去ってもいいだろうに、焦れた銀匂は駆け引きに敗れ、現の世で白橡の元を訪れた。

とうとう、先に姿を見せたのだ。

鬼が出るには格好の湿り気を帯びた雨夜だったという。

湿り気というのが、外気によるものか、内から溢れたものか、はっきりしない。

そのどちらとも、ということもある。

何にしろ、その夜、閨で為されたことについては言うに及ばない。

話を聞いていると、銀匂は失明した白橡の眼球に愛執しているようだった。

「いつか、眼球はくれてやろうと思っている」

話の締めくくりに、白橡は淡々と言った。

「ふふ、銀匂とやらが白橡に惚れていると思っていたが、そればかりではないようだ。

見かけによらず、白橡も本気というオチか」

「さぁて、どうだかな。鬼に愛される身分はすこぶるいいもんだぜ。

だからこそ、狸の俺が竹銀匂をお前らにふるまうことができたんだろ。

だが、狂宴の最中に口移しで味わう酒は極上だ。俺はそれを銀匂ごと頂く」

私たちを見回しながら狡賢く笑う。

竹銀匂を呑み損ねたのは、確かに惜しいことだった。

「余裕を気取るなら、苦情を申し出よう」

雪華が言った。満面の笑みに白橡が不審がる。

「苦情? 謝意賞賛ならともかく何だって苦情なんだ」

「たった今……竹銀匂は銀匂の口移しが極上と言っただろう。

器違いの竹銀匂は私が望んだ酒ではなかった。つまり、小鬼らの返礼は半端だった、と」

あれだけ呑んでおいて、というつぶやきを雪華は遮った。

「であれば、代わりの案を示してくれないといけないね。

そうだ、品定めの相手を交換する遊びをするのはどうだろう。これをご覧よ」

白橡は納得していないが、この成り行きにひとまず黙った。

理不尽な要求を拒んでもよいが、雪華の遊びに乗るかしばらく様子をみることにしたのだろう。

雪華が懐から取り出したものは絵札だった。

黒地に毒々しい色づかいの絵札が八枚。扇状に広げ持つ。

桜、橡、桐、葛の花木の札が四枚。

猫、鬼、狸、狐の獣の札が四枚。

花木の札が、我々の名を冠していることに察しがつく。

雪華はそれぞれに見合う札を胸に向けて投げて寄こした。

獣の札は中央にばらまく。ということは……

「私は当然、猫だ。猫は赤猫。壱鹿を差し出そう」

雪華は猫の札を指して言う。

猫狐狸の中に鬼が交じっている時点で雪華の意図が透けて見えるというもの。

品定めの相手を交換する遊び、か。面白いのでそれに乗ろうと思った。

鬼らの酒にありつける予感もする。

「私は狐だ」

白橡をはめるため、私もすかさず獣を指定した。狐は、雪花だ。

「桐生は狸で決まりだよ。だから、残った鬼は白橡だ」

桐生に反論の余地はない。

桜の雪華は猫の壱鹿。桐の桐生は狸の螢火。葛の私は狐の雪花。

そして、橡の白橡は鬼の銀匂。

「品定めの相手を交換だと? 銀匂を引きずり出すつもりか」

「異議があるならば、申し立てよ。理か、はたまた利があれば、一考してもよい」

芝居がかった雪華がくつくつと笑う。

「……桐生は異議があるだろ。恋敵の雪花はお断りじゃあないのか?」

私が雪華の提案に乗ったので、こちらを睨んだ後で桐生に凄む。

「この機会に雪花を喰ってやってもいい。見るからに狸好みのいい身体をしていたぜ。

好きも嫌いも、喰ってしまえば腹も据わるさ」

「桐生、お前はどっちの味方だ。俺だろ? いつもの恩はどうした」

「味方を増やそうとしても無駄だよ。桐生はこちらのものだ」

「おい、誰が可愛がってやっていると思っている」

「知らないな。俺の頭は足蹴にされた記憶しかない。

それに聞き役を申し付けられた身だから、白橡の加勢はできないさ」

雪花を避ける以上に、普段交わることのない鬼に天秤を傾けた桐生は雪華に味方した。

滅多にないことだが苦虫を噛んだ白橡だ。

自慢が過ぎたのだ。

雪華は長いこと銀匂を狙っていたというのに。

この遊びにしろ、いつから懐で温めていたことか。

それはさておき、鬼と交わるのは愉しいだろう。白橡の鬼であれば、尚の事。

どうやら面白いことになってきた。

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