古狸連中-参 欲望を掻き立てられた桐生は螢火に狩りを仕掛ける


桐生/

この界隈に螢火という若い狸が棲んでいることは知っていた。

山伏姿で狸と書かれた和紙を顔に貼った不気味な奴だ。

和紙に隠れて顔は見えず、華奢な身体に大きな木箱を背負って不格好。

それなのに、先日雪華の屋敷で見た姿は思いも寄らない艶めかしさだった。

あんなにそそる狸が近くにいたのに、失念していたとは迂闊だった。

あれからずっと螢火のことが頭から離れない。

気もそぞろに過ごしていたが、その螢火が路の先にいた。

湿気で蒸した今日、螢火は汗を拭うために和紙を剥ぎ取った。

先日と同じ可愛い顔で、旨そうな身体を火照らせている。

不意にこちらに目を向け、光るような紫紺の目に射抜かれた。

俺が見ていることに気づくと、ぱっと顔を逸らして歩き去った。

欲望を掻き立てられ、どうにかして戯れ相手にしようと思案した。

螢 火 狩 り

  ホ タ ル ビ ガ リ

鬼どもの造った美酒をふるまうとして、古狸の仲間内で呼び掛けがあった。

酒を手に入れたのは白橡だったが、知らせは雪華からもたらされた。

鬼の酒で咽喉を潤してやろうと豪語する雪華だ。

この知らせは、計略が上首尾に終わったことを意味した。

とびきりの絹を用意した甲斐があるというものだ。

計略を持ち掛けたのは俺なのだから、呼ばれて当然として澄んだ液を酌み交わす。

竹銀匂という酒は、それはもう格別の旨さだった。

さらには、若返る心地がし、精力がみなぎる。

酔いの回りも早い。こんな酒をあおるほど呑む鬼どもの気が知れない。

だが、もしかすると、この酒のせいで鬼の連中は常識外れの艶事に耽るのかもしれなかった。

「酒がこうであれば、若頭目の銀匂も美味に違いない。

白橡よ、次こそは私も鬼と親交を深めたい」

衣を脱ぎ捨てた雪華が白橡に言い寄る。

「交えるのは花だろ。そう容易く交じらせてやるものか。

交じったとしても、銀匂には触れさせないぜ」

「白橡がそういう態度であればなおさら興味が湧くというものだ。

白桃と黄桃の血縁だったか。今時分でああならば……成長した鬼は極上に違いない」

「そりゃもう……小鬼らとは比較にならねぇ。銀匂の肌は冷たくて心地がいい。

肌はしっとりと吸いついて滑らかだ。だが何と言っても、一番いいのは瑞々しい花のにおいだ」

白橡は閨のやりとりを披露する。

耳を傾けていると、銀匂の姿形を知らない俺は自然と螢火で想像していた。

螢火はきっと熱いのだろう。

しっとりと濡れた竜舌蘭のにおいが蘇り、俺の花がうずく。

松葉崩しの様相で花蜜を溢れさせる姿は見物だった。

だが、雪華にうまいこと煙に巻かれ、螢火と言葉を交わすことも触れることもできなかった。

忍冬につけられた縄の跡も消え、傷心が薄らいだのも、螢火への焦燥が勝るせいだ。

次第に酔いが回り始め、心地よくたゆたう。

この宴会から日をまたいでも、なかなか酩酊感から抜け出せなかった。

不可思議な酒だった。

数日経って町へ繰り出す。

籠ノ目で賽子遊びでもしようと思った。

だが、のれんをくぐる前に、通りの雑踏で大きく古びた木箱が歩いているのを見つけた。

螢火だ。

足の向く方角から町の薬園へ行くものと推し測る。

薬園はふつう、医家か薬師か、もしくはそれの付き人しか入ることができない。

螢火はそのどちらでもないが、絵を描くために薬園への出入りが特別に許可されている。

賽子遊びよりよっぽど面白いものを見つけ、そちらで遊ぶことに惹かれた。

ちょっと声を掛けてみるか。

そう思って、跡を付ける。

路地裏へ入ったのを見計らい、後ろから声を掛けた。

「化け物絵師の螢火。ちょっと戯れ事に付き合わないか?」

回り込んで行く手を塞ぐ。

相手は身構えて、身体を一歩引かせた。

「……そこを通らせてください」

吐息で顔面の和紙が浮き上がり、鈴を思わせる震えた声が返ってきた。

大きな木箱を背負うせいか俯き加減で、手足には大袈裟な包帯が巻いてある。

醸し出す雰囲気は不気味だが、その下の顔を知ってしまえば、不気味も何もなかった。

「俺を覚えているか? 初めて見る顔じゃあないだろう」

「知りません……揶揄うなら他を当たってください」

「揶揄ってなんかいないさ。ほら、つい先日。雪華の屋敷で会っただろ」

そう言うと、螢火は記憶を思い起こす素振りをみせた。

和紙から片目だけ覗かせて俺を見る。

「あ、古狸連の……」

「そうそう、それだよ。ようやく思い出してくれたか」

やさしくも強引に、和紙をのけると紫紺の目と視線を合わせる。

濁りのない綺麗な目だ。

「あの時は雪華に挨拶もさせてもらえなかったからさ。

だが、お前の花も竜舌蘭のにおいも覚えている。実に旨そうだ……」

螢火は頬を朱に染めて、戸惑い恥じらう。

思い出せば、そりゃそうなるだろう。あれほど淫らな姿を他人に見られたのだ。

抵抗する気が弱まった隙に身体を寄せて壁へ押しやる。

弱々しくも逃げ出そうとするから、それぞれの手で螢火の手首を押さえる。

「この手があの絵を生み出すのか。お前の絵は花を交える感じに似ている」

手のひらへ唇をつけ、脇にかけて舌を這わせる。

「あ……っ」

脇へ達すると、そのまま首筋を咬んで、まさに間近で面を拝む。

長い睫毛に縁取られた目に戸惑いと抵抗の色が浮かぶ。

そのくせ、怯えながらも欲望に爛々としている。相反する感じが色情を誘う。

「いい目だ。しかし非力なもんだな」

しばらく色々な技を弄して唇を味わいながら、肩から木箱を外させ地面に置いた。

後ろを向かせ壁に両手を突く体勢に持ち込み、帯を解く。

露わになった背中を縦に裂くように背骨が通っている。

それに指を這わせた後、唇で同じようにする。怯えているのが可愛らしい。

ここらの路地裏は昼間でも暗く、こんな風に花を交えても不都合のない処だった。

露出した肌は白く、骨格はどこもかしこも細い。

こうしていると雄だか雌だかわからなくなってくる。

花に触れて、頭では確かに雄だとわかるが、何分身体のつくりが繊細なのだ。

あらがうことができなくなった螢火を手玉にとり、怯えを心地よい震えに変える。

そういえば、色猫の番付けに関わっていると耳にした。

例の四ノ猫の色札判じもしたのだろうか。

花と後孔で判じるという。想像するだけで気が高ぶる戯れだ。

思いの外、こういうことにも慣れているのかもしれない。

なぜなら、後孔がすんなり俺の花を受け入れたからだ。感じやすく、開発も為されている。

昔、ゲテモノ喰いがこいつを買っていたとも聞く。遊んでいない訳ではないのだ。

そんなことを思いながら、どこがいいだとか、ここはどうだとか耳元で囁く。

いちいち過敏に反応し、訴えかけるように見返すせいで、気持ちが燃え上がる。

俺は虐められるのが好きなはずなのに、忍冬に振られてどこかいかれちまったんだろうか。

螢火は征服欲を掻き立てる。見返す眼差しがいい。

一方で、虐げながらも、虐げられる心地がして堪らない。

蜜でふやけた指を絡めながら花で中を突き、寸暇の快楽に耽った。

老舗の菓子屋に初夏らしい水菓子が並んでいた。

目に綺麗だからという理由で、白桃と黄桃の土産にして白橡の屋敷へやって来た。

肝心の二匹は昼寝の真っ最中で、寝顔を拝むことしかできなかったが。

屋敷の主はというと、客の相手もいい加減に、欄干にもたれて煙草を呑んでいる。

勝手知ったる屋敷なので、俺は自分でついで茶を飲む。

「白桃と黄桃が来てからというもの、土産をくれる奴が増えたもんだ。

食うものにも着るものにも困りゃしねぇ」

「飼い鬼のおこぼれもいいとこだな」

「まぁな。だが、俺あっての飼い鬼に竹銀匂だ。俺がいなきゃ、おこぼれもねぇ」

「そりゃそうだ」

大口を叩く証拠に、この屋敷には鬼の貢物がごろごろしている。

先日ふるまわれた美酒・竹銀匂のみならず、

変種の竹でできた羅宇、刀、扇子、宝玉なんかの珍品ばかり。

どれもこれも白橡は無造作に扱うが、

骨董判定をする雪華の鑑定書がなくとも大金になるものばかりだ。欲しがる連中も多いだろう。

断りもなしに、その貢物を手に取ったり、眺めたりした。

「近頃の桐生は付き合いが悪いらしい。雪華も紫籐も嘆いていたぜ。

雪華に頼んだ色猫に思い入れしてる訳でもねぇようだし」

「そういや、しばらく顔を合わせていない。どちらもご無沙汰だな」

「噂じゃあ、化け物絵師の螢火に入れ込んでいるとか。雪華の道楽よりいいようだ」

眼帯で覆われていない白橡の目がにやりと笑う。

「耳の早いことで。煙草屋に噂話は付きものか」

一度螢火と花を交えてからというもの、姿を見掛けると必ずといって戯れるようになった。

もちろん閨にも呼んで、縄を使った遊びもする。

座って達磨のように丸くなった姿勢で手足を縛らせ、螢火を抱え込んで挿入する。

それもよかったし、向き合って互いの首に縄をかけて引き合うのもよかった。

あれやこれやと試した閨の決まり手を思い起こし、ほくそ笑んだ。

「へぇ、ずいぶん愉しんでいるご様子だ。

ところで、お前はすっかり忘れているみてぇだから思い出させてやる。

螢火は摩夷夏の主と魚と水の関係だ。初喰いを捧げたって、覚えていやしねぇだろ」

「は? そんな話聞いてない……いや、紫籐の座敷でお前の口から聞いたような……嘘だろ」

「桐生は愚かだよ」

摩夷夏の主とは雪花のことだ。

忍冬が入れ込んでる相手……それが螢火の初喰いを捧げた相手?

「螢火も雪花なのか? 一体いつの話だよ。今でもって言うんじゃないよな……?」

白橡は不憫そうにして、俺の頭をぽんぽん叩いた。

「そうだ、今でもだ。御愁傷様だな。

雨の日を選んで訪うそうだ。あの姿で木戸を叩く様を想像すると、ぞっとする。

こりゃ怪談話だぜ」

「そうか? 濡れそぼった螢火も悪くない。むしろ、艶話だ。そそるだろ」

雨水を吸って透けた衣が肌に張りついた様を思った。

感じやすいところを攻めながら、張りついた一枚一枚を剥がしてやるのもきっと乙だろう。

そんな色めいた螢火が、俺でなく紅白狐の前に現れては閨をともにするだと?

はあ、とため息をつく。

「どいつもこいつもあの紅白狐がお好みかよ。

そろって雪花雪花と惚れ込んで……それとも紅白狐を好きな奴に俺が惚れるのか」

「どいつもこいつも、なあ。不運な桐生だ」

「ほんと参るよな。ようやく戯れ相手に定めようとしたってのにさ」

甘えようとして白橡の腰に手を回すと、足蹴にされた。げしげしと頭をやられる。

「条件によってはお膳立てをしてやらなくもねぇぜ。

そろそろ蛍の舞う季節だ。とっておきの閨を紹介してやってもいい」

「何だそれ。白橡の紹介なんざ悪い予感しかしない。借りなんて真っ平御免さ」

「この古狸がひとつ手を貸そうって言うんだ。好意は受け取っておけよ。

条件といっても大したもんじゃねぇ。螢火狩りに俺らも交ぜろって話だ」

「俺ら?」

「ああ、久しぶりに古狸連がそろうぜ。もう間もなく忍冬が帰ってくる」

朗報だった。

だいたい、白橡の屋敷へ足繁く通うようになったのは、忍冬の動向を探るためだった。

舶来品や中華猫の売買を手掛ける忍冬は、

ほとんど外海へ出ているため町に留まっていることがない。

忍冬から中華猫の買い付けを任されている嵐雪は、白橡の養い子だ。

俺も小さい頃に可愛がったものだ。生意気で愛らしい猫だった。

そんな立場の嵐雪は、忍冬とも白橡とも密に連絡を取り合っている。

つまり、白橡の屋敷に入り浸れば、忍冬の帰郷の知らせはいち早く届くことになる。

今まで俺の望むものは忍冬だった。

未練はあるが、忍冬の戯れ相手にはなれないと本能ではわかっていた。

そして、先日の決定打。

忍冬は思いの外、頑固だ。言ったことは曲げない。

日が沈み始めるまで忍冬のことを考えながら、螢火と落ち合った。

「涼みに行こう。水辺の風流な閨を見つけたからそこで、」

言葉を切って螢火の首筋に接吻する。

「そこで、気持ちがよくなる遊びをしよう」

どことなく螢火が怯えているのを感じた。俺の緊張が伝わっているのかもしれなかった。

雪花との仲を知ったばかりなのだ。どうしたって口数少なくなる。

それに、今夜は振られて初めて忍冬と顔を合わせることにもなる。

だが、それが何だというのだ。新しい戯れ相手を見せつけてやるさ。

旅館ののれんをくぐり、石畳を進む。

近くの水辺を借景し、舟を浮かべることのできる眺めのいい旅館だった。

閨に案内されてすぐ、螢火の唇を噛みつくように奪った。

事実鋭い歯で噛んだせいで、口の端が切れて血がにじんでいる。

雪花と親しくしていたなんて、緊張と劣等感で抑えが利かない。

ほどなくして、二匹で絡まり合って汗だくになった。

涼みに行こうなど、誘い文句でしかなかった。

螢火の腿裏を舐め上げ、下から上へとじわじわと爪先までいき、花の近くへ戻る。

広げた脚の間にある花に触れてやらない。焦らして、焦らして……

竜舌蘭のにおいが溢れ、堪らない気にさせるがまだ我慢だ。

水辺に面した障子は開け放たれていた。

目を向ければ、雲で陰った闇の中を小さな光が舞っていた。

気を取られ、光虫を目で追いつつ水辺を眺めていると、廊下側の襖が開いた。

現れたのは燭台を持った三匹の狸だった。

螢火が息を飲むのもそのはずで、三匹の顔体には墨で黒々とした渦巻模様が描かれている。

呪術が施された様は恐ろしげだ。

だが、俺はその正体を知っているので恐ろしくもない。

奇妙な模様すらも魅惑的な雪華と白橡だ。

そして忍冬。ああ、いつも以上に凄みが増して堪らない。

薄衣を纏っただけの姿は、身体の稜線を透かしみせるので色めかしくもある。

緊張の度合いが跳ね上がり、祭りじみた高揚感に襲われた。

二匹は獲物を螢火に定め、手足をつかんで拘束すると、身体の一つ一つを取り調べにかかった。

残りの一匹は、距離を置いて腰を下し、高みの見物と決め込んでいる。

「桐生さん……っ」

突然現れた者どもの正体に気づいた螢火は、咄嗟に俺の名を呼んだ。

ふぅん、俺を呼ぶのか。

罠にはめたことを恨むのか、助けを求めるためなのか、あとは、さぁ何だろう。

これから起こる物事をさまざまに想像すれば、胸が熱くなる。花もだ。

火を吹き消せば、再び闇夜に蛍が光り舞う。

その中で螢火は身を焦がしてよく鳴いた。

こういうのも悪くない。

稚狸らが蛍を追って捕らえる遊びに螢火を重ね、追い込んでは身を熱くした。

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