古狸連中-弐 夢の中に姿を現した銀匂は白橡を鬼の宴に招待する
白橡/
瑞々しいにおいが鼻腔をくすぐった。
同時に内に隠した花が反応するものだから、身悶えながら薄く瞼を開ける。
目の前には朝霧が立ち込めていた。
根拠はないが、ほの明るいから朝霧だと思った。
霧の向こうで碧緑の竹林がさんざめいている。
その竹林の間から手招きする者がいる。
艶めかしい白い手。滑らかな肌。美しい指先。
甘噛みすれば、しっとりと吸いついて堪らないだろう。
その手が誰のものであるか、俺は知っていた。
誘われるままに手を取り、静かに口づけると、心地よい感覚がもたらされる。
「待ちわびたぜ……すぐにでもお前を喰いたい」
幻影に囚われることを自分に許し、しばしうっとりとした。
竹 鬼 の 誘 惑
チ ク キ ノ ユ ウ ワ ク
目を覚ますと、天井を背に小鬼らが覗き込んでいた。
「白橡が起きたよ。お寝坊様の白橡がやっと目を覚ましたよ」
「本当ね。もう間もなく昼餉だっていうのに、白橡はお寝坊様だわ」
布団から身を起こせば、小鬼らの悪戯のせいで肌襦袢が乱れていた。
俺の目覚めの何が愉しいのやら、きゃあきゃあと笑い転げている。
顔の造りの似通った小鬼らは双子で、一緒にいればまるで退屈する気配もない。
「今日は大事な日なんだよ。忘れていないよね」
黄桃が言った。玩弄物を試すことに興味津々の好奇心旺盛な弟だ。
「そうよ、一年で一番大事な日なんだから」
白桃が言った。雌の童の衣を好んで着飾る艶っぽい兄だ。
ねえねえと話が止まらない小鬼らを抱き寄せて、眉根を寄せるような悪戯をお見舞いする。
吐息とともに口から零れた声は小さく可愛らしい。
小鬼らは、浮足立って落ち着かなかった。
小鬼らだけじゃなく、俺も浮足立って堪らないんだ。
「白桃、黄桃。俺は忘れちゃいねぇぜ。ちゃんと覚えているから安心しな」
春は終わりを告げ、夏が勢力を増している。そんな季節だ。
「夢にお前らの頭目が現れたよ……瑞々しいにおいが溢れて堪らない」
ああ、そうなのだ。瑞々しいにおいは奴の誘い香に違いなかった。
実体のないものに惑わされ、
俺の花が思い乱れたせいで小鬼らも悪戯をせずにはいられなかったのだろう。
甘美な記憶が蘇り、思わず自分の唇を舌で舐めた。
奴は頃合いになると夢に現れて誘うのだ。
待ち切れない、と。
起きぬけで汗ばんだ身体を湿らせた布で拭い、身支度を整えてさっぱりする。
最後に、身体の一部のように馴染んだ眼帯を付ければ準備万端だ。
昼飯に合わせて雪華の屋敷へ行く予定にしていた。
門扉を叩けば、幼い頃の主に似せた式神が出迎えてくれた。
近頃は蝶の式神がお気に召しているらしい。確かに可憐で美しい。
欲にまみれた中身を知っていても、愛でずにはいられない可憐さだ。
連れてきた白桃と黄桃が式神と入り交じれば尚更だった。
「可愛らしいお客さん方、どうぞいらっしゃい。
本日は、君らのためにとっておきのものを用意しているよ」
ごっこ遊びが得意な屋敷の主は、座敷に通された小鬼らに向けて言った。
いい織物が手に入ったから小鬼らに贈りたい。だから屋敷へおいで。
そう話を持ちかけられていた。
着飾る時期など今を置いてないものだから、雪華の目論見は明らかだった。
間違いなく、俺の元に奴が現れる時機を知っていて呼び出したのだ。
雪華がぶら下げる餌は垂涎の的に違いなく、食いつかなきゃ馬鹿を見る。
だが、餌に食いつけば、旨い汁を吸わせることになるのだから気に食わない。
用意されていたのは、小鬼らのために縫い上げられた豪奢な絹の着物だった。
竹の花が描かれている。目に涼し気で明るい色合いが綺麗だ。
それが、凶事の前触れである不吉な文様と知っているだろうに、あえて選んでいる。
だが、鬼好みだ。よくわかっている。
餌を披露する雪華の動向を探りつつ、座敷の様子に目を配る。
視線の先では、着物を大層気に入ったらしい小鬼らが喜んで騒いでいる。
興奮して収まりがつかない。こうなると贈り物を断る訳にはいかないな。
小鬼らが喜ぶのなら、旨い汁を惜しむ必要もないか。
さて、雪華はどう出るつもりか。
そう思ってふと気づく。かたわらの式神が上目遣いにこちらを見つめていた。
何やら色めいた気を発しているので、しばし相手をする。
ほんの少し。束の間。そのはずだ。
ちょうど、式神の向こうにいる雪華が小鬼らに耳打ちする姿が見えた。
こちらの視線に気がついて、その目が鋭く笑う。
「さぁ逃げろ!」
突然、雪華が伸び上がって叫ぶ。
同時に白桃と黄桃が脱兎のごとく走り出した。雪華もだ。
「何だ何だ。何が始まった!」
すぐさま立ち上がり追おうとするが、式神が俺の袖を引き留める。
「隠れ鬼だよ。鬼は十数えてからでないと、追いかけてはいけないよ。ひーい」
式神は強い力で袖をつかんで離さない。指を立てて数え始めた。
「ふーう、みーい……」
立てた指が一本、また一本と増える間に三匹は座敷から姿を消した。
「とーぉ」
悠長な数え上げが終わると、俺は身を隠した獲物どもを探しにかかった。
隠れ鬼が終わった時、雪華は欲しいものを手に入れてしまっていた。
三匹とも同じ場所に隠れていた。つまり、見出されるまでともに過ごしたのだ。
見出した時には小鬼らは雪華のいいようにされていた。
昼飯にしながら不平を垂れる。
「隠れ鬼の間に花を絞るなんて酷いことをするぜ」
「見つけるまで時間が掛かり過ぎたのだよ。
この子らが果てる前に見つけ出すと思っていたが、期待外れだ」
「へえ、よく言うぜ。屋敷中に妙な術でもかけたんだろ。そうとしか思えねぇ」
「はてさて、何の話だろうか。
小鬼を囲うような奢った身分の者を少々たぶらかしても罪にはならないだろう」
「ふん、終わったことは仕方ねぇ。雪華、この子らの花はよかっただろう」
「そちらは期待以上だよ。白橡にしてるのと、同じことをしておくれとお願いしたのだよ。
小鬼といえども、鬼に変わりなく美味だね」
事果てて隣で寝ている小鬼らを雪華の目がなでる。満足そうで憎たらしい。
「それはさておき、間もなく鬼の宴が始まるそうだね。
竹鬼に招待されるとは……白橡の持ちものには敵わない」
「よく言う。己が一番と思っているくせに。
だが、竹鬼が造る極上の酒を味わうのは俺だ。夏の始まりに竹銀匂は欠かせないさ。
昨年の最後の酒は黒糖の花合わせに使っちまったからな」
「ふふ、そうだね。
しかし、私が羨ましく思うのはね、酒の事ではあるが酒の事だけではないよ。
酒の名を冠した若頭目。碧色の鬼、碧鬼。
そう呼ばれる銀匂を一度でもいい、味わってみたいものだ。
が、招待されぬ身ではどうにもできない」
雪華は新酒を所望した。小鬼らの着物のお返しを要求してきた。
先日、桐生と戯れたから、浮足立っているのが知られてしまったのかもしれない。
「昼飯の後でいい……俺の目の前で、交じりたくなるくらい小鬼らを翻弄してみろ。
それなら望みに応じてやろう」
そう返答するも、雪華の望みに応じる羽目になるのは目に見えていた。
再び雪華に弄ばれた小鬼らの可愛らしいことと言ったらない。
いよいよ夜の帳が降りた。
小鬼らを竹の花の着物で妖艶に飾らせたら、提灯をたずさえ竹林の奥へ足を運んだ。
南の町外れには竹林が広がっていて、いつもなら静まり返っているはずだが、
今は何やら妖しげに色めき立った気配を漂わせている。
「「後でね」」
瞬きの間に二匹の小鬼はそろって消えた。同時に提灯の火も消えた。
周囲の闇が一層深く濃くなったかと思うと、指先に冷たいものが触れた。
手が触れたことに気づいた時には、白く浮かび上がって姿を現した奴に手を引かれていた。
こちらへ背を向けているためどんな表情をしているかわからない。
引かれるままについてゆく。
触れる手は氷の冷たさで、血の通わぬ死者を思わせる。
「インビー、銀匂」
名を呼んでも、奴は黙って背を向けた状態で歩みを速くした。
「……」
だが、瑞々しいにおいが花を突いて仕方ない。
もの言わぬ態度と裏腹な誘惑のにおいに眩暈がする。
「銀匂、いつまでそうしてるつもりだ。顔を見せろよ」
堪りかねて、俺は銀匂の腕を引き寄せ振り向かせた。
「いいにおいをさせやがって……誘っているのか、拒んでいるのか、はっきりしろ」
「……そうだ、お前の好きなにおいだろう?
一番にお前の元へ訪れたのに、それなのに、花屋敷の狸などと戯れて腹が立つ。
小鬼らで遊べばいいものを……何のために白桃と黄桃を預けたと思っている」
鋭い視線に射抜かれてぞわりとする。
「私を、今すぐにでも喰いたいのではなかったのか?」
びりびりとした視線に刺される感覚だ。だが、この感覚は悪くない。
「ああ、そうさ。膳を喰うための下拵えじゃねぇか。そう怒るな」
一段と冷ややかな唇に俺のを押しつけ、芳しいにおいをひとつも漏らさないように吸う。
そうして、唇と舌を使って、艶やかな音を闇の中に滴らせた。
「ああ、旨い。さすがは竹銀匂の名を冠すだけある。本命は、いつだってお前だよ」
不気味なほど白い肌をした美しい鬼とともに、竹の寝台に身体を横たえた。
しばらく戯れていると、知らない小鬼が盆に乗せた酒器を運んできた。
銀匂は小鬼に労いの言葉をかけ、下がるように言った。
「初物の竹銀匂だ。誰よりも白橡に呑んで欲しくて用意したのだ」
旨いと記憶にあっても、毎年のことであるのにはっきりその味を思い出すことができない。
銀匂は透き通った酒器を手に取って口に含む。
その口を俺の口に重ね、冷たい液を咽喉に流し込んだ。
澄明で香り高く、冴え冴えとしている。
口腔で冷たさを保つそれは、奥へいくほどに熱いものに変わった。
そうだ、この味だ。酒を味わいながら互いもまた玩味する。
銀匂の手が額に触れ、俺の前髪をかき上げた。銀匂の好きにさせる。
焦れているのか、なかば急いて乱暴にも眼帯を外す。
そうして視力のない眼球をしばし見つめたかと思うと、瞼に接吻した。
銀匂は視力を失った俺の眼球に執着している。
そのために、俺は雪華が羨むような狂宴に招かれるのだ。
一体、何がいいのやら。鬼の好みはわかるようでいてわからない。
いつか眼球を食われるのではないかと思う。
だが、そうなっても不都合もなかった。奴にならくれてやる。
ようやく頬に朱の差した銀匂と酒とを存分に味わいながら夜の深みに身を浸す。
今宵、鬼らの狂宴は始まったばかりだ。
竹林の至る所に、斜に切った竹の灯籠に火が灯っている。
広がった空間を碧緑に照らし出し、風でゆらめけば辺りが影ごと揺れる。
それは一層妖しく、酒に酔った者どもと竹との境を滲ませる。
鬼らの宴が狂宴と言われるには理由がある。
常識外れの騒ぎや艶事に耽る様に加え、朝には竹林が枯れ果てることに由来する。
明日にはここら一帯の竹林の精気は果てるだろう。
竹林枯れは鬼の邪気に触れるせいといわれるが、その実、酒造りの秘術にあるらしい。
その辺りは、ほのめかしでしか教えてくれないが。
ともかく、俺は鬼の大仰さが気に入っている。奴も酒も絶品だ。
そうは言っても、銀匂の欲は容易く満たされるものではない。
雪華の色欲深さも、忍冬の加虐嗜好も、桐生の被虐趣味も鬼の前ではささやかにみえる。
碧鬼と言われるこの美しい鬼は、飛び抜けた快楽をともにするよう俺に求めている。
だから、今宵は銀匂が飽きるまで、猛々しい戯れに付き合おうと決めていた。
身体がくたばらなければ何だっていい。
こちらも負けじと、銀匂をとろかすために秘事を尽くす。
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