古狸連中-壱 忍冬に振られた桐生は螢火の艶やかな姿を目撃する


桐生/

ほどよい縄が自身の首に巻きつけられる。

仰向けになった俺の上に忍冬がまたがっている。

それだけで興奮して息が荒くなってどうしようもないというのに、

首の縄を引いたりゆるめたり、限界まで胸が苦しくなることをする。

早駆けの馬にでもなった気で、惚れ込んだ相手に手綱を渡し、この身を乱暴に扱わせた。

花が熱くなれば、忍冬の後孔から自分が放った蜜が溢れる。

いくら口説いても挿れさせてくれなかったのに……今宵くらい有頂天になったっていいだろう。

そうした加減のない手腕によって、事が終わると首に縄の跡が残った。

「もう間もなく船を出そうと思っている」

痛みの余韻に浸っていると、出し抜けに忍冬が言った。

「いい頃合いだ。そろそろお前との戯れ事も終いにしようと思う。

古狸連の内だから今宵を最後にと後ろを明け渡したのだ。私のを味わえる奴はそういないぞ」

忍冬が唇を重ねる。俺の舌をきつく吸うので背筋が震えた。

「どうしたっていうのさ……急に何を言い出すんだ?」

「お前と花を交えたところで、どうも違うようだ。

お前は悦びむせぶが私は快感が得られない。嗜好違いという話だ」

「は? 虐めるのが好きなんだろ? 苦しむ様がいいんだろ?

持ちつ持たれつの関係じゃあないか」

「虐められるお前はいいだろうが、私は屈した様が見たいんだ。お前にはそれがない」

最高の夜に俺は忍冬に振られた。

狸 の 色 恋 沙 汰

  タ ヌ キ ノ イ ロ コ イ サ タ

そういう訳で暇を持て余した雪華に愚痴を垂れる。

「とうとう忍冬に振られたか。ふふ、これは愉快愉快。

お前らの関係はいくらも続くまいと思っていたよ」

「そんな風に思っていたのかよ。俺は傷心なんだ。慰めてくれたっていいだろ」

「やさしくたっぷりと、傷口に塩を塗り込んでやるよ。

忍冬は雪花のような高い鼻をへし折るのが好きなのだから、

虐められて悦ぶお前の相手など……」

ふふ、と雪華は鼻で笑う。

「短い間とは言え、よく持った方だろう」

「やめてくれ。忍冬だって愉しんでいると思っていたのにさ。

嗜好違いと言わせるなんて自分が情けない」

「そうかい? 贅沢を味わっておいてけしからん奴だ。忍冬の中で果てたのだろう?

羨ましいよ」

「まあ、あれは……とてつもなくよかった。

初物でもないだろうが、引き締まっていてこの上もない」

「いいねぇ。しかし、それももう愉しむことはできない」

「それだよな。あんな振り方があるか? 期待させておいて、天辺から突き落とされた気分だ」

「嗜好違いなのだろう? こればかりは仕方のないことだ。

私であれば、何者にでも成り変わって愉しませてくれるというのに」

言いながら、雪華は俺の着物に手を差し入れる。

春めいた季節は過ぎようとし、夏に向けて俺の皮衣の様相は変化していた。

季節の変化を機敏に感じ、先取りするのが遊び歩く輩にとって初歩の初歩だ。

皮衣も当然にして。

「そうだ、桜の花片の礼がまだだったね。お勧めの色猫を紹介してやるとしよう。

しかし、色猫遊びをするにはまだ早い。いない忍冬を想って熟れていては腐ってしまうよ。

せっかくだから私と戯れていけ」

「いいぜ。次の相手を見つけるまでの腰掛けだ」

「私を腰掛けだなんて図々しい狸だ。まあ、そんなことはどちらでもよいことだ。

式神も呼んで愉しもう。お前が寄こした蝶も式神として可愛がっているのだよ」

「そいつはとびきり艶めいた式神になっただろう」

「ああ、そうだね。私に似せて作ったのだから間違いなく艶めいている。

その身で確かめてごらんよ」

艶美な微笑みを浮かべ、雪華は式神を呼び出した。

紹介された色猫は摩夷夏の猫だった。

橙と白の縞猫は、あどけなさが残る中にも雄の色づきを匂わせている。

雪華の紹介であるし、売り出したばかりということで、摩夷夏の主のもてなしを受ける。

主の紅白狐は雪花といって、見るからに狸を悦ばせる身体をしている。

実物を前にして思ったのは、忍冬が好む理由はこいつの高い鼻だけではないということだった。

「この度は双陽をご指名いただき感謝いたします。

未熟なために至らぬこともございますが、気の付くことがあれば些細なことでもご教示を、」

途中で遮って、口上を述べる雪花の顎を引き寄せる。いちいち決まり文句など聞いてられるか。

「ああ、そうさせてもらおう。

万一、気に入らなければ、お詫びに札無しの主を喰わせてもらうさ。

あの化け狸を惚れ込ませるとは恐れ入る。その手練手管を確かめてやるからな」

「手練手管などという大層なものは持ち合わせておりません。

古狸殿の妙技の前では足元にも及びませんよ。

桐生様がよいのであれば、あなたと花を交えるいい口実になります」

と、真実俺と交えたい風に言って笑った。

こちらの敵意も何のそのだ。客の絡みなど慣れたものなのだろう。

おまけに、顎に添えていた俺の手をひねり、空に向かって首筋を咬む真似をする。

「その時は、紐でも縄でも……とっておきのものをご用意いたしましょう」

そう言って頬を寄せたかと思えば、俺の首に残った縄の跡を舐めた。

そちらの嗜好はお見通しですよ、と耳元でささやかれた勝気な言葉にぞくぞくする。

とはいえ、こいつを今すぐ喰う必要もないので、ここは引いて双陽という猫を喰うことにする。

「それでは、摩夷夏でのひと時をごゆるりとお愉しみくださいませ、桐生様」

双陽は可愛らしい夏猫だった。

雌雄の境が不明瞭で好みであったし、傷心にちょうどよい苛みをもたらした。

甘やかな傷を作っていい気分になったので、御座敷に戻って遊び仲間の紫籐に自慢する。

その返しに、紫籐は冬の最中に四ノ猫を抱いた話をひけらかした。

ひけらかしたって今更新鮮みもない。

紫籐は四ノ猫の話をするのが好きで、もう何度も聞いているのだから。

しかし、ついに四ノ猫が娼館から足を洗ったらしく、惜しい惜しいと嘆く。

「せっかくの花烏を逃したり、気に入りの四ノ猫が色猫をやめたり、運のない奴め」

罵ってみるが、紫籐は本気で嘆くほど気落ちなどしていない。

珍味で酒盛りをして、見慣れない綺麗な舞い猫を遊ばせる。

ひねくれた紫白猫は言葉どおりのことを思っている訳でなく、平気なものだ。

「反抗的であるのに閨では可愛く鳴く猫ほど、すぐにどこかへいなくなる。

みなに愛おしがられる者が姿を消すのは世の摂理か。はて、誰の手に渡ってしまったのだろう。

しかし、不憫さで言うならば、私の運のなさなど桐生の比ではないだろう」

わざわざ振られなくてもいいだろうに御苦労なことだ、とつぶやく。

互いに罵り合ってゆるやかに過ごしていると、ちょうど骨董やらを売りに来た白橡が現れた。

「まだ愚痴愚痴とやってんのか。鬱陶しい奴だ。

忍冬が振ってやったのは聞き分けが悪いからだろう。

虐められたいばかりの桐生はしつこいからな」

眼帯の白橡は古狸仲間で、見計らったかのようにいい時機にやって来て酒宴に交じった。

本日は螢火という絵師の画を持ってきたらしく、野山や植物、光の様子が描かれたものだった。

輪郭線のない絵は色が混じり合い、どことなく花を交える時の高揚感に似ている。

それがよくて俺も何枚か買っていた。絵を手掛かりにしてぬくこともある。

白橡は雪花を通して絵を買い上げるらしい。

「絵師自身は不気味さを醸すのに可愛い面をしているのがいい。桐生も一辺、拝んでみろよ。

中身もな、雪華が手を付けようとしたら、それを断って雪花に初喰いを捧げたそうだ。

あの雪華を、だぜ」

ふん、そういう事情で元締めをしているのか。

「金も狸も上手に転がす狐だ」

毒づきながらも、絵を色々と見ていると、忍冬の花を思い起こさせる絵を見つけた。

それを手に入れて閨にでも飾ろうと思った。

夜が深々となる手前で、酒宴はお開きになった。

「野暮用に付き合え。早いところ、鬼の舗で物を手に入れたい」

商売品が金に変わって身軽になった白橡が言うので、どうぞ御随意に従いましょう、と茶化す。

鬼の舗なんて数が知れている。

頭に浮かんだ舗に的を絞ると、予想通り、鬼とは調教を生業としている鵤のことだった。

面をつけて両目を隠し、肩ほどに切りそろえた髪は輝きを放っている。

細身の身体であるが、恐ろしいのは腕力でなく眼力である。

その目で睨まれたなら、ひとたまりもないという。気づいた時には極楽だか地獄だ。

星渦堂の狸と同じくらい年若く、物静かな狸に比べ、こちらは軽妙。

性格も雰囲気も異なるが、餓鬼のくせにおどろおどろしさを持っている点で似ていた。

星渦堂の狸もさ、忍冬に興味を持たれて羨ましい限りだ。

ついつい声を掛けてしまうとぼやいていた。

だというのに、春は忍冬の誘いを断るそうだ。いいご身分だよ、ほんと。

「鵤、注文の品の受け取りだ。あんまり愉しみなもんだから、こんなに早く取りに来ちまった」

「はいよ、白橡さん。愉しみだなんて嬉しいね。すぐに持って来るから待っていてよ」

鵤は奥へ行って戻ってくると、長い木箱を白橡に渡した。

木箱の中身は何だろうか。

鬼は何事にも飛び抜けている。

こいつは調教をやるので、その道に秀でている。中身は閨の道具に違いない。

他にも、鬼の連中は酒造りや煙管など、技を要する物事に熟達している。

それにも増して、閨ではぶっ飛んだ快楽を欲するという。

遊び歩いている俺だって鬼と花を交えたことがない。だが、白橡は鬼と親しくしている。

「いい物だから、早く試してあげてよ。まいどありがとうございましたっと」

「中身が気になるんだろ。安心しろよ、お前で試してやるからじきわかる。

いつもの東屋へ行こうぜ」

その場所は、古狸連の会合でたびたび使う屋敷の庭にあった。

いつでも色事の相手を誘い込めるようにと鍵は掛けておらず、出入り自由だ。

南国風の東屋には籐で編んだ寝台があり、俺はそこへ突き飛ばされた。

木箱は端に寄せて、互いににおいをこすりつける。

荒っぽいやりとりをするので、これからもたらされるものに期待が膨らむ。

「お前のためじゃないぜ。小鬼らが悦ぶと思ったから買い付けたんだ。

だが、忍冬に振られた桐生が面白可笑しいから特別に使ってやる。

忍冬に、してもらえなかったんだろ」

「そうなんだよ。格別な奴を飼い慣らしてるくせに、俺に与えもしないで雪花で試したらしい。

がっかりだ」

「まあ、そう肩を落とすな。ほら」

目の前に出されたそれは、冬頃から閨の道具に加えるのが流行っているものだった。

鵤の舗で手掛けたものは特に躾がなっているので、高値で取引され、鑑定書も付く。

木箱の中身は、電気鯰だった。

それで花を絞られながら、後ろを侵される。

激しく責め立てられ、痛みに意識が飛んでしまうほど気持ちがいい。

白橡はこっちの性癖を持ち合わせてないくせに、俺を弄ぶのが上手だった。

面白可笑しいだとか、不憫に思っている風に言うが、単に気が高ぶっているんだろう。

自らは交じらず、視姦を好む白橡が珍しく積極的である理由は見当がつく。

あれだ、碧色の鬼が訪れる時期なのだ。

色欲狸の雪華には赤猫、狂い狸の白橡には碧鬼と、ある程度定まった者がいる。

化け狸の忍冬のお相手は俺。

そうありたかったが、どうも都合よくはいかないらしい。

だが、今は白橡に与えられる快感に溺れて、忍冬のことは忘れてしまおう。

鬼の酒にありつく算段を立てるために雪華の屋敷へ足を向けた。

碧色の鬼は竹林に棲み、白橡を気に入って新酒が出来る頃に現れるという。

そして宴に招き、酒と己をふるまうらしい。

鬼が催す宴に加わるのは難しいが、土産の酒を頂戴することなら易いだろう。

足取りも軽く、雪華に会いに行くと、例の式神が出迎え座敷へ案内する。

珍しく先客がいた。しかも戯れの最中だった。

華奢な身体に雪華の手足が絡まっている。

綺麗な雌同士が遊ぶような美しさにしばし目を奪われた。

乱雑に切った髪が端正な顔にかかり、雌雄が判断できないほど細い輪郭線。

白い肌は透き通り、驚いてこちらを見た目は紫紺。

上品な桜の他に竜舌蘭のにおいが溢れ、堪らない気を起こさせる。

「絵師の螢火だよ。桐生は絵を買っておいて、顔も花も知らないのだろう」

下になった螢火の片足を肩までかかげ、もう片方の脚に乗って花を挿入している。

松葉が交差する様に俺は咽喉を鳴らした。

雪華の空いた手が螢火の花をなでになでている。

目の前の狸らは汗を滴らせ、蜜を迸らせる。むせ返る色気だ。

果てた螢火に接吻して、雪華がようやくこちらに向き直った。

「今日は何の用だい? まさか、これを知って拝みに来た訳ではあるまい」

「知っていればもっと早く来ていたさ。碧色の鬼が現れる頃合いだから算段を立てにきた。

白橡から酒を奪うためのな……だが、どうもそれどころじゃあないようだ」

「ああ、少し忙しい。しかし、もうそのような時期になったか。

白橡ばかり鬼の旨い汁を吸うのは口惜しい。手を打って、鬼の酒で咽喉を潤してやろう」

溢れた螢火の花蜜を吸いながら、乾くことを知らない雪華が言った。

この時初めて、俺は螢火を認識した。

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