春先-玖 裏方仕事に失敗した紺は黒糖に積年の恨みを当てる
黒糖/
腹拵えも食後の一服も済んだことだ、と籠ノ目へ足を向けた。
作為に満ちた場所であっても大いに愉しめること間違いない。
当分の間、金に困りはしないから何の心配もなかった。
久々に黒鶫の札さばきやいかさまを拝んでやるのもいい。
それなのに籠ノ目ののれんを前にして気が進まない。
なぜなのか。理由はそりゃ……ここで遊ぶことは嵐雪の手の内へ戻ることだ。
こんなことなら客として色猫買いでもして、雪花の懐をあたためた方がマシだ。
それでも俺の花は相手が違うと不満を言うのだろう。
ねぐらへ帰ろうか、賽子で遊ぼうか、帰ろうか、遊ぼうか……はたまた色猫でも。
舗の前にいても仕方がないので入り組んだ路地へ足を運ぶ。
絡み合った考えをすっきりするのに隘路をぶらつくのは打ってつけだ。
古狸連中が好んで使うこの路も嵐雪に教えられたものだった。
歓楽街の赤い灯籠や客引きの声が遠のくと、夜を月明かりが照らしていた。
狭い路を細く月が照らす中、尻尾のある三毛猫が視界を過った。
雄猫だ。黒地のくせに、茶に染めた赤の差し毛。
どこへ向かうんだろうな。その尻尾を追うような追わないようなで跡を付ける。
角を一つ曲がったところで猫を見失った。
代わりに、抑えた呼吸と呻き声が聞こえた。
裏 桔 梗
ウ ラ ギ キ ョ ウ
紺/
ざらっとした舌で舐められて意識が戻った。痛みに呻く。
薄目を開けると、尻尾のある猫が走り去る。
暗くてはっきりしなかったが、今のは尾先と足先が白い紺猫だった気がした。
頭をもたげ、夜闇に目が慣れてくると、月明かりの下に人影を見つけた。
いつから立っていたのだろうか。
「……黒糖さん。何で……いえ、どうしたのですか。こんなところで……」
私は木塀に背を預けていた。
座った状態で片足を立て、その膝に腕を乗せ、頭を伏していた。
「紺……お前、大丈夫かよ」
私のことを気に掛けてくれるのか。
「慣れていますから。大丈夫です、これくらいの傷ならすぐ治ります」
ああ、こんな姿を見られてしまった。
ふっと力ない笑いを漏らす。
「今回の取り立ては失敗でした」
ただでさえ目のいい黒糖さんのことだ。全部見えているはずだ。
今は取立て屋の格好で、それにも皺が寄り、土も付着している。一部破れさえしている。
鉄錆の味がするのは、口の端が切れたからだろう。
金の回収もかなわず、挙句の果てには獲物の猫に裏をかかれた。
そんな折に黒糖さんと遭遇するとは、こんなに惨めなことはない。
黒糖/
紺だ。
架空ではなく本物の紺だった。
風邪を引いた時と同じに弱っていたが、あの時と違って気が立っている。
微かに血の匂いがする。それ以上に、桔梗のにおいが花を突く。
俺の花が強く求めている桔梗のにおい。俺の背筋を熱く震わせる紺のにおい。
それなのに、自分ではない誰かに絞られたのだ。
正直、腹立たしい。
「失敗? はっ……取り立ての獲物に後ろを掘られたんだろ。世話ねぇな」
苛々する気を抑えられない。そのせいで紺を煽る言葉を放つ。
「ふん、取立て屋をして長いくせに何だってそんな隙を見せたんだ。
それとも獲物相手に戯れ事にでも誘ったのかよ。春だもんな」
「だからって誘ったりしません……そこまで夜の相手に不自由していませんよ」
不自由してないのかよ。研ぎ師の顔が頭に浮かんで嫌になる。
しかも、酷いことに紺から白檀のにおいがする。
押し留めていたものが溢れ出す。
「どうだか。ねぐらで俺を襲ったじゃねぇか」
「それは……別です。私の気持ちを承知のくせに」
怒りを見せながらも傷ついた表情をする紺が愛おしい。
何だこれ……胸がぎゅって……締め付けられる。
ぞわぞわした感覚が這い上ってくるが、言葉を続けようとしたら殴られた。
ばっと起き上がってつかみかかったかと思うと、押し倒されていた。
本気で怒らせたみたいだ。まあ、本気でそうさせるつもりだったのだが。
紺の目の色が変わっていた。
ああ、今晩の紺は、最初に会った時みたいだ。
紺/
体勢を立て直す間を与えず地面に押し付けた。
例の発情期も終わり、野良猫に戻った黒糖さんに手加減などできない。
余裕はないが何とか力で押さえ付け、すかさず首筋を咬んだ。
信じられないという目で私を見るので胸がすく。
前から黒糖さんの腰をつがえ、花を弄ぶ。
「発情期の時と違うんですね。ここも全然……ほぐし甲斐がある」
顔も身体も火照らせて、すでにあらがうこともできない状態になっている。
今晩の黒糖さんは苛々しているように見えた。
怒りを爆発させたのは私の方だが……恨めしい恋心が積もり積もっていた。
だが、積年の恨みも消し飛ぶくらい気持ちいい。
「すごい……」
腰を動かさなくても限界に達しそうだ。
ここしばらく続いていたうずきが頂点に向かっているのを感じる。
「はぁ……はぁ……っ」
そうなのだ、最近ずっと黒糖さんを襲う夢を見る。
しかも、夢の中の黒糖さんが私を誘うのだ。
私にまたがって……こちらの花を握って自分の後孔に挿入する。
こんな夢を見るなんて、欲求不満もいよいよここまで来たかと思う。
夢から覚めると酷い有様で、ここ最近は起き抜けのうずきを収めるのに精一杯だ。
「ああ……あ……っ」
早くも絶頂に達すると、うずきも焦燥感もゆっくりと消えていく。
下になった黒糖さんを見ると、とても満ち足りた表情をしていた。
「襲われたのになんて顔をするんですか……本当にふしだらなんですから」
「紺のせいだ……ふしだらでもいい、気持ちよかった……ずっと……こうしたかった」
「……え。今、何て」
「……もう二度と言うか。俺の負けだってことだよ」
驚きを隠せずに茫然としていると、黒糖さんから誘ってきた。
もしかしたら、まだ夢を見ているのではないだろうか。
黒糖/
昔を思い出していた。
あの時、桟橋の下で弱り果てた猫を見つけた。
背の高い紺猫で、尾先と足先が白い。
年の頃は同じくらいだが、俺より毛並みに艶があって上品な部類だ。
複数人に押さえ込まれ、薬を飲まされていた。
上品といっても今はぼろ雑巾のようになって、目に怒りを燃やしていた。
天狗様の罰だ。
ちょうど木天蓼畑の猫被害が流行った。
それに便乗したならず者が、犯人でもない者を標的に天狗様の罰という名目で薬を飲ませ、
薬漬けにして事を愉しんだ後で猫捕りに売っていた。
野良猫はそういうのが嫌いだ。当然、野良猫の俺も。
紺猫は、違う違うとわめいていた。
聞く耳を持たない連中相手に言っても無駄だろうに。
言いがかりをつける連中も捕まる猫も目の前から消えろと思った。
そう思ったから暴れ回った。ただそれだけだった。
気が済んで立ち去ろうとしたところ、息も絶え絶えの紺猫に引き留められた。
発情期に似たにおいをさせるが、それ以上に身体から流れた血が強く臭う。
最初からこの様だったので俺はこいつを無視して暴れた。
何かを訴えてくる目が合ったかと思うと、たちまち紺猫は気を失った。
「死んだか?」
死ぬような薬でないのは知っている。手負いだったが息もある。
だが、このまま放置したらどうなるかなんざ考えたことはなかった。
最後に目を合わせた猫がくたばるのは夢見が悪い。
だから、介抱した。
紺/
全身が痛い。身体が重い。酩酊している。
それでも半身を起こし、呻いて身体を丸めると、包帯が目に映る。
上半身に包帯を巻かれていた。冷静にも骨が折れたのだろうと思った。
ぼんやりした頭で辺りを見回して、見知らぬねぐらにいることに気づいた。
室内は殺風景だが生活の気配があった。
ここはどこなのだろうか。なぜ自分はこんなところにいるのか。
包帯、怪我……ならず者に襲われたことを思い出した。
一人でいるところを因縁をつけられ囲まれた。
まずい状況に陥ったことに気づいた時には身動きが取れず、薬を飲まされていた。
木天蓼が匂い立ったように蘇り、吐き気がする。
同時に身体が熱っぽくもある。
包帯をされているということは、誰かが手当をしてくれたのだろう。
近くでもぞもぞする気配を感じると、それは起き出した。
「お、やっと起きたな。ふわぁ~あ……」
布団に埋もれていたが頭を出す。だらしない様子の黒猫だ。
起きたばかりの猫に、やっと起きたと言われるのは不服だ。
「いつまで寝てんのかと思ったぜ。くたばり損なったな」
にやにや笑うが、俺を世話したのはこの猫なのだろう。
じっと顔を見つめていると、暴れ回った姿を思い出してきた。
あの時と雰囲気が違い、すぐに気づかなかった。恩人だ。
俺はあと少しで薬漬けにされるところだった。その後は猫捕りに売られるのだ。身震いする。
「悪いな。布団がこれしかないんだよ。丸二日、俺の布団を取りやがってよ、すいませんだろ」
そうなのだ、一つの寝具に入っていた。共寝だ。
「……丸二日? そんなに……すいません」
「馬鹿正直な奴。そんな風だから狙われるんだろ。いいにおいさせて、溜まらねぇ」
飲まされた薬のせいで身体が発情期の様相だった。
猫は頬をすりつけてくるが、それに留まる。
共寝したこの猫は俺に手を付けなかったようだ。
黒糖/
気づけば紺猫が懐いていた。
骨が繋がるのを待てばいいのに、待てないと言うから花を交えた。
薬でつらそうだったし、こんな風に懐かれることは今までになかったことで、可愛く思えた。
だから、まぁいいかという理由で抱かれてやった。それで終わった。
その後、雪華の娼館で再び出会った。その時、俺は嵐雪にどっぷりで。
高揚するが振り回されるばかりの嵐雪と違い、紺とするのは気持ちいい。
やさしく触れてくるからだ。馬鹿な俺を慈しむみたいに。
紺もそうだが、俺も大概だ。
こんな風にされて、雄猫の俺でも孕むんじゃないかって思う。
「夜の相手に困ってないんだろ。こんなに激しく攻めるな」
「そんな、無理です。あれは売り言葉に買い言葉ですよ。
私の気持ちは変わらず……あの時からずっと黒糖さんのことが好きなんですから」
唇を合わせるせいで鉄錆の味がする。ほんのり蜜の味も。
紺は発情期を起こして熱くなった身体をぶつけてくる。
触れ合った部分が熱を持って快楽を生む。
隘路の一角で戸外にも関わらず欲望のままに互いを求め、とろけるほどに花をこすり合わせた。
事が済んだ時、二匹の猫が尻尾を絡ませていた。
辺りには椿と桔梗の花片が散り乱れ、あたたかな春の夜更けに猫は盛りを尽くした。
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