春先-捌 罠にはまった黒糖は架空の紺に弄ばれる日々を送る
黒糖/
瞼を開けると、太陽は高く昇っていた。
この感じならとっくに正午は過ぎている。
まだ寝ていたいと思って布団にもぐり込むものの、もう眠れない気がした。
諦めて、布団の中でうーんと背筋を伸ばして起き出す。
ふらふらした足でその辺に転がった空の酒瓶を避けつつ厠へ行く。
頭を掻いて用を足した。
伸びをしたり頭を掻いたりするのは、気を紛らわせるためだった。
そんなことに意味はなく、自分の身体に触れるとうっかり変な息が漏れた。
中を突かれる感覚に身体がうずく。眠れないと思ったのはそのせいだ。
発情期の熱が醒めても、花片が取れても、それは変わらなかった。
うずきに慣れたと思ったが取り消すしかない。
あれから酷くなるばかりで……どんどん激しくなる。
「はぁ……はぁ……っ」
こんなことが習慣になりつつあり、戸惑いを覚える。
あれから一週間が経っていた。
野 良 猫
ノ ラ ネ コ
厠を出てすぐにも壁に寄り掛かった。
身体がうずき始めると、毎度この感覚に襲われる。
「……紺、紺……こ……ん」
名前を呼んでも意味などない。応える者はいないのに。
片手で自分の腕を抱き、残ったもう一方の手で口を押える。
声を出さないようにして荒くなった息を整えようとしたって上手くいかない。
雪華の誘い文句に乗って、酔っ払った紺と花を交えた。あの晩のことが生々しく蘇る。
だいたいが俺は入れられる側で、あんなことそうそうする訳じゃない。
だってあれは……俺の後孔で紺を犯したのだ。
落ち込むやら恥ずかしいやらで、どっちにしてもいたたまれない。
思い出すとうなだれる。
だが、
花で突かれて気持ちよかった……蜜が溢れるのを同時に感じるのも……すごくよくて……
それに桔梗のにおい。
駄目だ、ぞくぞくしたものが突き上がる。
紺を感じて背筋が震え、ついに花から蜜を放出した。
「ああ……っ」
とろけたものが飛び散り、腰の辺りが汚れた。不快感がありながらも妙に興奮する。
壁に寄り掛かった状態でずるずると床に崩れ落ちる。
毎日毎日、架空の紺に襲われる。しかも絶対に手加減されない。
肩で大きく息をする。
興奮の度合いが凄まじく、涙が出て涎が垂れた。
いつまでこんな感覚に襲われるんだ。いつ終わるんだ。
くそ、古狸め。紺をめちゃくちゃにしたらこれは終わるのか?
めちゃくちゃにしたら……紺は悦ぶだろう。
可愛い顔をして嬉しいって、気持ちいいって。
それがたやすく想像できるが、こみ上げてくるものを押し留める。
紺に会いに行こうとは思わなかった。
一体、何て言えばいいんだ? 花を交えて、それで?
それなのに紺のことばかり考えてしまう。
「紺……」
いもしない相手を呼んで虚しくなる。
熱を放出してしまうと、野良猫の感覚が戻ってくる。身体が冴え冴えする。
自分に爪を立ててやりたい。意味もないことだ。
「どうすりゃいいんだ……」
次に目が覚めた時、辺りは黄昏に染まっていた。
空腹も感じる。ちょうど腹も鳴る。
だが身体を洗い流すのが先だと、空腹のまま近場の銭湯へ向かった。
番台で金を払い、さっさと衣を脱いで籠に放り込む。
髪が湯に浸からない程度に結び上げ、手拭いを持って浴場へ向かう。
ここは銭湯なのだが一種の盛り場でもある。番頭も黙認している。
それとなく脱衣所で好みの奴がいないか目を光らせもした。
そうやって都合が合えば戯れるが、何だかなあ。気が乗らない。
掛け湯をして湯船に身を沈ませる。ただただくつろぐ。
だが、見られているのは俺も同じで向こうから声を掛けてきた。
「おい、三毛猫。ちょっとどうだ?」
声を掛けてきた奴を見ると、いつもは眼帯の古狸だった。
「何だよ、白橡かよ」
さすがに銭湯で眼帯はしてないが、前髪が長くて目なんか見えない。
その目だって本当に見えてるのかどうも怪しい。
嗅覚で適当に相手してんじゃないかと、俺はずっと思っている。
ずっととは、嵐雪に育ての親と紹介されてからずっとだ。
こんな風に嵐雪を思い出すと腐ってしまう。
しかも白橡はあの晩、雪華の閨に忍び込んでいた。
何を企んでいるんだか。
「何だよ、とはつれねぇな」
白橡は裸の俺の胸に手を突いた。
そうしてから、その手を上へずらし、顎を引き寄せる。
相手も裸だ。古狸連中はみな物持ちがよく、旨そうな身体をしている。
互いに軽く肌に触れて合意に至れば、湯船の中で戯れ事に興じる。
だが白橡にその気はない。狂い狸の性癖も承知している。
そして食えない連中だ。喰ったら腹でも下すに決まってる。
「その気もねぇくせに」
「お前こそな。だが、こんなところにいたら襲われるぞ。襲って欲しいのか?」
「襲われるって決めつけんなよ。もう四ノ猫じゃねぇ。自分の身くらい自分で守れる」
と言いつつ、毎日紺に襲われている俺だ。
「本当かよ。じゃあ試しに襲わせよう。白桃、黄桃」
「?」
そう言うと、白橡の後ろから二つの顔がひょこっと覗いた。餓鬼だ。
「ウチで預かっている小鬼だ。可愛いだろ?」
「今もそんなことしてんのか、よ」
少女めいた容姿の小鬼が正面から抱き付いてきた。
空いている背に、回り込んできたもう一人が抱き突く。
湯の中だ。両側から花が直に触れ、しっかり雄だと主張している。
「やってやれ」
餓鬼二人にはさまれる形になり、乱暴に振り払うことができない。
それを眺める白橡は、満足げににやついた。
銭湯でひと汗どころでない汗をかいた後、屋台に足を向ける。
さっきの餓鬼どもは、未熟ながらも花を乱し乱されるのに長けていた。
白橡も目の前でぬくものだから小鬼どもはますます興奮してはしゃいだ。
気持ちいいのはいいのだが、相手が違うといって俺の花は不満を訴える。
半端な気分で歩いていると、腕を引き留められた。まだ絡んでくるのか。
「ちょっと付き合え」
「腹減ってんだよ」
「じゃあ飯にしよう。支那麺でいいだろ」
「おい、小鬼たちはどこ行ったんだ。面倒をみなくていいのかよ」
「家へ帰らせた。さっきので、お前よりしっかりしているのがわかっただろ。
それに、帰って二人で仲良くするのさ」
強引に腕に手を回し、ほとんど引っ張るようにして連れて行かれた。
白橡は鼻歌交じりに屋台ののれんをくぐる。
口調も鼻歌も強引さも嵐雪にそっくりで嫌になる。
嵐雪はこいつの庇護の下で狸に交じって育ったんだ。
似ているのは仕方ないが、勝手に二人分の支那麺を注文している。
「今晩は~。黒糖さん」
「お、火狐じゃねぇか」
席に座ると、隣が火の狐だった。余所者と聞いていたが、あまりに馴染んでいる。
「ここの支那麺が旨くて常連になっちゃった。あ~、美味しかった! ご主人、ご馳走様!」
まいど、という威勢のいい声とともに火狐は立ち上がった。
「こんなところで一人でいいのかよ。桃花の乳でも揉んで来いよ」
「黒糖さん、そんなこと言ってるとまた蹴られちゃうよ~!
それにい~の! 今晩の算段は付けてあるからね。俺たちの心配より自分の心配しなよ!」
火狐はにししと笑って去っていった。
「あーあー、羨ましいぜ」
支那麺を食って、屋台を出たところで煙草を呑む。旨い、とぼやく。
白橡は煙草屋商売をしているので、俺が椿葉を使っていることに目敏く気づいた。
梅乃さんにもらったことも見抜いた。
「いい奴を呑んでるじゃないか。さっきの、お前でも羨ましいと思うことがあるんだな」
「別に」
だんだんに日が暮れていき、辺りは薄暗くなっていた。
それでも冬の間に比べて暮れるのはゆっくりしている。
天が暗くなる一方で、歓楽街の方向にぼちぼち火が灯りだした。
摩夷夏もそろそろ客を取り始める時刻だ。
紺もあの辺りにいるのかと思うと、似合わない溜め息が出た。
「その様子じゃあ花合わせの答え合わせをしてないんだろ。
さっさと決めろよ。時間切れになっちまうぞ。
天狗様も痺れを切らして精根枯れちまうぜ。いいのかよ」
「精根枯れるのは嫌だな……あー、俺だって紺と花を合わせたい」
「ずいぶんはっきり言うんだな」
「心に背いた行いは駄目なんだろ。俺は遊戯の規則は破らねぇんだよ。
それに、古狸に見栄を張ってもな」
「突っかかるだけ突っかかるくせに、閨のやりとりに関しては素直だな。何を躊躇う?」
「……花合わせだけじゃあ紺は納得しねぇよ。その後も期待してんだ。
どうすりゃいいんだか」
「小難しく考えないのがお前のいいところだろ。それでいいじゃねぇか」
接吻でもする仕草で顔を近づけたかと思うと、顔面に煙をふきかけられた。煙ったい。
「紺のところに行かねぇなら、鴨は鴨らしく賭博場にでも行きやがれ」
そう言って、笑い声を上げて俺の胸を突いた。
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