春先-漆 雪花と黒木が黒糖の発情期を解くための処置を施す


雪花/

庭先で鳥のさえずる声が聞こえている。

春の訪れとともに、番いの相手を誘うために鳴く春告鳥だ。

こいつらは警戒心が強いために姿を見せることがない。

一方、姿をさらす無防備な緑褐色の鳥は目白だ。黒糖はそっちの部類だ。

「いい声を響かせて鳴くのは私たちと変わらないようだ」

後ろの黒木に言うと、そうですねと笑う。

「春告鳥の鳴く頃合いに、春猫たちも相手を求めてめいめいに鳴いていますね。

瞬く間に薬を解く時期が来てしまいました。黒糖くんを手放すのは惜しいことです」

光が当たってほんのりあたたかい渡殿を通って、黒糖を待たせている座敷に向かっていた。

黒木は中瓶を包んだ風呂敷を手に提げている。蜘蛛から預かった解薬だ。

座敷へ着くと、柱に寄り掛かって黒糖は気持ちよく眠っていた。

障子も開け放して何の警戒もない。

「いつまで経っても無防備な三毛猫だ」

「まったくです。最後までその様子は変わりがありませんね」

午睡に浸る黒糖を見て、黒木に解薬の処置を施すように言った。

解 薬 の 刻

  ゲ ヤ ク ノ ト キ

黒糖/

「今期はよく働いてくれた。お前のおかげでたんまり儲けが出たよ。

約束だからな、お前の色猫を解いてやろう」

利き酒の晩から数日を待たず、雪花にそう言われた。

奉仕の金も渡すから、と指定された座敷で待っていた。

やっと開放される。思えば長い冬だった。

借金を返すために閨で働くのも、媚薬のせいでいいようにされる日々も終わる。

庭に向かった戸を開け放していると、春の陽に包まれる気分になる。

日向ぼっこにちょうどいい座敷だった。柱に背を預けて座っていると、眠気を覚えた。

毛先に感じる温もりがくすぐったい。

今が何時だか知らないが、雪花が来る気配はない。

春の陽気に誘われて、俺はうつらとして舟をこぎ始めた。

雪華に仕掛けられた花片は俺の中にくっついたままで、時々うずくがそれも慣れてきた。

眠りとそれの気持ちよさに、熱っぽい息を吐き出した。

同時に身を震わせると、眠りの淵で影のようなものに誘われた。

それで、俺は心地よい舟を降りて目を覚ました。

黒木/

粘液状のものを手に取って花に塗り込む。

酔ってもないのに発情期が続いているせいか、喘ぎながらも黒糖くんは眠っていた。

花の処置が済んだので後孔に取りかかる。

下腹部を押さえ、ぬらぬらした花を眼下にして後孔に数本の指を挿し入れる。

こちらにも粘液状の薬を塗り込むのだ。

「あ、あ、あ……っ」

壊れた機械のような声を上げて、黒糖くんは目を覚ました。

「ようやくお目覚めですね。以前にもこのようなことがありましたか。

今度も処置をしている間のことは覚えていないのでしょう。

でも肌を合わせた記憶はあるはずです」

「ああっ……この変態猫……っ!」

黒糖くんがそう言った瞬間、盛大に蜜が放出された。

それが私の顔に飛び散ったので、手の甲で拭い、口の周りを舐める。

「言葉に反してずいぶん気持ちのいいお顔をして……悪態すら官能的ですよ。

利き酒遊びも夜伽も愉しんだのでしょう。羨ましいことです。

ですが、こんなところに桜の花片が貼り付いているということは……花合わせをしましたね」

「ふん、花合わせか。古風な手を使ったものだ」

「何はともあれ、古狸の仕込んだ花片を取り除いて差し上げましょう。

花がうずいて仕方ないはずです。

発情期の上に花合わせをするなんて、とんでもなくいやらしい身体ですね。

こちらは少々勝手が違いますから、辛抱していただきますよ」

雪花/

黒木は必要以上に時間を掛けて花片を取り除いた。

取り除いたそれを吹き飛ばすと、息も絶え絶えの黒糖のへその辺りに落ちた。

ご隠居の閨で行われたことを紺は覚えていなかった。利き酒遊びのこともうろ覚えだった。

次の日は二日酔いでつらそうにしていたしな。

あの時、紺が狩りの気配を漂わせたことが、珍しくて興味深かった。

口移しや黒糖の花を咥えた様を伝えると、耳まで赤くして狼狽した。

覚えていないのは真実らしく、紺を支持する訳ではないが、もったいないことだ。

そういえば、発情期になってしまったか、この春になるかもしれないと、打ち明けてきていた。

おそらくは後孔に花片が貼り付いてうずいているんだろう。

ということは、紺にも同じことを仕掛けているのか。

これが終わったら確かめてみるか。たまには紺と遊んでみるのもいいかもしれない。

花合わせにそれほど効き目があると思えないが、注意するに越したことはなかった。

そもそも、ご隠居が紺に賭けるなど馬鹿な話だった。

手をこまねいて、端から賭事に勝つつもりがないのかと思っていた。

それが今頃出てきて、花合わせを仕掛け、黒糖を焚きつけようというのか。

だいたい、なぜご隠居は紺に惚れると賭けたのだろうか。

黒糖/

「続きは、雪花さんにお願いすると致しましょう」

奥がじんじんしている。

花片を取り除くのは、皮を剥がすに近い痛みをともなった。

身体の表面の傷や怪我は平気だったが、やわらかな部分は堪え方がわからず涙が出た。

可哀想に、と言って黒木は口で涙を吸った。

そうしてから口を下方に移すと、花から始めて脚、爪先にかけて舌を這わせた。

少し戻って足の甲に接吻し、身をひるがえした。

黒木が触れた箇所はてらてらと光り、明るい光の下で俺の身体は卑猥な感じがした。

「ああ、ご苦労様だ。これでまあ、ご隠居の手の内を知ることができた。

そうだ、黒糖は烏のことを覚えているか? 薬師の屋敷に囚われている猫だ」

「あの猫のことを忘れられるはずがねぇだろ」

「ははっ、そうだろうな。あちらはまだ解放してもらえないそうだ。

烏は嵐雪を恨んでいるという。お前はどうなんだ?」

耳元で雪花が囁くと、まだ首の辺りがぞわぞわする。

「俺は……」

俺は嵐雪に拾い上げられた。

定まったねぐらがなく、酒を呑んで意味もなく喧嘩ばかりしていた。

あの時も居酒屋で酒を呑んでいると、いい呑みっぷりだとかで声を掛けてきた。

普段は忘れていても、思い出そうとすればできるもので、あの晩の出来事が蘇る。

好みの猫だった。誘ったのはあっちなのに、あっという間に惚れて花を交えた。

嵐雪といると、跳躍する勢いと爽快感があっていつも気分がよかった。

心をくすぐるのが巧く、閨の遊びも手練れて桁違いの快感を知った。

だが、嵐雪がいる世界は物事が速く過ぎ去り、俺はよく置いてけぼりを食った気になる。

実際、それを食わされて途方に暮れた。

再会した嵐雪を嫌いになれなかったが、もうどうでもいい。

紺の顔が心に浮かんだ。

黒木/

「もう、どうでもいい……」

黒糖くんはかすれた声で呟いた。

「そうしょげるな。嵐雪はお前が好きであれこれ仕組んだんだ。

流れ歩いていても、ここを故郷と思っているのは変わらない。いなくなっても戻ってくる」

「嵐雪のことはもういいんだ……」

「……そうか。色猫仕事は終わるが、お前ならいつでも歓迎している。

しばらく懐具合はいいだろう。『猫』でも客でも大歓迎だ」

カラカラと笑ってみせますが、黒糖くんの言葉が気がかりのようですね。

「お前との主従関係も終わりになる。

それに、身体を冷やしてからねぐらへ戻った方がいいだろう。少し遊びに付き合え」

「ああ……」

自棄気味の黒糖くんを隣の部屋へ促す。そこは一見、応接室の風だった。

洋物の長椅子と背の低い卓子。

向かい合わせに椅子があっていいはずの場所に大きめの鏡があった。

ははぁ、この部屋は。

「この部屋かよ。そうやって最後まで俺を虚仮にするつもりだな」

「憎まれ口が叩けるなら、まだ元気があるようだ」

雪花さんは椅子に座って黒糖くんを後ろから抱き、その状態で脚を大きく開かせた。

薬を十分塗り込まれ、私にほぐされた身体は、すんなりと花を受け入れている。

私は卓子に腰掛けた。両眼でじっくり見届けると致しましょう。

雪花さんは黒糖くんの呼吸に合わせて腰を突き上げる。

繋がった部分が露わでいやらしく、快感にのけ反る様は散り乱れる牡丹。

行き場のない黒糖くんの花は、雪花さんの手で絞られた。

大きな鏡にその姿が映る。

煽る道具であるはずですが、これでは逆効果になるのでは、と心の内で思う。

花片のうずきは、花合わせの相手を意識させると言います。

今まさに紺くんにされている感覚がしているはずです。

花合わせは単純な行為だけに、しつこく黒糖くんの心を揺さぶるでしょう。

せいぜい踏ん張ることです。

賭事はどっちに転ぶかわからないから面白い、とはよく言ったものです。

悦に入っていると、お早いことに黒糖くんは絶頂を迎え……これも今日で見納めですね。

雪花/

黒糖を開放してすぐ紺を呼び出した。

黒木に花片を剥がす要領を聞き、紺のも剥がした。

涙を一筋流すので指ですくって慰めの言葉を掛ける。

「夜伽の際に仕込まれたようだ。ご隠居の悪戯だ、気にするな。まじないの一種だよ」

「え……何のですか」

「古狸連中が考えたくだらないものだ。もう大丈夫だろう。早く忘れた方がいい」

「雪花さん……でも、これ……その、黒糖さんに突かれているような気がして、すごいんです」

変ですよね、と照れ笑いをしながら言う。

体内に異物がひそんでいたことに紺は気を悪くすると思った。だが、そうでもなかった。

「まじないなんですか? 何かの色遊びみたいですね」

紺もか。

熱っぽい息を吐くので惹かれるが、今は紺と遊ぶのはやめた方がよさそうだ。

締まりのいい腰に添えていた手を引っ込める。

これは、都合の悪いものを仕掛けられたかもしれないな。

黒糖は、私と花を交えながら絶頂の瞬間に紺の名前を呼んだ。

ふつうは不愉快であるはずだが、豆鉄砲でも食らった気分だ。

無意識かと思ったがそうでもなく、余韻のように何度も呼ぶ。

黒糖があんな表情で紺の名前を呼ぶなど、ちょっと信じられない。

鴨はいつも懐に戻ってくるものだった。

しかし今回は……どうもこれは、雲行きが怪しくなってきたようだ。

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