春先-弐 四ノ猫一件をせびる藍に鴨である黒糖の話を明かす
嵐雪/
緋色ののれんには屋号が書かれていなかった。
戸口近くの柱には、竹で編んだ籠を釘で引っ掛けてある。
籠目模様は邪を払うというが、邪なものを集める舗であることを承知でそうしているのだ。
その心意気が好きだ。神に喧嘩を売っている。
さらには、札に釘を刺してあるのだ。
籠ノ目、と荒々しい筆で書かれている。
その札は、隣を歩く雪花が懇意にしている絵師が書いたものだと俺は知っている。
かごめかごめを口ずさみながら、のれんをくぐって舗へ足を踏み入れる。
ここへ来るのは初めてだった。
歓楽街の中ほどに位置する籠ノ目は、
ひっそりと建っていながらも流行りの賭博場のために盛況している。
その盛り上がりも、静かな興奮が渦巻く類だ。
夜も更けた今時分、春先とはいえ、まだ肌寒い。
煙草で煙っぽい舗には火が入り、賭事に熱中する輩の顔を照らしていた。
しかし、全体に暗く感じられるのは、ここで行われる遊戯をくらます仕掛けだった。
連中のそばを通り抜け、向かうのは帳場だ。眼帯の狐を捜した。
賽 が 振 ら れ り ゃ
サ イ ガ フ ラ レ リ ャ
黒鶫/
紅白狐と中華猫の二人組がやってきた。
「やあ。雪花さん、ご無沙汰しているね。先日は美味しいお菓子を届けてくれてありがとう」
「この間は助かった。礼を言う」
「構わないよ。逃げられて困るのはこちらも同じだからね。忍冬さんの訪問中だったんだろう。
嵐雪さんは、初めまして。年始の酒宴で見かけたけれど、話をする暇もなかったね」
「そいつは失礼した。旨い鴨が盃を持ってたんでな、つい。
悪巧み仲間に挨拶を忘れるなんてどうかしてたぜ」
そういって嵐雪さんは声を上げて笑った。
「二人ともここで打っていくつもりかい?」
「そうだな、ひとつ打つのもいいが……今はやめておこう。別の賭事の最中だからな。
ちょっとばかり話でもどうだ。四ノ猫一件の話を聞きたがってる狐が到着しているだろう」
「ああ、そういう訳か。藍なら来ているよ。二階へ案内しよう」
すでに五番街の藍を二階へ通してあった。
案内しながら先日、紺くんが届けてくれた菓子のことを話題にする。
菓子は、娼館・摩夷夏の料理番長を務める壱鹿さんが作ったものだ。
「壱鹿さんはやっぱりいい腕をしているね。大福も善哉も美味しかった。
またご馳走になりたいよ」
「賭博場の主人が無類の甘味好きとは今でも驚く。
籠ノ目の口に合うとは壱鹿も大したものだ。ああ見えて、壱鹿は昔から舌が繊細だからな」
後ろをついてくる雪花さんはそう言った。
嵐雪/
右目に眼帯の籠ノ目は黒い羽織を肩にかけ、適度に着崩した格好をしていた。
暇を持て余していたのか、見つけた時はただ煙草を呑んでいた。それが様になる。
よく笑い、面も人当たりもよい。もてそうな奴だ。
だが、こいつがなかなか黒いものを持っているのだ。
二階へ上がって案内された部屋に着いた。
「遅い」
部屋には五番街の藍がいた。
長い藍色の髪を後ろで高く束ね、根付のような髪飾りをして洒落ている。
籠ノ目とは長い付き合いだと聞いていた。
護衛や興行に手を貸し、多少の悪癖に目をつぶればよい働きをする。
「ここはいつから色遊びの閨を用意するようになったんだ」
雪花が言った。平然としているが、反射的に頭の中で皮算用をしているんだろう。
部屋には花札で遊んだ跡があった。
中央の畳に花札が散らばり、盆に一合徳利と猪口が転がっている。
火鉢と網の上で膨れた餅。これだけ見ると賭博場とは思えない長閑な光景と言えた。
「色遊びか。お前らが早く来ないから始めてしまった。
最初から見せてやるつもりだったが時機を逃したな。悔しがるなら遅くやってきた己を恨め」
こちらに向けて不平を並べ立てるが、それが耳を通り抜けるほどに別のものに目を奪われる。
藍は狼を連れていた。胡坐をかいた脚の上に向かい合わせで狼の腰を抱えている。
銀色の立派な毛並み。見事な狩りをしそうな若々しい狼だ。
普段であればきっとそんな印象を受けたであろうが、今は藍に抱かれ必死にしていた。
狩りをするどころでなく、狩られている最中だ。
狼は藍に花を絞られているもんだから、可愛らしくも鳴いていた。
黒鶫/
「閨ではないよ。もともと舗の用心棒のために用意した休憩室なんだけどね」
念のため否定してみるが、みな聞いているのかな。
藍が連れてきたのは星渦堂の狼だった。俺たちよりずっと年少だ。
その名も銀というが、書物に接している時と違ってものすごく興奮している。
肩に上掛けのみで、
興奮しているのはここから見えない先で藍の手が妙な動きをしているせいだ。
「五番街の藍も、そっちの趣味があったのか。意外だよ」
「そっちというのはどっちだ。黒木と同じ趣味という意味であれば、それは違う。
こいつは食べ物を与えたら勝手に懐いたのだ。交尾期に入ったから世話を焼いている」
「そういう事情か。そういえば、忍冬が星渦堂で最近銀の姿を見ないと言っていたか」
「狼は冬がそうらしいな。猫の発情期とは訳が違うようだ。
世話とは……そんなことを言って気に入っているのだろう。だが、何と言ってもいい狼だ」
嵐雪さんは納得し、雪花さんは銀に興味を持ったみたいだ。
「狼は珍しいだろう。お前らが見立てたいだろうと思って連れてきたのだ。
その後は、四ノ猫一件の話でも聞かせてもらおうか」
藍は得意気だ。少し自慢したい気持ちもあるのかもしれない。
「では手短に終わらせよう。少々きつい思いをさせるが、いいか?」
「十分出来上がっているから大丈夫だろう」
銀はふかふかの耳も尻尾を震わせて、雪花さんに脚を開いて花を明かしている。
雪花さんは興味のあるものに触れて確かめる。
一方、嵐雪さんはどこまで興味があるのかつかみにくい。
銀に触れる気はないらしい。見聞を深めるためにただそうしている風に思える。
師匠の雪華さんの後継を争った仲と聞いているけれど、色に対する二人の姿勢は違っていた。
嵐雪/
「黒糖が逃げ出した時に居合わせたらしいな。当てが外れた黒糖の落胆ぶりを見たかったぜ」
藍に向けて言う。その膝を枕に、力尽きた銀が寝かされている。
「ああ、月喰を捜し回って舗まで来たんだ。帰りは赤猫に担がれていったよ」
「黒糖もよくやるものだよ。蜘蛛には道楽と笑われるわで」
「黒鶫から連絡が入ってからどう引き留めようかと思っていたが俺の出番はなかった。
しかし、自分から脱ぎ始めて診てくれってわめくんだ。花でも見せようってのか。
相手が月喰でなかったら喰われてたぞ。まあ、月喰も三毛猫に多少乱されたが」
最後の言葉は籠ノ目に向けられたようだった。
「その話は初耳だ。黒糖くんが……月喰をどうかしたのかい?
あの時の黒糖くんは血相を変えていたが、冴え冴えとしていたし……まさか」
聞いていた籠ノ目の心象より少々食い気味だ。
高嶺の花である月喰の先生が気になるのか。
「黒糖くんが月喰の両腕をつかんで頼むから少々着崩れただけだ。
まさかとは、何か心配なのか?」
藍はにやにやしている。それで籠ノ目を揶揄っていることがわかった。
「乱されたなんて言葉を使って勘違いさせないでくれ。藍は大袈裟に言うからいけない」
やれやれと言いつつ、籠ノ目はほっとした様子を見せる。興味深い。
「ひとまず、そのせいで俺も関係者だ。
お前らは鴨をダシにした悪巧みを愉しんでいるようだな」
黒鶫/
「黒糖は最初から面白い奴だった。いい呑みっぷりだったから声を掛けて色猫に誘った」
「居酒屋で出会ったって聞いているよ。
嵐雪さんが黒糖くんを見つけて、雪華さんへ紹介したそうだね」
「ああ。その頃の俺たちは摩夷夏の前身となる娼館で色猫をしてたんだ。
今は隠居狸の雪華がやってた舗だ。壱鹿も紺もその頃からの付き合いだ。
黒糖は馬鹿だが、発情期でなくったって素材がすげぇいいんだ。
多少の仕込みもしたが大して関係ねぇよ。あいつの花はどうしてああも気持ちいいんだろうな。
独り占めしてもよかったが、俺一人で味わうのはもったいないと思ったんだ。
いいもんを当てたって自慢してやりたかった」
「黒糖は厄介な奴に捕まったものだよ」
「ははっ! 厄介なのはお互い様だろ。猫探しで手柄を立てるのも面白かった。
ものぐさ狸が色猫判じをしたがるのは胸がすいたよな。
いつもは新米の色猫の相手なんてしないくせに」
「嵐雪の考え通り、色猫を始めた黒糖はやたら好評だったな。
ご隠居の見立て以上に稼いでいただろう」
「でも黒糖くんはすぐに辞めてしまったんだよね」
「そうらしいな。その時のことなら俺より雪花の方がよく知ってる。
俺はもうこの町にいなかった訳だし」
「ご隠居の引退話が持ち上がった頃だからな……」
後を続ける雪花さんは、嵐雪さんを睨むようにして見た。
「馬鹿はお前だ。忍冬が持ちかけた密輸売買に関わるなど、勘定の合わない仕事だろう。
それが発覚してお前が姿をくらましたからな。黒糖は色猫が飽きたと言って辞めたよ。
ご隠居の後継者として私とお前の名が上がったものだから、ごたごたを嫌ったのもあるだろう。
だが、お前がいなくなったのが一番の理由だ」
嵐雪/
こんなやりとりは今までにも何度かしている。
雪花は、後継がどちらになっても俺と一緒に娼館をするつもりだったらしい。
それとない打診にも気づいていたが、その相方が断りもなく姿を消したんだ。
俺も腕に罪人の烙印を押され痛い目を見たが、狐を出し抜いたのは笑える。
それ以上に、この話をすると黒糖が可愛くて堪らなくなる。花がうずくぜ。
ああ、やっぱ黒糖はいいな。
「黒糖はその後、賭け事ばかりしてたんだろ?」
「そうだ。賭け事三昧も全部、嵐雪の計算の内だった。
私が黒糖に目を付けているのもお前は気づいていたようだな」
「そりゃまあ。守銭奴の狐が金のなる猫を見逃すはずがないだろ」
「お前は本当に美味しい鴨を見つけたものだ。その後の料理にも抜かりない。
黒糖に色猫を体験させ甘い蜜の味を教え込んだ後、
行き場のない感情を残して娼館から開放した。
手元に金はある。鬱憤は溜まっている。賭博場に通い詰めるのは目に見えていた。
金が底をついて行き詰ったところで金貸しの手を差し伸べる。
それだけだ」
黒鶫/
「雪花さんに目を付けられたら仕方がないよね」
「籠ノ目、お前も同類だろう」
雪花さんが言う。嵐雪さんも藍も似たような視線をくれるので笑みで返す。
「黒糖の場合、色猫仲間のよしみと思って大人しくしているのだろう。
色猫を強いる形になったが、本気で抵抗する気があるならこうもたやすく事が運ぶことはない。
おかげでもうずいぶん長い事、われわれの手の上で踊ってくれている」
「お気の毒に」
心にもない言葉がわざとらしかったのか、雪花さんは鼻で笑った。
「しかし、今の話に黒鶫が出てこなかったぞ。どこで関わってくるんだ……ああ、賭博場か」
「そう。黒糖くんが通い詰めたのはウチの賭博場なんだ。
若いわりに羽振りがいいから気にしていたんだけど、案の定すぐに金は底をついた。
しかも大赤字だ」
「せっかく稼いだ金で賭博なんてするもんじゃない」
「そんなことを言って。あの頃は雪花さんもよく遊んでいたじゃないか」
「付き合いだよ。私は賭博より確実に稼ぐことができる商売の方が好きだ。
そう思っていたが、賭博もそう悪いものでもない。よい拾い話を見つけたからな」
「そうだね。雪花さんは前もって俺にこう伝えていた。
黒糖くんが金を払えなくなったら保証人になると。立て替えもしようって。
だから雪花さんを頼る形になった」
嵐雪/
「共謀ってやつか」
「嫌だな、そんな聞こえの悪いように言わないでくれ。
黒糖くんの借金返済の協力をしているんだ」
「よく言うぜ。
籠ノ目は着実にツケを払わせるため、雪花は色猫で稼がせるために謀ったんだろ」
「中華猫の口が一番悪い」
藍が言うので、その期待に応えてやろう。
「俺が首謀者だからな。
借金だけでなく、遊べるだけの金を稼いでから外へ出せって助言したのも俺だ。
そうすれば、黒糖の奴は凝りもせず賭博場で遊ぶだろう。繰り返しだ。
だが、ただの繰り返しじゃあ面白くもねぇ。
今回は、猫に使う媚薬を蜘蛛の先生に作ってもらったんだ。
黒糖の運動神経を軽く見れないから、薬の処置は黒木に頼んだ。
紺も可愛い奴だったがでかくなったよな。迷惑を掛けてるらしいが、涙を飲んでもらおう」
「皮算用もうまく行き過ぎると怖くなる」
「黒糖くんの大赤字も噂になって、覗きに来る連中もいるよ。
おかげで客層が広がっていいことづくめ」
三人で笑うと、藍はふんと鼻を鳴らした。
「三人寄れば文殊の知恵とかいうが、邪まな輩が寄れば悪事もうまくいく、か」
話の間中、銀はすやすやと眠っていた。
交尾期というのは花がうずくものなのか? つらいのか快楽が勝るのか?
俺が銀を見ていたことに気づいた雪花が言う。
「その狼を摩夷夏で働かせてみないか? 保護者にも金を弾むぞ」
「そういう話はお断りだ。
だいたいな、悪巧みの全貌を知った後で、はいお願いしますなんて言うかよ。
それに銀には目付がいるんでな。星渦堂の狸が許さない。無理だ」
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