年始-玖 嵐雪におびき寄せられた烏が蜘蛛の屋敷に盗み入る
蜘蛛/
「こういう奴を作ってくれ。蜘蛛の先生なら朝飯前だろ」
前触れもなく流れの猫が訪ねてきた。
土産だとかで、舶来の薬学書と夜の玩弄物を投げて寄越す。
「なかなか手に入らない書物は有難い。だが、閨で使うような遊び道具は要らん」
大方、化け狸がさまざまに買い付けたものから見繕ってくるのだろう。
「まあ、そう言うなって。取っておけよ。いつか使う日が来るかもしれないだろ」
「いつかなど来るものか。つまらんものが増えるばかりだ……」
嵐雪はいつも貴重なものとくだらんものを組み合わせて土産にする。
だいたいが斬新さが過ぎて使えない。
そう思いつつ、嵐雪が土産と一緒に寄越した書付を目でなぞった。
木天蓼多少、火蜥蜴黒焼、性欲亢進、軟膏又は粘液状。
「また妙ちきりんなものを」
木天蓼と性欲のあたりでだいたい推測できる。
「冬に狂って咲く桜がどうとかさ、前に言ってただろ。
猫に使う媚薬を作ってくれよ。発情期を引き出す奴をさ、試したい三毛猫がいるんだ」
「自分で使うのではないのか。密輸の罪で懲りずに、いつまでも悪巧みがお好きなことだ」
「はははっ、それは言うなよ。欲しがってた被検体を用意するからさ」
嵐雪は軽妙な笑い声を上げて言った。
手 籠 め の 烏
テ ゴ メ ノ カ ラ ス
烏/
どうしてこんなことになってしまったんだろう。
ぼうっとした頭で考える。
蜘蛛に花をぐちゃぐちゃにされて、畳の上に力なく寝そべっていた。
少し寒かったが、布団を出す気にならないほど体力を奪われていた。
この屋敷に足を踏み入れてから、四季が一巡りしていた。
花烏の猫として御座敷に上がっていたことがとても遠くに感じる。
昔、と言っても一年ほど前は、御座敷に上がって舞いや踊りをしていた。
紫白猫の紫籐が目を掛けてくれて、上手くいっていたはずなのに。
あの日、古狸と中華猫の二人連れが現れて、紫籐に絵や骨董品を売りにきた。
ちょうど俺も呼ばれて舞いを披露した。
終わると、その場の者は可愛い可愛いと褒めそやす。
そう言われるのは自慢であったけど、すっかり慣れてしまっていた。
本当はもう少し背丈が欲しかったし、逞しくて格好いいと言われたかった。
宴席も用意されて、そこで片割れの中華猫とそういうことを話した。
中華猫は嵐雪と名乗り、背丈を伸ばすのにちょうどいい薬があると言った。
蜘蛛/
この屋敷に猫が誘い込まれたのはいつだったか、と不意に思った。
猫はほったらかしで例の解薬を作っていた。
確かそうだ。書庫の戸をすべて開け放ち、書物整理と煤払いに取りかかった日だった。
一日では片付かないのはわかっていたので、
夕飯のために、一段落つけて書斎としている部屋へ戻った。
そこで件の猫を見つけた。
文机や作業台、薬種棚が天災でも起きたように荒らされていた。天袋まで開いていた。
畳の上には、昨晩調合したはずの薬や器具、書物、紐で綴じた資料が散らばっていた。
しかし、全体を捉えると、乱雑を呈しているのは表面上で、
こちらが重要とするものにはまるで触れていないようだった。
屋敷の主が現れた事にも気づかない猫の背中を見て微笑する。
この屋敷に盗み入ろうとは愚かな猫だ。
烏/
そういう薬を作ってる奴がいる。だが売ろうとしない。
陰気で偏屈な薬師が棲む屋敷が北の僻地にある。
薬師の名前は蜘蛛といい、独りっきりで暮らしている。
この時期は書物整理のために部屋を長く空ける。
忍び込めば薬くらいすぐ盗み出せる。
そう聞いていたのだが、それらしいものが見つからない。
お前は身のこなしも鼻もよさそうだ、とおだてられもした。
蜘蛛は逆に鼻が鈍いから多少時間が掛かっても大丈夫だ。気づきやしないさ。
屋敷はたいした施錠もしてなかったし、門番もいなかった。
造りも単純だったから忍び込むのは簡単だった。迷うこともない。
部屋を空けているという話も本当で、薬師はずっと蔵の方にいた。
初めの内は慎重に部屋を探ったが、
日が傾き始めてからは部屋の様相に構っていられなくなった。
部屋にあるのは書物や器具ばかりだ。
薬もあることにはあるが、製作途中のようで聞いていたものとは違っていた。
欲しいものが見つからないので、心の中で何度も中華猫を罵った。
すると、やっと隠し棚を見つけた。棚には桜の木でこしらえた道具箱があった。
くん、と鼻をくすぐる甘い香りにつられて手を伸ばした。
蜘蛛/
嵐雪の奴に乗せられて、猫の媚薬の製作に取りかかった。
材料の用意も万全と言うし、そろそろ資金調達が必要と考えていた時だった。
桜の木箱に入れて淡藤色の薬紙に包んだらどうだろうか。
最初は粉末にして、見た目は干菓子のようにしよう。
薬紙には小さな可愛らしい花をあしらおう。木天蓼の花だ。
可愛らしいくせに、猫を悦ばせるか駄目にするか、そんな悪魔的な花だ。
私にはよくわからないが、甘い香りは花房のようでもあり、果実のようでもあるという。
そうやってある程度形になった媚薬を隠し棚にしまっていた。
背中を向けている猫は、すでに桜の木箱を開けていた。
包み紙が畳の上に落ちている。
中身が空だ。しかも、それは一枚ではなかった。
薬のことを知っていて忍び込んだと直感した。
なぜだ? なぜ、それを知っている。
猫はひっという声を上げて、そのままの格好で固まった。
場の空気が変化したことにようやく気づいたのだろう。
全身の毛が逆立っている。首筋には鳥肌まで立っている。猫のくせに。
その角度から、両脚に絡みついて拘束するものが見えただろうか。
拘束するのは黒光りする私の手足だ。
数は、そう、四本以上であることは確かだ。
猫や狐狸でないことを理解すると、言葉にならない声を発した。
腰を抜かして畳の上に崩れる。
倒れた体勢のままで顔をこちらへ向かせるために顎を引き寄せた。猫を見据える。
その赤い目には、恐怖の色しか浮かんでいなかった。
怯える目が発する気は甘美で……久々に糸ではなく唾を引いた。
烏/
氷のように冷たい眼差しだった。
突き刺さるほどに鋭い視線だが、実際に突き刺さったのは、
多数の黒い手足と金糸銀糸の煌びやかさを持つ強靭な糸だった。
「猫の分際でそれをどうしようというんだ。
薬が目当てか、それとも金か……はたまた身の程知らずにも私を狩りに来たか」
顎を掴まれ、手足をきつく縛り上げられた。
恐怖に口がわななき、言葉にもならないかすれた音しか出なかった。
助けを呼ぶこともできない。力でも敵いっこない。
蜘蛛は予想した反応がないせいか、思案する仕草をした。
「ふん。そうか、被検体を用意するとはこのことか。中華猫もよくやってくれる」
中華猫、という言い方は妙に呼び慣れていた。
嫌な予感がする。被検体なんて、どういう意味だ。
「嵐雪に騙されたんだよ。自ら巣の中へ跳び込んでくるとは、愚かにも程がある」
蜘蛛の言葉がとどめとなり打ちひしがれる。
だがそれ以上に困ったことに、こんな状況であるにも関わらず身体が熱くなっていた。
蜘蛛/
猫は泥酔したようになった。
手を下さなくとも勝手にぐでんぐでんになって、起き上がることもできない。
「こうも効き目があるとはな。猫用にしても分量を誤ったとしか言いようがない。
やはり被検体で試さねば加減がわからんか」
猫はかろうじて薄目を開けていた。顎を引き寄せて面を拝む。
螺子の飛んだ中華猫と違い、恐怖に腰を抜かすとは可愛い猫ではないか。
そう思いながら、畳の上に長くなった身体を眺める。
「そもそも発情期とはどんな状態なんだ。お前たちの身体はわからんことばかりだ。
花はどうなっている?」
確認のために花を探り出すと、今にもはち切れんばかりに熟れている。
これは薬のせいだけではない。
「……しかも未経験の猫だな。これは試し甲斐があるというもの」
その後、猫の媚薬は元より使い用のなかった玩弄物、鬼の調教した鯰などで色々試した。
これがなかなか反応がいいのだ。加虐心をくすぐる猫なのだ。
その反応をついつい見たくなり、いまだに愛玩せずにはいられなかった。
烏/
「ようやく目を覚ましたか。意識のない猫に飽きていたところだ」
目を覚ますと、布団に寝かされていた。
綿布団があたたかい。布団の端から自分の尻尾が出ているのが見えた。
蜘蛛は、二股に分かれたその尻尾を玩んでいた。
あれからずっと……俺はここから出られずにいる。
出られずに、さまざまな薬や玩弄物を試されている。
年の末からは、
薬の報告という名目で黒木という黒猫が訪れてはちょっかいを出していく始末だ。
原因となった三毛猫も、先日ついに顔を合わせた。あいつは俺と同じだ。
「猫などは金で脚を開くばかりで興味もなかったが……お前は面白い猫だ」
意味がよくわからなかったが、恐ろしい言葉に変わりはない。
笑みを浮かべる蜘蛛は、その背後で無意識に糸を紡いでいる。
蜘蛛は俺を逃がしてくれない。
蜘蛛のやることは苦痛をともなうことが多かった。
「……ああっ」
でも、今みたいにそうじゃない時もある。
こんな、こんなことをされているのに、蜘蛛に惹かれていた。
蜘蛛は綺麗だと思う。自分でも頭がおかしいと思うが、そう思ってしまう。
濡れ濡れになって苦悶するのに、どうしてこんなことになってしまったんだろう。
背はちっとも伸びないけど、いつか背が伸びる薬も作ってくれたらいいのに。
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