年始-捌 不気味な狸と噂される螢火が雪花にご褒美をねだる


雪花/

庭に面した硝子戸から物音が聞こえた気がして、ふと顔を上げた。

色札判じの勘定をしていたのを中断する。

酒とは別に金を納めているのだが別の清算がまだだった。

外は雨が降り続き、耳を澄ませてもざあざあとした音が聞こえるばかり。

「今晩は」

空耳と思えたが、戸を開けてみると庭に狸が入り込んでいた。

笠を被り、顔面に狸と書かれた和紙を貼り付けての山伏姿だ。

いつもと異なるのは、和紙が湿気を吸ってふやけ、直に顔に貼り付いていたことだ。

大きな木箱を背負った小柄な狸は物言わずこちらを見上げた。

宵の口であったが、雨のためにすでに夜は深い。

雨模様の晩に現れた狸は異様さを増していたが、その異様さも馴染みを覚えるものであった。

狸 の 初 喰 い

  タ ヌ キ ノ ハ ツ グ イ

螢火/

突然の訪問に雪花さんは驚いていた。

勝手に入ってごめんなさい。待ち切れなくて来てしまった。

玄関には強面の門番がいるので、夜陰に紛れて塀を跳び越えて侵入した。

雪花さんが黙っているので、怒られるのではないかと思って肩をすくめる。

「気が進まないのであれば、無理に表から入って来いとは言わない。

だが、私の前でこれは不要だろう。螢火」

雪花さんはおもむろに顔の和紙を剥ぎ取ると、ちょっと拗ねたように言った。

そしてまた黙ってこちらを見ている。

紙を取られて遮るものがなくなり、びくついて目を伏せてしまうが、

雪花さんの紅い目に見つめられると、恐怖というよりも身体が熱くなる。

「雪花さん……」

そんなに見つめないでほしい。

両目を閉じると、少しして雪花さんの手が僕の頬に伸ばされて身体が弾んだ。

頬をこすって、移っていた墨を取ってくれた。そして。

「ずいぶん冷えている。抱かれたいのか」

僕はこくりと頷いた。

雪花さん、雪花さん、雪花さん。

息が荒くなって、唇の乾きを感じて舌で舐めた。

頬にあった手は顎に移り、舐めたばかりの唇をしっとりと吸われた。

「入るといい。ちょうど、螢火のことを考えていたところだ」

雪花/

感情の表れが少ない顔なのだが、私の言葉は嬉しいようだった。

自分で切るのか、鋏が入れられた髪は乱雑だ。着ているものも荒っぽい。

だが、陶器のようにきめ細やかな肌。凛と光る紫紺の眼。

その眼が、今夜は熱に浮かされでもした色を帯びている。

雨にさらされた縁側から閨へ入れて、

濡れそぼっていることを理由に着ている物を脱ぐように言った。

螢火が大事にしている大きな木箱は、火のそばに置いて早く乾くようにしている。

「……色札判じのご褒美をください。待ち切れなくて、来てしまいました」

全身の白い肌を見せつけて螢火はそう言った。眼前のご馳走自身の言葉に耳を疑う。

肩に触れると、微かに身体を震わせた。

だが、熱っぽい目がしゃべるほどに私を求めてくるのが可愛い。

表情の読み取りにくい奴だが、心の中は思いの外荒々しい空模様だ。

裸の螢火を洋物の長椅子に座らせた。

言葉を足すならば、長椅子に私が座り、その上に螢火を対面にまたがらせた。

脚を広げて、互いに間のものを露わにする。

螢火のものは大きいのだ。

それについて耳元で囁いてやると螢火は頬を染めた。

まだ乾ききらない髪に指を透かし入れ接吻を。花を交えつつ探るは後孔。

指を挿し入れ、具合を確かめる。それだけで螢火は腰を震わせて鳴いた。

初めての時は、まさに涙を流して鳴いたが、感じやすさのために抑えきれなかったらしい。

不気味な狸と噂される螢火は、今晩もまた閨の中で大層色っぽく鳴いた。

「ご褒美はもう少しお預けだ。螢火の身体をじっくり愉しまないとな」

喘ぎ声の合間に私は言った。

螢火/

不気味だ。薄気味悪い。小さな頃からよく言われた。

草花の写生が好きで、野山を歩いて回っていると、自然に薬草の知識が身に着いた。

ついでに綺麗な花や貴重な薬草を採って帰ると、買ってくれる者が現れた。

そうやって大きくなる内に、お前の絵を買ってやるからと、後ろを掘られることが多くなった。

売ったはずの絵はその場で捨てられた。そういう奴には花を隠した。

中には腹を立てて手を上げる奴もいたが、たいていは後孔で満足する。

そういうものだと思っていた。

あの時も、絵を買うというから金を受け取ったのに、身体を買われた。

捨てられて飛んでいった絵を拾ってくれたのが雪花さんだった。

いい絵だと言った。好きとは言わなかったけれど、いい絵だと。

そして、いいものは金になる、とも。

雪花さんはその絵に金を払って、また会えるだろうと言って姿を消した。

その後、雪花さんは僕の絵を全部買って、古狸の一派に売るようになった。

僕の絵が売り物になると知った。好んで買ってくれる客ができた。

すべて雪花さんがしてくれたことだった。

雪花/

「雪花さんと花を交えたい。もっと、もっと悦びをともにしたい」

螢火は私に身体を明け渡した。

狸は花の在り処を隠すこともできるのに、螢火は一度もそうしたことがない。

身体を安く買う連中には隠し通したようで、私は初めてを喰ったようだった。

なぜそれがわかったのかというと、螢火を雪華に紹介した時のことだった。

それまでに絵を何枚も買っていたので雪華は絵師にも興味があると踏んだ。

会わせてみるのも面白いだろうと、ご隠居屋敷に連れていった。

雪華のやることは、欲に忠実であるだけに余計な不純さがないのだ。

くだらない連中のせいで、

若い盛りのくせに花を交えることをやめてしまった螢火をどうかしたいと思った。

「絵もいいが、絵師も堪らないな」

案の定、色欲の代名詞である雪華は螢火を戯れ事に誘った。

慣れた手つきで身体を引き寄せ、色よい返事であれば唇を奪うつもりだったらしい。

螢火も螢火で、自分の絵を好んでくれているのも、

雪華が魅力的であるのも本能でわかった様子だった。

このように誘われるのは今までになかっただろうに。

だが、螢火の断り文句はこうだった。

「初めては……雪花さんがいいので……できません」

粋を好む雪華は潔いと言って笑い、自分の部屋から出ていった。

早く手を出してしまえ、でないと私が喰えない、と言い置いて。部屋は好きに使え、とも。

顔を赤くしてこちらを見つめる螢火の目は潤み、今晩のように熱に浮かされた色をしていた。

心配はいらなかったのだ。

花を交えないのはやめた訳ではなく、ただ私に一番に喰われたかったのだ。

雪華の提案をいいことに、私は他人の閨で螢火というご馳走をいただいた。

螢火/

ひやりという顔をして雪花さんは目を細めた。

肌に冷たいものが触れたのだからそうだろう。絵具だ。

「……ごめんなさい、冷たかったでしょう」

「いや、気にするな」

前髪を払って、隠れていた右瞼に口づけをする。

雪花さん、雪花さん、雪花さん。

乾いた木箱から絵筆を取り出し、雪花さんの身体に直に紅色の絵具で模様を描く。

くすぐったい場所も淡々としたふりで描いたが、

雪花さんのそういうところに筆をつけると……ちょっとどきどきする。

そのせいで、時々悦びが胸に詰まって息苦しくなる。

息苦しさが治まると再び絵筆を動かした。

雪花さんは華やかな遊び人だけど、僕にまで手を出すなんて、そういうところは変だ。

天狗様で年始にする色札判じは思いつきの戯れ事だった。

雪花さんが抱いて番付けをした猫を僕が花や後孔で判じる。

秘密めいて、どの花を舐めても猫を通して雪花さんと戯れている気になる。

でも、今年の三毛猫はちょっとすごかった。

色札判じはいつも冬だから、発情期の猫に出会うことは今までなかった。

それもよかったけれど、色札判じの後はこうやってご褒美をもらう……

花を交えて、うっとりと、もう……とろけてしまう。

手から力が抜けて絵筆を取り落としてから時間が経っていた。

絵具が雪花さんから僕にこすりついても、不思議と肌に馴染んで心地よかった。

気持ちよくて閉じていた目を薄く開くと、壁の一角の絵が視界に入った。

ぼろぼろの絵だった。

色絵具でもなくて、黒い墨で描いた絵だ。

捨てられて飛んでいった絵。雪花さんが拾った絵。

この絵を持っていてくれることが嬉しかった。

「あぁ……っ」

一夜に何度も花を交え、僕は雪花さんにたっぷりご褒美をもらった。

 2-8