年始-漆 雪月夜に雪花と梅乃は寒牡丹の廃屋で逢瀬を重ねる


梅乃/

夕闇時から吹雪き始めた。

持ち合わせていた唐紋の傘を差してその中を歩いた。

視界が白く遮られても、私にとっては些細なことだった。

辺りは冷えびえとしていたが、狐の冬毛はあたたかいので困りもしないし。

積もりかけた雪の上に足跡をつけても、たちまち新たな雪が被さった。

一際強い風が吹けば、お気に入りの羽織の裾は大きくはためき、

同時に珊瑚と翡翠のかんざしの飾りも大きく揺れた。

風のせいだけでなく心も大きく弾んで気持ちは高まっていた。

いつもの時刻に遅れてしまったけれど、まだ待ってくれているかしら。

約束はしていないから行ってみないとわからないわ。

雪 中 の 逢 瀬

  セ ッ チ ュ ウ ノ オ ウ セ

雪花/

「そこの、毛並みのいい狐のおにぃさん。この雪の中で待ち合わせかい?

待ちぼうけならあたしと遊んでいったらどうだい」

よくある緋色の傘を差して声を掛けられた。

長いこと佇んでいると、その辺の夜鷹が声を掛けてくる。

すでに夕闇の時刻も過ぎていた。

この時刻であれば、いつでも戯れ事にいそしんでいい頃合いだ。

夜鷹は外で客を取る連中だ。

暇潰しにはちょうどよいと思いながら、さして興味もなく視線を向けた。

とはいえ雌であれば駄目だ。雌には手を出さない約束だからな。

だが、艶やかな衣装は目を惹き、それにも増して美しい雌だった。

正体はおそらく同種の狐だろう。

傘で上手い具合に目を隠しているのは、

盲のために両目に帯を巻いているのを見せないためか。

しかしながら、触れたくなる白い肌に薄い唇にさした鮮やかな紅。

それに腰つきが艶っぽい。

ざっと見た感じ、好みの部類だと思った。

一方で、待ちぼうけなのだろうか、と考える。

待っていると言えば待っているし、そうでないと言えばそうであるし。

特別に待ち合わせをした訳ではなく、勝手にここにいる。

傘が揺れて、ある物が視界に入った。

それで、女狐の相手をしてもいいかという気が頭をもたげた。

梅乃/

寒牡丹を見に行くことが、いつの間にか毎年の決まりになっていた。

初めてあの綺麗な花を見つけたのはいつだったかしら。

もうはっきり思い出せないけれど、娘の頃に、独りになるために入り込んだのだった。

どこかの道楽狸が贅を凝らして造り、気まぐれに打ち捨てたような屋敷だ。

その廃れた庭で誰に見せる訳でもなく、ひっそりと艶やかに咲いていた。

私はその場所を胸に秘めて、雪の日に思い出しては独りきりで訪れていた。

いつか、夫にこの秘密の場所を打ち明けて一緒に出掛けた。

その時から、牡丹の花を見に行く時は、夫の雪花が付き合うようになっていた。

そして、それが別れて棲むことを決めた番いの逢い引きとなった。

雪は降り続けている。

弾む、弾む、心が弾んで若い頃に戻ったように足取りも軽くなる。

いつもの年のように待っているであろうその場所に、もちろん雪花の姿はあった。

黒い傘を差して、ぼんやりともせず、頭の中は皮算用で忙しくしているはずだ。

待っている姿を見つけて嬉しいはずなのに……

嫌んなっちゃう、雌の夜鷹に声を掛けられちゃって。

笑顔を見せて憎らしいったら。

本当に遊び人なんだから、ちゃんと約束を守ってくれているのかしら。

相手の誘いに乗るのではないかという疑惑に思わず立ち止まった。

雪花/

女狐の手に引かれるまま路地裏へ誘い込まれた。

外気は冷え込んでいたが、狐が着こなす毛皮は寒さに強いのだ。

皮膚の薄い夏猫なら困りものだが、こちらは狐同士だ。大したことではなかった。

だが、吹きすさぶ雪が目に入るので戯れるには邪魔であった。

路地裏ならいくらか吹雪も気にならないだろう。

そうして前戯にと肌に触れ、互いの身体ににおいをこすりつける。

壁に背をつけるのは私の方で、女狐は積極的に攻めてきた。

官能を誘う唇を味わい、熱くてやわらかい舌を絡ませる。

そうして屈み込んだ女狐は、私の着物の裾を開いて花を喰おうとした。

性急なことだ……まだゆっくりしたいと思う。

焦らして手間を掛けて、この時間をもっと愉しみたかったのだが。

仕方がない。そこにはちょっと譲れないものがあった。

「さあ、そろそろ正体を見せてくれてもいいだろう」

「何の話かしら。狐は常に正体を明かさないものよ」

「とぼけるのはやめにしておくれ。もういいんだ、茶番は終いにしよう。

本当に巧く化けたものだな。それにお上手だ、梅乃」

目隠しの帯を引っ張って、夜鷹の正体を暴いた。

つり目で挑発的な視線がこちらを見上げていた。それが堪らない。

梅乃/

「端っからわかってたのね、嫌な人。花を喰わせもしないなんて、格好つけちゃって」

「君がめかしこんでいたからね。早々に指摘してもな、愉しまないと損じゃないか」

「あなたはいつもそうね、損得で判断する。正体を確信しているならそれでいいじゃないの」

「そう口を尖らせるな。綺麗な顔がもったいない」

「また、もったいないって。もったいないって何なのよ」

「揚げ足をとっても仕方がないだろう。何を怒っているんだ」

「だって、あなた夜鷹と嬉しそうに話してたじゃない」

「夜鷹と? ああ、あしらっただけだろう。そんなことに怒っているのか。

いつから見てたんだ。というか見ていたなら断ったところも見ただろう」

「……そうだけど」

「どっちつかずの正体の者に花に触れさせるのは勘弁して欲しい。

ほら、いつもの姿に戻ってくれ。いつもの可愛い姿を見せておくれ。

梅乃。私の梅乃。私の美しい狐よ。大好きだよ」

「あなたは口が巧いから大嫌いだわ。ふふ、でもね、愉しいことをしたくなっちゃった。

せっかくだからもう少し遊びましょうよ」

「ああ、それもいいな。ほら、咥えてごらんよ。お前の口で私を気持ちよくさせてくれ」

本来の姿に戻りつつ続きを始めたけれど、そうしながらもむかっ腹立った。

正体なんてどんな意味があるっていうの?

あの場面で人を見下して正体を暴くってやっぱり嫌な人。それにこの偉そうな顔ったら!

「……っ! 痛い、乱暴はよせ……あぁ……っ」

「少しくらいいいじゃない。こういうのも好きなんでしょ。

舶来渡りをする狸の注文を引き受けてるの、知ってるんだから」

大嫌い。でも好きよ。

大好きだけど、嫌いって言ってしまうの、どうしようもないの。

「……痛い、痛いって。あー……参ったな……んんっ

……ああ、やっぱり腕を上げたな……あっ」

言葉と裏腹に、雪花は堪らないという顔になってきた。してやったりよ。

雪花/

「この屋敷もいつまでほったらかしなんだか。ああ、今年も見事に咲いている」

灯籠の火に照らされた牡丹はよいと思っていたが、雪が静かに降る中の牡丹はまた格別だ。

手狭な路地裏で心地よい絶頂を味わった後、ここへ移動した。

屋敷の縁側に腰掛けていたが、屋根は半ば崩れ落ちているため頭上から雪が降ってくる。

そんな訳だから唐紋を描いた緋色の傘の内へ入り、寄り添って眺めた。

「そういえば、正体がどうとか、こだわっていたようだが」

「ええ、そうよ」

「私があげた珊瑚と翡翠のかんざしを差してくるようじゃあな。

化けていても、正体は私なのよと大きな声で言っているようなものではないか」

「気づいていたのね……それなら、なおさら正体を暴く必要ないじゃないの」

「そこは、まあ、お前がよかったから」

「何よそれ、意味がわからないわ。それに、あなた黒糖くんでまた悪巧みしてるんでしょ。

金儲けに飽きないこと。んもう、可愛い黒糖くんを四ノ猫にしたりして。

弄ばないでちょうだい」

「桃花から聞いたのか。お前も桃花も、黒糖を気に入るなんてどうかしているぞ。

椿葉の刻み煙草も。あんな高級品、猫に小判もいいところだ。一銭にもならない」

「いいのよ。ウチの常連だし。それにあなたが翻弄してる分のお詫びだから」

そう言って梅乃は黙った。

なぜ黒糖の話をしたのか考えを巡らせる。金儲け? 正体の話か?

「ねえ、今も色札は下げているの? 一銭どころか……金儲けと反対のことをしているのよ」

そうか、梅乃は色札のことを考えていたのか。

梅乃/

「買いかぶりだよ。私が出なくても摩夷夏は繁盛してるからな。

紅ノ一の色札は下げたままだ」

色猫の指名に使う札のことを思った。娼館に掲示している色札だ。

紅ノ一は雪花の札で、今も廃番なのは知っていた。だから雪花は札無しなのよ。

「指名してくる奴もいるが金払いのいい客だけだ。雄しかいないよ。

雌はもう、約束しただろう」

「ええ、今日こうして確かめることもできたことだし」

と言って自嘲気味に笑った。

色を生業とする狐に惚れたくせに、

娼館に棲みたくないと言ったり、札を下げさせたり、雌は抱かないでと注文したり。

雪花は貪欲なくせに、理不尽な私の我儘をきいてくれる。

隣に座っている雪花に抱きついて、ただそうしていると、頭をやさしくなでられた。

「雪がやんだぞ」

頭上から降る最後の雪が地面に舞い降りたとき、夜天に月が現れた。

月が一面を明るく照らすので、眼前に広がる雪の白さが眩しい。

その中に紅く淫らな牡丹が浮かび上がる。

「やんじゃったの。ああ、月のせいで白くて眩しいわ。

でも綺麗。月光と雪化粧の牡丹ね。あの牡丹に似ているあなたが好きよ」

「素直でよろしい」

「牡丹って百花の王なんでしょう? 高慢ちきなあなたにぴったり」

「何だ、ようやく素直になったかと思えば」

ひねくれたことを言っても雪花は笑って受け流した。

雪がやんだので要らなくなった傘を放って、縁側に私を押し倒した。

「梅乃が嫌でなければ、摩夷夏の一室に棲まわせて毎晩でも抱くというのに」

惜しむように言うので、愛おしくなって雪花の頭を引き寄せた。

「嘘ばっかり。夜の相手は困るほどいるくせに……でも嬉しいわ。あなたの雌は私だけだもの」

崩れ落ちた屋敷は静寂に包まれ、番いの狐は逢瀬の極みに達した。

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