年始-伍 脱走した黒糖は医家の月喰を頼るもあえなく捕まる


黒糖/

忍冬という狸が娼館に来ると知ったのは前の晩だった。

奴は札無しの雪花を指名するほど気に入っていて、

一晩だけでなく一昼夜かけて雪花を愉しむという。

その間、雪花は狸に付きっきり。

そして、ちょうど今、都合よく壱鹿も不在だ。狸のご隠居の気まぐれに付き合っているそうだ。

紺の所在がはっきりしないのが気になるが、この三人が不在にする機会はもうないと思った。

摩夷夏は色猫の待遇がよく、ここから逃げ出す奴なんかまずいない。

そういう訳で、娼館の門番の注意は外に向けられている。

油断した門番をのした後、俺は町に向かって駆け出した。

今日は馬鹿みたいに頭も身体も冴えていた。

狐 の 居 処

  キ ツ ネ ノ イ ド コ ロ

黒鶫/

何かを乱暴に叩く音で目が覚めた。

賭博場を閉めてからまだあまり経っていない。

今しがた寝入ったばかりだというのに、一体何の騒ぎなんだ。

外は太陽が昇って人々は活動を始めていたが、そうでない者もいる。ここに。

叩いていたのは舗の戸だった。

戸口を開けると一匹の猫がいた。いや、鴨か。

「あー……えっと、黒糖くんかい。どうして君が」

「月喰の先生はどこなんだ!?

先生の家にはいねぇし、星渦堂も、そこら中回ったがここしか」

血相を変えて話す黒糖くんは、俺の言葉を遮って月喰の居場所を聞いた。

なぜ月喰を捜している? どこまで答えたものかと考える。

「ここにはいないよ。今日は白に用があると言っていたかな。

五番街ゴバンガイにはもう行ったかい」

「まだだ。五番街か、狐の舗だな。ありがとな!」

言い捨てると、黒糖くんはこの場を立ち去った。

月喰の家に行ったのか。これは、うーん。

そもそも黒糖くんがどうしてこんなところにいるのかな?

黒糖/

五番街は、だいたいが茶や煙草、酒などの嗜好品を売る舗だ。

他に洋酒や曹達とかいう舶来の飲料、それに匂い物を扱っている。

舗は閉まっていたが、中にいるのを知っている俺は扉を開けた。

中へ入ると、辺りは煙草の煙が充満し不慣れな者を辟易させる。

そんな煙に構わず奥へ進んでいった。

奥の小上がりには、狐ばかりが三匹寄り集まっていた。

白いのが二匹と珍しい色のが一匹。

そろって毛艶があり、煙草を呑んでいる。煙管から白い煙がくねり昇っている。

「客が入ってきている。三毛猫とは珍しい」

と揶揄い口調の狐もまた珍しい毛色だった。

隣の狐はこっちに目を向けたが物も言わず、一度手を止めた作業に再び取りかかった。

その奥に捜していた狐がいた。

「黒糖くんじゃないか。どうしたんだ?」

黒鶫/

摩夷夏に来てみると、心なし舗の空気がざわついていた。

紺くんを見つけて声を掛ける。

不安そうな顔にもみえるが、酒宴の晩よりずっと落ち着いている。持ち直したのだろう。

「黒糖くんを捜しているのかい。彼なら舗へ来たよ」

「本当ですか?」

「ああ、ずいぶん慌てていたけれど。ここから逃げ出しちゃったのかな?」

「ええ、そうなんです。今、舗の者で手分けして捜しているところです」

「その様子だとそうだろうね。黒糖くんは月喰の居場所を聞きに来たよ」

「月喰の先生を? それはつまり」

「ほんと、見え透いたことをするよね。薬のことを聞きたいんだろう。

解薬を手に入れちゃあ厄介だね」

紺くんの目が泳いだ。複雑な心境だろうけど、こちらも商売だ。

「大丈夫、どっちも五番街にいるはずだ。

知り合いに連絡を入れたから、足止めしてくれるだろう」

「ありがとうございます。すぐ舗の者をやらせます。

ご迷惑お掛けして、このお礼は近い内にさせていただきますので」

「まあ、こちらも片棒担いでいるからね。あと、お礼は壱鹿さん手作り大福がいいかな」

そこでようやく紺くんはふっと笑った。不安な顔も和らぐ。

「栗善哉もお付けしますよ」

「それはいいね」

声を立てて笑う。そうして挨拶もそこそこに紺くんは奥へ行って見えなくなった。

月喰/

「先生っ! 月喰の先生、頼むから診てくれ……っ」

「ちょっと落ち着いてくれ、そう急かさなくても、大丈夫だ。

いい、着物はそのままで。そう、まずは話を聞こうか」

「先生ぇ……」

両腕をつかまれ顔を寄せられる。その顔が必死だ。

こちらの衣も乱れたが、整えている暇はなかった。

黒糖くんの状況は少なからず籠ノ目から聞いていたので、必死な訳もわかるが。

「おいおいおい」

深い藍色の毛並みの狐は、余所事と決め込んでにやにやしている。

藍め……探りを入れない辺り何か知っているな。さっきの連絡はこの件だったのかもしれない。

隣の真っ白な狐は、練り香を作る手を止めてただこちらを見ている。

白は、まあ、いつものとおりに関心がないようだ。

着ている衣を脱ごうとする黒糖くんをとにかくなだめすかすが、今度は土下座の体だ。

「妙な薬を仕込まれたんだ……木天蓼を調合したとか。

薬を仕込まれてから、身体が変で……冬の只中に発情期になるわ、花が、敏感になるわ」

「……ああ、ああ、わかった。それで、どうして欲しいんだ?」

「発情期を止める薬を作って欲しいんだ。先生、頼む……もう先生しか……」

最後は涙声になり、鼻水をすする音もしていた。

発情期を止めるなんて。なったものを止めるなど、それこそ身体に悪そうだ。

どうやって仕込まれたんだ、発情期とはな、花がどうした、といちいち聞く藍がうるさい。

「ああ、そういう薬か。心辺りがない訳でもないが」

黒糖くんは顔を上げて目を輝かせた。少々、罪の意識に苛まれた。

黒糖/

「心辺りがあるのか!?」

「ない訳でもない、と言ったんだよ。

それは禁薬を使う薬師が作ったものだろう。木天蓼は規制されているからね。

君の話によると、猫の媚薬の一種に違いない。おそらく独自の」

「独自の!?」

しびれを切らして先を急がせる。それを医家の狐は困った目で見つめ返した。

「おそらく独自の手法で作ったのだろう。特殊な薬だ。

それに、調合した本人は解薬を用意しないで薬を売る。わざと」

「解薬を用意しないで……わざと? 何で……」

「使う側にも後に引けないことを知らしめるためだ」

もしかして俺は……聞かない方がいいことを苦労して聞きに来たのか?

「悪いが、私に対処することは難しい。解薬は簡単に作れるものではないのだよ」

月喰/

答えを聞いてからの黒糖くんといったらない。

魂でも抜けたように肩を落とした。

その後すぐ、迎えにきたのは壱鹿と名乗った上背のある赤猫だった。

腑抜けた黒糖くんを見ても平気なもので、他の買い物もしていった。

「頼んでいたものを取りに来た。ここはいい香師がいるな。それと懐紙と香包みも貰おうか」

「まいど」

品物を用意する白は、褒められても気のない声で応じる。

「ついでにウチの猫を引き取って帰るよ」

「そうしてくれ。何だか気落ちして可哀想だ。

だけど、ここにいられちゃ迷惑以外の何物でもない」

迷惑、と繰り返すが、むしろこの場を愉しんでいた藍が答えているのに苦笑する。

「……俺はついでかよ」

赤猫の肩に担がれ、黒糖くんは投げやりに言った。

悔し鳴きをしている。

そんな彼を可愛いと思わせるものが、鴨たり得る理由かもしれない。

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