年始-拾 桃花に呼ばれた黒糖が火狐とリーネと顔を合わせる
黒糖/
昨晩、嵐雪が閨にやってきた。
一晩中花を交えて、昼飯前に目が覚めたら嵐雪はいなくなっていた。
雪柳の残り香に、置いてけぼりを食った気になる。いつものことだった。
だらだらしながら起き出す。
正月に帰ってきてから、突然やってきてはこんな風だ。一体いつまでいるんだか。
摩夷夏の離れを確保しているようだが、そっちには同居人がいた。
だから俺の相手をしたい時はここへ来るし、向こうへは呼ばれない。
もう朝でもないが朝風呂に入ろうと、着崩れたまま戸を開けた。
「あら、起きたばかりなの? 昼食に招待するからいらっしゃい……と言うつもりだったけど
身綺麗にして人前に出られる格好で桃園に来なさい」
桃花がいた。おいおいおい。
いくら桃花だからって、色猫の寝起きしている部屋を歩き回るのはまずいだろう。
何かあったらどうするんだ、と雪花でもないのにそう考えてしまい馬鹿馬鹿しくなる。
ほとんどの猫は桃花の迫力と雪花の威光に手を出すはずがない。
どちらかというと、何か見られて気まずい思いをするのは猫たちか。俺みたいに。
あの言い方なら、桃花は雪柳のにおいに気づいたのだろう。
「いいわね」
「へいへい」
何はともあれ、桃花の招待なら外れなしにいい飯にありつけると思って返事をした。
人 魚 の 宝 物
ニ ン ギ ョ ノ タ カ ラ モ ノ
リーネ/
「紹介するわ、火狐よ」
「どうも~。この席に呼んでいただいて光栄です! 人魚さん? 綺麗ですね~」
桃花ちゃんが雄狐を連れてくるというから喜んで招待を受けた。
嵐雪も呼んでくれていたけれど、
用があるって朝に顔を見せて出掛けたままの猫は捕まらなかった。
男ぶりのいい狐だ。
毛並みは赤いのに尻尾は黒く、毛先は白。
話は面白いし、お世辞もぽんぽん入れてお上手。素敵だわ。
桃花ちゃんの目に留まるだけあっていい雄狐じゃない!
そうは言っても、いい雄は嵐雪が一番とうっとりする。
火の狐には余所者同士の気安さもあって親しみを感じる。
それに対して……隣の三毛猫に目を向けた。
嵐雪が気に入っている黒糖とかいう猫だ。
可愛い弟分と聞いていたが、閨をともにするなんて可愛がりすぎよね。
「桃花ちゃん、ここは男子禁制じゃなかったの?」
年始の酒宴の時は梅乃も呼んで雌ばかりだった。
「そういう訳でもないんだけど、あんまり雄は入れないわね。
今日は特別よ。うん、火狐は特別。黒糖は相手にならないからいいのよ」
「俺だってお前を相手だとか思ってねぇよ」
「それはどうも。また蹴られたいの?」
「そう何度も同じ手を食らうかよ」
黒糖/
「こちらはリーネよ。嵐雪の恋人の歌姫さん」
「リーネです。嵐雪とは駆け落ちした仲なの。よろしくね」
茶を噴きそうになる。駆け落ちってどんなだよ。
隣の魚女は、火の狐の言った通り確かに綺麗な人魚だった。
眼は桜貝色で、豊かな白金の髪が波打っている。肌の色が違うのは出身地の違いだ。
鮮やかな青藍の地に孔雀が描かれた着物は、
中華猫たちの故郷のもので華やかでよく似合っている。
着物の裾に大きく入った切れ込みから覗く脚は、立ったり座ったりと自由に動く。
人魚は陸ではうまく歩けないと聞いたが、どうやら出鱈目だった。
頭のてっぺんから足の爪先まで見て、嵐雪はこういう雌が好きなのかと思う。
離れにいるという同居人とはこの魚女のことだ。
間近で拝んだのはこれが初めてだった。
出会って以来連れ回してると聞いたから、相当なんだろう。
「へ~、駆け落ちって? 何なに、燃える話じゃん! どういう成り行きなんですか~」
火の狐が話に食いついた。
そんな訳だからリーネは嬉しそうに話を始めた。
俺の紹介がまだなんだが、誰もそんなこと気にしなかった。
リーネ/
「私はね、見世物小屋の歌姫だったの。嵐雪がそこから救い出してくれたのよ」
ぼんやりした記憶だけど、その前はみんなと海で暮らしてた。
広い海。光輝く入り江。海は穏やかで、月明かりが綺麗な。
でも、捕まっちゃって、見世物小屋で歌って働かされた。
あの時、歌声が聞こえたんだ、って嵐雪は言ったかしら。
夜の波止場で独り歩きして、歌を口ずさんでいた。
大事な宝物を見世物小屋の主に取り上げられて、それがないと帰れなかったの。
逃げられないとわかっているから、だから独り歩きも許されていたの。
波音だけが静かに繰り返されて。
海からの潮風が流れ込んで、月と海を近くに感じられた。
あたたかな南の海にたゆたうような声だね。綺麗だねって。
嵐雪の深い海のような眼に見つめられると、あの懐かしい海を思い出したわ。
囚われるのは嫌いよ。人魚はみんなそうなの。
でも、私には自由がなくて。
陸で上手に歌えても、生きるのがとっても息苦しそうだ、って。
嵐雪は、見世物小屋の主から私の宝物を奪い返してくれた。
それからずっと二人で逃げているの。
黒糖/
ありそうな話だ。嵐雪のしでかしそうなことではある。
だいたい誘拐だろ。宝物だって奪い返した? 奪ったでなく?
嵐雪の腕には罪人の印である二本の焼印がある。
だからって訳でもないが、よくよく話を聞くと信じられない事実が明かされることが多い。
だが、この魚女も怪しいと思った。自分に酔ってる感じがぬぐえない。
嵐雪と気が合う時点で相当信用ならない。
そんなことを思いつつも、どうでもいい気もする。
酒がなくて寂しいが、旨くて贅沢な料理を箸でつつく。
目の前には壱鹿が作った料理が並べられていた。
普段はさぼってんじゃないかと思うくらい凝った料理ばかりだ。
抹茶や団子もあるし、そこで焼いて好きな餡をつけられるようにしてある。
三人は俺をのけ者にして盛り上がっているが、
桃花も火の狐も真偽の程より面白ければいいと思っている節がある。
「ねえねえ、宝物って何なの?」
「知りたい? ふふ、これよ……」
そう言って、右の手首にしている青色の腕輪を見せた。
「人魚の涙を集めて縒って作ったものよ。甘くてまろやかで穏やかな海のよう」
魚女が見せた腕輪を見て、ぐっと咽喉から変な音が出てしまった。
「さっきから何なのよ。もー。噴き出したり咽喉鳴らしたり、やめてよね」
ちっ、と舌打ちをする。噴き出してねぇよ。
「ちょっと感じ悪い。今のわざとでしょ」
「桃花ちゃん、いいの。この子はこれを見たことあるからでしょう?
二つとない物だけど、二つで一組だから。
この腕輪はね、最初は持ち主の両手にするものだけど、
運命の相手に出会ったら、その人に捧げるものでもあるの。
嵐雪とおそろいにしてるのよ。お互いを感じられるように、ね」
魚女は余裕の笑みを浮かべた。
火の狐がきゃ~、とか何とか言っている。お前が言うのかよ。
腕輪の話はその通りだった。同じものを嵐雪がしていた。嵐雪は左手首に。
相手が同じ思いでいるのかは定かでないが、
冷たい熱を持ったそれに閨で何度もひやっとさせられた。
リーネ/
「そういえば、黒糖の紹介がまだだったわね。うーん、紹介が必要かしら?」
「嵐雪から聞いてるわよ。知りたくないこともいっぱい」
「俺も桃ちゃんから聞いてるし~。今更だよ~」
「そうよね。黒糖も今の状況を紹介されたって困るでしょ? ところで嵐雪は?」
と桃花ちゃんは苦虫顔の黒糖くんに聞いた。
「知るかよ」
なーんだ、一晩一緒にいたくせに知らないのね。
「蜘蛛の先生のところに烏酒の土産を持っていったのよ。今日じゃないといけないって」
「勘が働いたのかしら。逃げられたのよね」
「桃ちゃん、嵐雪さんに何するつもりだったの?」
「さあ? 何してあげようかしらって考えていたのに。
もー、紺も研ぎ師の磨いた爪にかかっちゃって、遊んでいるの知ってるの?」
「何の話だよ……知らねぇし。紺だって色々あるだろ。俺に構うなって言ったしな」
と口では言いつつも曇った表情をするのね。
本気のお相手がいるって話は本当みたい。
「町の研ぎ師っしょ。いい腕をしてるって聞いてるよ。俺の刀も研いでもらおっかな~」
研ぎ師というのを余所者の火の狐ですら知っているようだ。
「何にも知らないのね。どんな子かと思えば、もう拍子抜けよ」
嵐雪が弄んでいる黒糖くんに、変な愛嬌を感じてしまった。
三毛猫は好敵手にもなりそうになかった。
んー、と猫を真似て伸びをした。
火狐/
「まあ、いいわ。でも嵐雪が気に入るなんて……あなた、一体どんな味がするの?」
リーネさんは伸びをしたと思ったら、身を乗り出して黒糖さんとの間を詰めた。
おっと、と思って俺は尻尾で桃ちゃんの視界を遮った。
「桃ちゃん、見ちゃだめ」
「平気よ。私を誰の娘だと思ってるの」
「俺が、見て欲しくないの~」
桃ちゃんは黒くてふわふわした俺の尻尾をぎゅっと握った。
気持ちに反して、いやん、といつものお調子者の言葉が口から飛び出した。
次はどう動こうというのか。
危ぶんで、桃色の眼を覗き込む。
桃ちゃんは手の力をゆるめて、手持ち無沙汰に毛並みをなで始めた。
見て欲しくないのは伝わったみたいだ。ほっとする。
あ~あ。リーネさんの魅惑的な唇に迫られたら断るのは難しそうだ。
桃ちゃんには隠したくせに、俺は流されるままの黒糖さんの反応を見て思った。
ま、俺は桃ちゃんの方が断然いいな~。
桃ちゃんを俺の尻尾で囲んで、脚の間に誘い込む。
「……極楽」
小さな声で漏らした言葉が耳に入った。
いや~ん! そんな風に感じているのなら嬉しいな~!
頬を染めちゃって~! そんなに俺の尻尾が好きなのかな~!
そう思っていると、後ろから覗き込んでいるせいで、
深い谷間がちょうど見えることに気づいた。
たっぷりしてやわらかいんだよね~。
太腿と太腿の間も影になって、手を挿し入れたくなる。
その時、リーネさんが黒糖さんから離れたので、頃合いをみて尻尾を元に戻した。
桃ちゃんが名残惜しそうで可愛い~!
黒糖さんの様子に目を向けると、桃ちゃんに見せたくない表情をしていた。やだやだ。
落ち着くまでもう少し尻尾の中に閉じ込めていてもよかったな~!
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