年末-玖 桃園の席にて桃花と黒糖と甲斐が色恋話で盛り上がる


桃花/

「あんた、また出戻ってきたの。信じらんない」

肘掛窓に寄り掛かって座る三毛猫は、相も変わらず値打ちの煙管で安っぽい煙草を呑んでいた。

左肩から腰にかけて、大きく肌蹴た着物は派手な紅色。

姿を見せなくなったと思ったら、懲りもせず花を散らしに戻ってきたのだ。

半眼になって呆れていると、三毛猫はへらへら笑った。

「あーあ、気が抜けちゃう。ほんと、馬鹿よねぇ」

いい身体をしてるのに、気安いばかりの黒糖自身と似ている。

女 狐 の 煙 管

  メ ギ ツ ネ ノ キ セ ル

甲斐/

薄闇がかかる頃になると、赤い灯籠に火が灯される。

そんな折、舗の奥手に火が灯った。

色猫たちが客の相手をするには少し早い時刻だった。

桃の木が植えられた離座敷。桃園、と呼ばれる座敷の火だ。

それは桃花さんが遊びにきていることを知らせるものだった。

他から隠されるように路が造られ、部屋の主が自由に出入りできるようになっている。

運よく、料理番長の壱鹿さんから給仕役を言い付けられた俺はその路を通って桃園に向かっていた。

運もあるが、気の利かない徒猫には頼まれないことなので、日頃の働きの賜だ。

これから酒盛りなのだろう、摩夷夏の客人に出されるものと趣向の異なる酒に肴。

桃花さんが好きそうな綺麗な料理に酒の支度をして、入室の合図に鈴を鳴らした。

黒糖/

いつ来ても豪勢な部屋だと思う。

派手好みは狐の好みで、意匠を凝らした見事なしつらえだ。

文化や芸術などに興味のない俺でも、

そこにある物、光の細工、庭の景色に感じるものがあるといえばある。

畳に座布団に、心地がいいのが一番か。

目の前の女狐をいつでも迎えられるように手入れも行き届いている。

一人娘に溺愛もいいとこだ。雪花の執念を感じる。

そんな中で昔馴染の女狐・桃花は、軽やかな足取りで鈴が聞こえた襖に向かった。

チリンチリンと鈴を鳴らすやり方は閨でもやるから変な気分だ。

給仕役に現れたのは甲斐だった。先日俺を喰いやがった灰猫かよ。

阿呆面をしてる訳はだいたいわかる。

摩夷夏の主の娘と二人っきりなんて妙だろう。

見たくもないものを見てしまったと、その顔が言っていた。

桃花/

「廊下に突っ立ってないでこっちへいらっしゃい」

「いいんすか」

「何のために呼んだと思ってるのよ。甲斐にお酒を注いでもらいたいの」

腑に落ちない顔の理由に気づいて、説明を付ける。

「ああ、遠慮はいらないわ。黒糖とはそんな仲じゃないから。

付き合いは長いんだけどね。手合わせをしてよく遊んだ仲なの」

「そうなんすか、俺はてっきり」

「てっきり? 笑っちまうな。雪花も、俺を悪い虫に数えるとは勘定違いもいいとこだぜ」

「そーよね。私と黒糖が? ありえないわ」

だよな、ほんとこんな馬鹿、ああん? 何よー、暴力女……

と続いたので、黒糖には思い切り蹴りを入れてやった。

あーん、いいのが入っちゃった。大丈夫かしら。

「ちゃんと避けなさいよ。身体がなまってるんじゃないの」

「加減しろよ……」

「そうね、ごめんなさい。久しぶりだったから加減なんて忘れちゃった」

そういえば、今は四ノ猫だったかしら。根っからの野良猫の黒糖でも鈍るのね。

甲斐/

桃花さんの蹴りは見事に決まった。

気持ちいいくらいに黒糖さんは横様に倒れ、呻いている。

桃花さんはそばに行って心配そうに声を掛けるが、

そんなに屈んだら豊満なおっぱいが溢れてしまわないか心配になる。

今日は晒も巻いてないし、股引も履いてないし。

……惜しげもなく綺麗な脚を見せている。

桃花さんに蹴られたい奴はいくらでもいる。

虐められて悦ぶ趣味のない俺でも、蹴られた黒糖さんが羨ましい。

その際は、有難いと思って痛みを享受するしかないだろう。

たわわな胸や毛並みは言うまでもなく、腕を回したくなる腰、ほどよく引き締まった綺麗な脚。

しっとりと透き通った白い肌に、見えないところも桃色なのかと考える自分に待ったをかける。

不届きな妄想だった。いけない、いけない。

目の前の二人に色恋の気配がないのは認めるが、

万が一にでも変な気を起こしたらと憂う雪花さんの気持ちはわからないでもない。

桃花さんは綺麗で色香があり、黒糖さんは気分次第でしかも流されやすい。

でも、雪花さん自身の普段の行いが心配の一番の理由なんじゃないかと思う。

悪事を企む遊び人の雪花さんから見れば、悪い虫にしか見えないのだろう。

黒糖/

「甲斐、こっちに座りなさい。一緒に呑みましょう」

「どうもっす。桃花さんとご一緒できるなんて夢みたいっすよ」

痛みを堪えて身体を起こす。くっそ、桃花の狐め。

扱いが雑なのは昔からだ。しかも蹴力が強くなってやがる。

心配する様子だったが今はもう知らん顔で、父親と一緒で俺を虚仮にする。

起き上がると、甲斐がこちらを気にしていた。

俺のことをよく思っていないくせに、こちらを気にするあたり灰猫の気のよさを感じる。

「俺がいていいんすか」

「ああ、気にすんなって」

「いや、あんたはいいのかよって話なんすけど」

「あんた呼びかよ」

明らかに桃花と話す時と、というか思い返せば俺と話す時だけ声が低くなる。

敬語と荒っぽい言葉が入り混じる。人のよさがどうとかは取り消す。

「ひきずる奴だな」

「まあ、黒糖さんがいいならー、俺はいいんすよ」

ぶつくさ言うわりに灰猫は遠慮する気配だ。

名前を言い替えたところにも、問題事を嫌う節がある。

桃花は興味ないふりをしているが、頭を巡らせて答えに辿り着くのだろう。

桃花/

「今日呼び出したのはね、これを渡そうと思ったのよ」

黒糖が煙管に手を伸ばしたから、いい頃合いと思って切り出す。

ほどほどに酒が入り、身体もぽかぽかしていた。箸もよく進む。

壱鹿のつまみが美味しいったらない。酒の組み合わせも絶妙。

「はい、どうぞ。私と母の餞別。見立ては母よ」

「餞別っておかしいだろ。梅乃さんの見立てなら何だって欲しいが」

「桃花さんと梅乃さんからの? うわぁ、羨ましいっす」

今度、甲斐にも贈ってあげようと心に留めながら、懐から取り出した小箱を渡す。

落ちた椿の花首が描かれた毒っけのあるものだ。

中には椿葉の刻み煙草が入っている。黒糖に渡すのが惜しいくらい、いい品だ。

「んー、どちらかというと御愁傷様って意味合いかしら。

ここから出られないんでしょ。しばらくウチの煙草屋に来れないだろうから」

「そりゃどうも」

短い言葉の中にいかにも嬉しいのが伝わってくる。わかりやすい奴。

黒糖は欄干近くに移動して、楽な格好で煙草を呑み始めた。

手に持った煙管は、紅藍といって竹林の鬼が作ったものだ。

真実餞別の意味で、色猫をやめた黒糖に贈った煙管だった。

吸い口のせいか、不思議と美味しく呑める仕組みになっている。

もう、まさかね、何度も出戻ってくるなんて思いもしなかった昔にあげたのよ。

今も変わらず考えなしの黒糖に呆れる。

甲斐/

「ねえ、気になってるんだけど」

「何だよ」

「あんた、紺をどうするつもりなのよ」

うきうきと煙草を呑んでいた黒糖さんは、まったく油断していたのか盛大にむせた。

「……は? 紺?」

「嫌いじゃないくせに、邪険にしちゃって。

あんたのせいで変になっちゃってるじゃない。あんな紺、見てらんない」

「勝手にだろ。俺のせいじゃねぇよ」

「他の猫とは遊んでるんでしょ。

驚きよ、嵐雪にべったりだったあんたが。遊んだりできるの?」

桃花さんが振った話に俺は耳を塞ぎたくなる。

黒糖さんと花を交えた以上、無関係ではなくなってしまった。

遊ぶというには語弊を感じる。手を出す、というより出される立場だ。

「そんな昔の話忘れろ」

「そうよね、嵐雪は音沙汰無しだものねぇ。とにかく私は紺の味方だから。

紺を困らせてるのはあんたよ。いいじゃない、紺。猫なら断然、紺が一番よ」

ええ? そうなのか!? と俺はそっちに耳をそば立てる。

「一途だからずっと大事にしてくれるわ。奉仕精神旺盛の色猫の中にいるせいかしら。

あんまり笑わないから一見怖そうだけど、そこもいいの。笑うと可愛いし、優しいもの」

「あー、最後のは同感」

「は? そんな風にあんたがどっちつかずだからいけないんでしょ。

摩夷夏の良心だったのに、責任取りなさいよ」

「俺が? 知らねぇよ。だいたい何であいつ、あんなに俺にこだわってるんだ。

好きだとか……ただの相手にできないだろ」

「好きって言われたの? 本気で好かれてるから簡単に遊んでやれないってこと?

何よ、それって……」

「あ……」

黒糖さんは意識せず出た言葉にやや茫然とし、桃花さんは驚いた後で思案顔になった。

黒糖/

「それなら、まだ可能性はあるかしら」

桃花がこの話を続けそうなものだから、何かないかと甲斐を見る。

灰猫だってこんな話は続けたくないだろう。

こいつの性格上、助け船を出してくれる気がした。そうだよな、出せるよな。

「え……!? えええ。あ、桃花さん!」

「え? どうしたの、甲斐」

考えに没頭していた桃花が顔を上げる。

「火の狐の兄さんとは、最近どうなんすか?」

言いたいことをいち早く読み取った甲斐によくやったと心の中で言う。

だが、

「火の狐って誰だよ」

「やだ、黒糖の前で言わないでよぉ。まだ知らないんだから」

何だ、その眩しい顔は。

桃花は、嬉しさを隠そうとしてうまくできずに頬を染めて笑顔が溢れた。

ひとまずは話のすり替えに成功したようで、甲斐と顔を見合わせてほっとした。

甲斐/

「桃花さんといい感じの狐っすよ」

思わず黒糖さんに助け船を出してしまったが、藪蛇かもしれない。

初手はまずまず。桃花さんの笑顔が可愛くて仕方ない。

「で、火の狐って?」

変な話に持っていって、もしも俺の立場が悪くなったらどうしてくれるんだ。

と心の目で三毛猫を睨むが、まったく通じず、とぼけた顔で聞いてくる。

「余所者なんすけど、すこぶる男前で腕の立つ狐なんですよ。

赤毛で、目の周りとか爪も水色でお洒落で。

謎めいていて、あ、でもノリはいいし面白いっすよ。

まぁとにかく、そりゃもう格好いい狐っすよ!」

「そうなの。調子がよくって、たまに馬鹿なんじゃないのって思うけど、強くて逞しくて。

かっこいいの。どきっとさせられちゃう。毛並みもふわふわで……」

桃花さんにこんな顔でこんなことを言わせる火の狐が羨ましい。

黒糖さんは別のことを言って、桃花さんを喜ばせたりなじらせたりした。

「甲斐はどうなの? 好きな子いないの?」

「俺はまだいいっす。お客様に可愛がってもらって幸せっすから」

「甲斐ったら! 働き者ね! 黒糖みたいにひねくれてもないしこじらせてもないし。

ほんとにいい猫!」

でも猫は紺さんかぁ、と思いながらぼやっとしていた俺は、桃花さんの綺麗な腕に捕まった。

桃花さんは酔っぱらっていた。

抱き締められて胸にうずめられた。やわらかくて……天にも昇る心地だ。

そう思った途端、背筋に冷たいものが走る。

こんなところを見られたら命を狙われる。

猫でもないくせに、火の狐はのらりくらりと見せかけて桃花さんにぞっこんだ。

しかもいつも刀を持ち歩いているような奴だ。

雪花さんは桃花さんを溺愛している。

眼力で殺られる……いや、くたばるまで働かされて金を絞り取られる。そんな気がする。

俺は自分の身の安全のために桃花さんの幸せを祈った。

三毛猫のことは知ったことじゃない。

今晩の酒盛りを口外するなと睨みつけるがすでにべろべろだった。無用の心配だった。

紺さんが駄目になって摩夷夏が傾くのはいただけない。

ついでに紺さんの幸せも祈りながら俺も酔いに身を任せることにした。

 1-9