年末-捌 雪花に逆らえない甲斐は黒糖の世話を申し付けられる


甲斐/

「食事中だ、盛んな」

それは昼飯の席だった。

大きくもないのによく通る雪花さんの声が食堂に響いた。

向けられた当方は二人。

一人は、顔を赤くし、身体を震わせて佇む紺さん。

もう一人は、押し倒され、床に両手を突いて座り込む黒糖さん。

騒ぎの中心である二人、いや、三人を横目に俺は飯をかっこんだ。

喰 事 時

  シ ョ ク ジ ド キ

猫たちの食事の時間は日に三度ある。

早朝から舗の手伝いをする徒猫の朝飯。

色猫として働いた猫の遅い朝飯、つまるところ、徒猫にとっての昼飯。

夜も後半から働き始める猫の軽い飯と朝早くから働く徒猫の晩飯。

色猫に舗から出されるのはだいたい一食で、後は客人との酒盛りで食うのがふつうだ。

昨晩が色猫仕事だった俺は遅い朝飯の際、さっきのお三方と食堂で居合わせた。

雪花さんは食堂の一番奥、定位置となっている上座に座っていた。

紺さんはその斜め前の席に。

そして、紺さんの隣に座ったのがここへ来て間もない黒糖さんだった。

遅起きの猫たちがいる食堂で、冬の最中にも関わらず、花のにおいをぷんぷんさせている。

新参者の三毛猫は無頓着にも花のにおいをまき散らし、周りの猫をそわそわさせる。

季節を無視した発情は、珍しいせいなのかいつも以上に魅惑的にみえる。

花を突く甘ったるいにおいに当てられないよう、俺は心持ち自分の花を背けて席に着いた。

俺は雌相手の色猫だから、雄猫は専門外だ。

そうは言っても、発情期のにおいはいけない。雄も雌も関係ない。

妙な気を抱え込んでしまってどうも調子が狂うんだ。

仕事柄、情欲に慣れ親しんでいる色猫も徒猫も、多少の差こそあれみな妙な気を抱いていた。

気の毒にも、それが顕著に現れているのが紺さんだった。

取り乱した紺さんも、今はもう珍しくなくなっていた。

肩がぶつかった。

身体の接触がきっかけになったのだろう。

ちょうど三人を視界に収める位置にいた俺は、事の一部始終を見る羽目になった。

紺さんの肩に黒糖さんがぶつかった。

傍から見ても紺さんの身体は大きく震えた。

そうかと思えば、黒糖さんの腕をひっつかみ、抱き寄せようとした。

驚いて反射的に紺さんを突き飛ばした黒糖さんは、椅子もろとも後ろへひっくり返った。

そこへ紺さんが覆い被さり、二人して床に折り重なった。

黒糖さんは声を荒げ、紺さんは熱に浮かされたように帯を取り払った。

正直、この場でそれはいけないんじゃないかと。

その時、雪花さんの言葉が投じられた。

二人が絡み合って床へなだれたのは一瞬のことで、

他の猫へ指示を出していた雪花さんが気づくには数秒遅れた。

紺さんが黒糖さんに欲情していることはみな知っていて、驚く者はもういない。

俺は最初、黒糖さんが摩夷夏で色猫をするのは初めてと思っていた。

だが、以前もここで働いていたらしく、俺より一世代上の連中とは顔見知りのようだ。

詳しい事情など知らないが、ただ、この新しい猫が来て状況が変わったのは確かだ。

雇い主である親分の雪花さんは無意識に色気立ち、

実務上の仕事を一手に引き受ける裏方の紺さんは見ての通りだ。

紺さんってもっと冷静だと思っていた。

たかが発情期の猫だろ? そんなの、腐るほど見てきたはずだ。

あのにおいがそれほど影響を与えると思えないが、この状況はどういう訳なんだ。

申し訳ありません、と言って紺さんは食堂を飛び出した。

黒糖さんはというと、のんびり身体を起こして雪花さんに一瞥をくれる。

やや紅潮しているが、紺さんに抱きつかれた時以上には驚いていない。

椅子を戻すが衣の乱れに頓着せず、汁物だけ飲んで席から立ち上がった。

「何だ、それで終わりか。もう食わないのか? 残すと壱鹿がうるさいぞ」

さっきの怒気もなく言う。あっけらかんとしている。

「黒糖、お前痩せすぎなんだから、紺の分も食っていけばいい」

切替が早い点は雪花さんの美点でもあるがもちろん駄点でもある。

「そんなに食えねぇよ」

「もっと太れ」

「へいへい」

黒糖さんは適当に答えるが、それ以上食べることなく食堂を出ていった。

その姿を目で追ったのがまずかったのか。

騒ぎに無関心とみせかけるために食事を続け、今まさに食べ終わった時機が悪かったのか。

視線を戻すと、雪花さんと目がかち合った。

ふっと、微笑まれた。男前だ。ああ、もう嫌な予感しかしない。

「おい、甲斐」

「は、はい。雪花さん、何っすか」

「お前、黒糖の世話をしてやれ」

「は……せ、世話……?」

「午後から仕事も入ってなかっただろう。任せる。お前がいいと思うようにしてやれ」

「いいと思うようにって……紺さんはいいんすか」

「あいつは一人でどうにかするだろう。

黒糖はまず無理だな。相手がいないと収まらない類のものだ」

断る機会は与えられず、雪花さんは先に食堂を出ていった。

その背中を見て途方に暮れる。

長いものに巻かれてやるのを信条としている俺に、断る選択肢もないのだが。

雪花さんの言う通り、発情期の猫があのままの状態でいられるはずがなかった。

相手がいない云々はよくわからなかったが、それはそれとして。

雪花さんの命令だ、頼られてるんだ、と自分に言い聞かせるも気が進まない。

四ノ猫一件に巻き込まれたくないのが本音だ。

俺はそういうのが苦手なんだ。

それも考慮した上で、雪花さんは俺に世話を押し付けたような気がする。

ため息をついて、花のにおいを探りながら廊下をうろつく。

食堂から黒糖さんの部屋は少し遠かったはずだ。それなら近くの厠で済ませる。

いや、逆に部屋まで行って時間を潰し、逃げられましたと言い訳をしてもいい。

と思うも、雪花さんの尻尾は長くて魅力的だった。役に立って褒められたい。

考えようによっては、発情期の猫に手を出す許しをもらったのだ。

変に手を出して、雪花さんにも紺さんにも恨まれることにはならないだろう。

俺は思わず唾を飲み込んだ。深みにはまらなければいいだけだ。

興味がない訳ではなかった。

あの二人がこだわる相手だ。外れはあり得ないだろう。

見当をつけた厠に足を踏み入れると、甘ったるいにおいが充満していた。

胸をかき乱すにおいだ。

自分のことに没頭し、背後に注意も払わない黒糖さんを捕まえるのはたやすかった。

身体に触れると、鳥肌が立つ。

「雪花さんからの命令っす。世話を焼いてあげるんですから、悪く思わないでくださいよ」

そう言って、俺は発情期の猫を喰らいにかかった。

今までに味わったことのない快感が押し寄せてくる。

こうなってしまえば、その波に身を任せ、味わい尽くす。

たまには雄猫も悪くないと思えた。

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