年末-陸 唆された紺が黒糖を襲った一部始終を黒木が伝達する


紺/

風呂場の脱衣所にいるのは自分だけだった。

ここからはいくつかの浴場に繋がっている。

一つは共同の大浴場で、あといくつかは個室になった小さな浴場。

すっかり夜も更けたこの時刻、色猫たちは各々客の相手をしている最中だ。

風呂場と脱衣所を隔てる硝子戸。

磨り硝子越しに見える人影は一つ。個室の方だ。

その正体を知らされてここで待つことにしたのは、他でもない雪花さんに唆されたからだった。

続 ・ 行 水 遊 び

  ゾ ク ・ ギ ョ ウ ズ イ ア ソ ビ

黒糖/

しばらく個室を使うようにと言われた。

先日、風呂に入った時から、雪花のぞくぞくした声が忘れられない。

風呂場でぶちまけたなんて……大浴場を使うのは気が引けた。

だが、あの時どうしてあんなことになったのかわからない。

薬師先生と雪花はぼやいていた。

薬で発情期を誘発したのは突き止めた。聞いたら簡単に答えやがった。

いつどんな時にあんな風になるかと気が気じゃない。

雪花の命令とはいえ、文句も言わず個室を使うことを認めたのはそんな訳だった。

だが個室は個室で、ついさっきもいいようにされてしまった。舌打ちをする。

我慢はできたので、まぁよしとするか。

「客が相手ならともかく、何だって雪花に」

そう吐き捨てながら風呂場を出ると、脱衣所に誰かいることに気づいた。

この時刻だ。他の猫がいるとは思いもしなかった。

驚いて飛び上がった。

紺/

明るい茶に赤い房が交じった髪がしとやかに濡れている。

毛先から滴が落ち、ぽたぽたぽた、と床に小さな跡を残す。

「そんなに驚くことですか」

平静を装って言う。

黒糖さんは目を大きく開けて驚きを隠そうともしない。無闇に傷つく。

「黒糖と遊んでみたらどうだ」

雪花さんの言葉が蘇る。

「今晩、あいつに仕事は入れていない。

明日から目一杯働いてもらうつもりだ。今晩を逃せば、果たして次はいつになるのやら。

黒糖はまだ風呂場にいるよ。しばらく出られないようにしてやった。

だから、まぁ好きにするといい」

一日の片付けをしていたところ、わざわざやってきて向けられた言葉だ。

それだけ言い放つと、こちらの呼びとめには耳も貸さず行ってしまった。

これは遊んでいけということなのか?

黒糖/

「紺、か。驚いたもんは仕方ねぇだろ」

ただ風呂上りに鉢合わせただけだ。

別に驚くほどのことではなかったな。

そう思いながら自分の衣を入れた籠の前まで歩いてゆく。

籠の中の乾いた手拭を取り、わしゃわしゃと髪についた水分をふき払う。

同じ舗の中にいても、なかなか紺と顔を合わせることはなかった。

紺の髪は乾いている。

今からこいつは風呂を使うのか、と通り過ぎ様に思った。

もしも俺がそっちに行っていたらと考えて、薄ら寒さを覚える。

少し、雪花に仕掛けられたところがうずく。

だがやり過ごせないことはないはずだ。

さっさと風呂に入れよ、と心の中で紺に毒づく。

毒づきながらもうずきが止まらず、紺がいなくなるのを待てず目を閉じた。

動作を止めて、しばし佇んだ。

紺/

「ずいぶん無防備ですね、いつもこうですか?」

飴色の双眸に戦慄が走った。

発情期とはいえ、黒糖さんは腐っても野良猫だ。

身体能力は高く、喧嘩はめっぽう強い。忘れそうになっていたが。

鳩尾に撃ち込まれる寸前の拳を右手で受け止めた。

不意の身の危険に、黒糖さんの全身の毛が逆立っている。

が、当然私も猫だ。足音を消すくらい訳ない。

「この前より感覚が研ぎ澄まされていますね。これなら安心です」

この前、とは取り立てに行った日のことだ。

薬が効いているとはいえ、いつもあんな風ではこちらが困る。

棚に左手をつき、滴の残るその首筋に舌を這わせた。

そっと右手で、黒糖さんの拳を元の位置に戻し、後ろから抱いた。

湯上りの肌は熱く、残っていた滴がこちらの肌に移った。

黒糖/

振り向く間もなく背後を取られた。

なるべく深く呼吸し、過敏になった身体を静める。

背中に直接紺の体温を感じる。

風呂にも入ってないくせに、耳にかかる息が酷く熱い。

「紺、やめろ」

「嫌です。同じ屋根の下にいるのに、あなたは……あれからまともに話していない」

「じゃあ話でケリをつけようぜ」

「話なんて無駄なことです。今すぐ黒糖さんに触れたい。いいでしょう?」

「お前、言ってることが滅茶苦茶だ。わかってんのか」

「自覚はあります。黒糖さんといるとおかしくなる。こんなにも好きなのに、」

首筋にやわらかな痛みを受ける。

その心地よい甘咬みに流されまいとするが身体が反応する。

「こんなところで……誰か来た、ら」

「みなの入り具合は把握しています。今は誰も手が空いてる者はいません。

誰も来ることはありませんよ」

紺/

首筋を咬まれた黒糖さんを脱衣所の真ん中にある籐椅子に寝かせる。

たわんで不安定だが、この際仕方がない。

「好きなんです。ずっとここにいてくれませんか」

「風呂場で何だよ。咬んでおいて……こんなところ、いられるかよ」

顔をしかめると、黒糖さんは慌てて言い足した。

「いや、お前が嫌な訳じゃなくて……猫だらけだぜ」

「嫌じゃない……? じゃあ」

黒糖さんの腰に巻いてあった手拭を取り払おうとするが止められる。

布越しに、その下の状態に気づいてしまった。

「待て待て。ここで何しようって言うんだよ」

「雪花さんに仕掛けられて、もうこんなになってるじゃないですか」

「何で知ってんだよ」

「一緒に気持ちよくなりましょう……あれ以来、誰とも花を交えてない……」

「馬鹿、俺に構うなよ」

肩の力が抜けてしまった。しょんぼりと黙っていると、黒糖さんはため息をついた。

ため息がとどめで、勢いも締まりもなくなってしまった。頭を垂れる。

「仕方ねぇな」

「……?」

「俺のことを好きだとか言う奴、お前くらいだよ。馬鹿だろ。

まぁいいか、どうせここもこんなことになってる訳だ……」

目を逸らしながらも、私の手をつかんで、黒糖さんのいうところのここに押し当てる。

「黒糖さん……本当はいやらしいこと、好きですよね……」

「ぬかせ、襲っておいて」

雪花/

「この通り、黒糖くんは最後まであらがう素振りをみせていましたよ。

最後までやってしまったのは、うーん、黒糖くんの性格でしょうね。

さて、やはりあなたの場合とはどう見積もっても違うようですね」

「呆れた奴だ。一部始終見ていたのか。誰も最後まで見ていろと言ってない」

「最後まで見てはいけないとも言われてませんし」

これっぽっちの悪気もなく、目の前にゆったり座る黒木が言う。

黒木には、薬の指示や黒糖の観察など裏で動くように言ってある。

便利な黒猫ではあるが、私の手には負えないと思うことがある。

使っているつもりになって天狗になれば、裏をかかれる。

本人の気分次第であることを忘れてはならない。

「要望に応えるにはできる限り詳細な観察が必要ですから」

などと笑顔で言うが、腹の底は闇で見えやしない。

「返済期日の晩はよくやってくれた。お前も大いに愉しんだようだがな。

そろそろ薬師先生のところへ経過報告にでも行ってこい」

「ええ、そうですね。頃合いですし、報告に参ると致しましょうか。

薬の効果を一番知りたいのは、あの方でしょうから」

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