大祭-5 王の末裔と特等アルマーが交わり晶の守り神を誘う


片 割 れ 月

王は満月の下に生まれる。それは古来からの決まり事だった。

新月の下に生まれた者に王座は与えられず、

代わりにアルマーに癒しをもたらす御手が授けられる。

その手がアルマーを生かし、特等のアルマーを交えて王は神の恵みを頂戴する。

そうして対となる。片割れは欠けた状態をいうのでなく、対の存在を暗示する。

対となるものは王のみにあらず、神と魔も同様に在る。

神は王の末裔を抱き、魔はアルマーを食らう。

神が潔白で純真なものを好めば、魔はより優れて磨かれたものを求めるのだった。

「決まりだ。ここに瑞々しきアルマーをくわえ、すべてを晶の守り神へ捧げる。

あなたの好物足り得るよう願い、叶って幕内が至上の悦びで満たされるほどに香れ」

花房の一つは王の手の上で芳しく香り、枯れた一つは乾涸び、粉々になって零れ落ちた。

選んだ者を片手で抱き寄せ、ナランキュラスと同じに口づける。

「いい匂いだ」

こうしてアシュラフはジャウハラを摘み取ることにした。

椅子での用は済んだ訳だが、次の幕へ至る前にすることがある。

他の供物が並べられた辺りに一つだけ空の祭壇があった。

ベッドと言っても間違いではない。むしろ、そう言った方が相応しいだろう。

王の使者に見せるものだから天蓋に代わるものはなかった。

祭壇は絹の白布で覆われ、これ見よがしに宝石箱が一つ置かれていた。

中には13色の宝石とある物が入っている。

ジャウハラは熱っぽくぼんやりしていた。

俺の唇でとろけたのであれば喜ばしいが、そうではなかった。

初めからこんな様子だった。

アルマーはここへ来るまでに王の使者によってその身を祓い清められている。

俺とは異なる方法で蜜漬けにされる。

ウルードにはイルファーンがついていた。ジャウハラにはサーリーだ。

あいつ……いいご身分だ。

年の変わらない兄の顔を思い浮かべながら、心の中で羨ましく思う。

宝石治療院に閉じ籠ってないで、ここへ顔を出せばいいものを。

だが、いつもこんな相手を癒して忙しくしているのなら、

出向く暇も興味もないというのは頷ける。

俺は兄ほどにはアルマーを知らない。

チャイハナでは生身で触れ合うこともできなかったが、今は俺の腕の中だ。

抱き上げて白布の上に寝かせた。

ただの娘に見えるが、そうでないと本能が知らせる。

再び口づければ、柔らかな唇が吸いつくのでこちらも心地よくなった。

可憐なヴァイオレットブルーの瞳がますますとろけた。

その瞳を見つめていると、背筋がぞくぞくして堪らなくなるのだ。

片手で宝石箱の蓋を跳ね上げ、白布の上に宝石を無造作に散らした。

赤、桃、オレンジ、黄、黄緑、緑、水色、青、紫、褐色、黒、白、透明。

どれもナジュムンドで採れる宝石ばかりだ。

その中でも赤は我々の色だ。

この瞳に赤い炎を宿すために王の末裔として尊ばれる。

炎は力の源だ。妖しい輝きを放ち、神聖とも禍々しいともいう。

遊色を帯びる虹色の宝石もナジュムンドでは採れるが、ここに虹色の宝石はない。

しかし、その色はすぐそこにあった。

虹色は王の使者の色だった。

イルファーンの双眸には捉えがたい虹色が浮かび、いつでも無邪気できらきらと輝いている。

彼の瞳は乳白色の地に虹色を持つ。

過去には、青黒い地やオレンジ地にさまざまな虹色を持った王の使者がいたという。

何にしても宝石のことはもういいのだ。俺は宝石箱に残ったものに目を遣った。

薄い袋状のものと香水壜。使い方はよく知っていた。

「ジャウハラ、ともに快感を味わおう。

欲しいものを手に入れたら、一度であいつらは立ち去るから」

アルマーはとろんだ瞳で頷いた。

わかっているのか定かでないが、乙女に見紛う娘は乙女ではないらしい。

成人の儀式を経た者しかこれには参加できない決まりだ。

儀式の手順は学んでいるはずだ。

上気した頬と熱い吐息。匂い立つものに刺激され、体がうずく。

サーリーの顔がちらつくのも興奮に拍車を掛ける。

ジャウハラの前髪を払って額に口づける。ここに触れると酷く力がみなぎる。

全身の形を確かめるように撫でてゆき、へそを過ぎ、そこに到達する。

舐め、掻き乱し、優しくする。

もうすぐというところで、ようやく俺は薄い袋状のものを手に取った。

重なった部分を引き伸ばし、再び膨らんだ自分のそれに装着した。

入口には固定するためのリボンが付いている。心許ない細さだ。

手際よくリボンを結び、呼吸を合わせて腰を前後に振った。

一人で達しても意味がない。相手にも悦びを与えたいと思う。

同時に味わうためにジャウハラを探り、程なくして快感が走り抜けた。

束の間、うっとりする。

同じく脱力したジャウハラだ。

柔らかな胸に埋もれたいという思いを留める。余韻に浸るより邪魔者をどうかするのが先だ。

収まったものを引き抜くと、ぶちまけた液が袋の底に溜まっていた。

香水壜に移し、栓をする。

液は白濁としているが、香水壜の赤い硝子を通し見れば、血液に見えないでもない。

「イルファーン、受け取れ。お望みのものだ」

「待ち兼ねましたよ、アシュラフ王。思ったより上手に出来ましたね」

「偉そうな奴だ。こういう風に出来たものはな、当然の結果と言うんだ。

しかし、こんなものをよくもまあ酒に混ぜ込む……幕内で使わなくてどうする」

「いいんですよ。どう使おうが決めるのはこちらです。

しかし、王のたってのご希望とあらば、幕内で使って差し上げますよ。ああ、興奮する……

それだけで価値があるというものです。こいつは頂いて、私たちは降壇の時間です」

イルファーンは笑って言った。

儀式は進んでゆく。

太陽は完全に没し、夜は深みを増して満月をますます輝かせた。

ラバーブはリズク酒の入ったグラスを片手に満月を象った焼き菓子を頬張った。

ボトルでリズク酒を数本と籠いっぱいの満月菓子を手に入れ、

花燈で彩られた広場で円舞を眺めていた。

中央に設置された舞台では、煌びやかな衣装を身に着けた少年少女が舞い踊る。

肌を透かす色鮮やかな衣装がひるがえり、視界を華やかさで埋め尽くす。

ナジュムンドの人々は健やかに日々を過ごし、国は豊かで旨いものも綺麗なものもいっぱいだ。

みな、晶の守り神様の恵みに感謝の気持ちを抱いて祭りを愉しんでいる。

だがそろそろ夜も更けた。子どもらは家へ帰る時間だ。

子どもの夜更かしも許される大祭であっても、ある刻限を過ぎれば子どもの遊ぶ時間は終わる。

その頃には俺好みの情熱的な連中が踊り始める。

それまで時間もあることだと、ヒバのチャイハナへ足を向けた。

チャイハナは閉店していたが店の扉に酒を示す旗が垂れていた。

今は酒場らしい。

ヒバの店は夜になると酒場に変わる。つまみも旨いんだ。

カウンターの空いた席に座り、ここでもリズク酒を注文する。

リズク酒のボトルは夜闇を表す黒色で、

正方形のラベルには晶の守り神様の恵みを示す晶洞が描かれている。

ボトルを並べれば、夜天を流れる光の川のようだった。

ヒバの手の内で、晶洞がきらめきながらグラスにリズク酒が注がれる。

円筒のグラスには白い蔓模様が描かれ、無色透明な液が透かし見える。

リズク酒は白葡萄でできた酒だ。アニスや何かのハーブで香り付けしている。

「ラバーブ、手を出してくれ」

リズク酒をこちらへ渡す前にヒバが言った。

導く光スィラージュがいつまでも灯りますように」

差し出した俺の手を取って軽く口づける。その後で恭しく額に手を当てた。

「君にもスィラージュが灯りますように」

年若い者が年配の者に加護を仰ぐ挨拶だ。大祭の間はこの言葉が飛び交う。

目の前の男は、今夜何人の若い女に同じ挨拶を求められたか知れない。

逆に年上の女にはヒバから求めるのだ。

女であれば挨拶ひとつに嫉妬もされようが、たかが挨拶でだ。構ってられないぜ。

だが、俺は数に入らないらしいので色っぽい瞬きをしてやる。ヒバは笑って受け流した。

こんな真似をウルードにやると、アズハールがやきもちを妬く。

ウルードが受け流せば、それもだ。

これはアズハールを揶揄う時の手だがな。

ああ、今頃ウルードはアシュラフ王に抱かれている。王もお気に召すだろう。

アズハールが妬こうが妬くまいが大祭はつつがなく進む。

そう思いながら、リズク酒を水で割った。だいたいは自分好みに飲みながら割る。

こうすると無色透明の酒は、白く濁って正体を現す。

元が強い酒だから酔っ払う前に催促する。

「例の」

「はい、どうぞ」

白くなった酒をテーブルに置くと、ヒバが別のボトルを持っていた。

「お! よく手に入ったな」

「もちろんさ。ここをどこと思ってるんだい。手に入らないものなんてないよ。

正真正銘のアフラームのリズク酒だ」

他のラベルと同じモチーフのボトルだが、晶洞があるべき部分がくり抜かれていた。

くり抜かれた部分を覗くと、酒自体が透き通った虹色にきらめく。

「今年のは例年以上に稀少だから少々値が張るよ。手に入るだけ有難いだろう」

手書きの値札を見せて、ヒバは商売人の顔で笑った。

甘い顔をして女を口説くくせに食えない奴だ。

「高いな。それだけの価値があるのは承知だが、ぼられてないことを祈るぜ」

アフラームのリズク酒は市場に出回らない。

いつも小屋にいる俺には手の出しようがないが、ヒバのような口利き屋に頼めば話は別だ。

この酷暑の夜にリズク酒は最高だ。

アフラームのものは特にいい。香り高く特別な酒だ。

神々からの授かり物であり、祝福が降る心地。リズク酒はまさにそうだった。

その時、酒屋に少女が入ってきた。

目の端で捉えて、さり気なく視線を戻した。少女もまたこちらを捉えていた。

歩み寄る様子は酷く静かだった。

場にそぐわないと思える清らかな格好も、気配がないために客の目を集めることはなかった。

まあ、客には大祭の衣装で通るのだろう。

俺のそばへやって来た少女は、つい先日、晶区の館で出迎えてくれた少女だった。

「ラバーブ様、申し訳ありません。約束もなしにこのような勝手をお許しください」

「気にしなくていい。それより、こんな綺麗な娘が夜更けに出歩いて大丈夫か?

戯れ掛けられるぜ。迎えは明日だろ。何かあったのか?」

少女は眉尻を下げて言った。どこか泣き出しそうな表情でもあった。

「主人の様子がおかしいのです。どうか、すぐにでも主人にお会いください……!」

その足で晶区の館へ向かった。シャーズィヤの館だ。

気丈な少女は一時溢れた感情を仕舞った。

主人は執務室と繋がった私室に籠り、身の回りの世話を任せている者すら近寄らせないという。

こんなことは今までなく、最後に姿を見せた時には体が異様に腫れていたそうだ。

「腫れていた? どんな風に。原因に心当たりは?」

そう聞いてもはっきりしないことを言う。

切実さが伝わる反面、もごもごと恥じらって要領を得ない。

何を恥じらっているんだ?

どういう訳か知らないが、主人は渋った上で俺を呼ぶことは許可したらしい。

渋る余裕があるのか、いよいよ窮したか。

そもそも明日会う約束をしていたのだから一日早まっても構わなかった。

問題は時刻か。

浮かれ騒ぐ大祭の最中とはいえ、ここは王族の領域だ。薬草区の館とは訳が違う。

招き入れられるままに女主人の私室に踏み込んでいいものか。

私室とは寝所だ。そう思うが、一方で俺の躊躇いなど無きに等しい。

シャーズィヤの新たな一面を知る予感がしていた。そっちの興味が強かった。

「シャーズィヤ。いるのか?」

部屋へ踏み入ると、香油が焚かれていた。

いつも通りの高貴と神聖をあわせ持つシャーズィヤの香りだ。

灯りのない部屋はほの暗い。

だが、月夜のために窓辺は明るく、やがて夜目が利き始めた。

そして、シルバーホワイトの輝きを見つけた。

シャーズィヤはベッドにいた。天蓋の内で息をひそめて。

それでも衣擦れと甘やかな吐息がする。

ラバーブは要領を得ない理由が飲み込めた。

「俺を呼ぶのを渋ったって? 今に始まったことじゃない癖に。

遠慮しなくていいって言ってるだろ」

「……」

「いつもは大祭の中日だが、いつであろうと会いに来るぜ。クロムの礼をはずんでやる。

当然な、女だからとか男だからとかな、俺はどっちでもいいんだ。どっちも拝みたいくらいだ」

「……ラバーブ、あなたは変わらず欲張りね」

低い声が響いた。

その声は熱っぽく、触れた体も熱をはらんでいた。

多少響きが異なっていてもシャーズィヤに変わりなかった。

輪郭線を辿れば、先日ウルードを交えて触れ合った夜が頭を過る。

ただ、手のひらから感じるものは大きく違っていた。

全体に骨張り直線的で、肩幅が広がり、腕は太く胸は平らに。

元々背は高かったが、どうも体格がよすぎる気がする。

腫れているとは、こういうことだった。

シャーズィヤの体は完全に男のものに変化していた。

そして、その反動のために相手を求める衝動が溢れ出していた。

ブラニッシュピンクの瞳は明らかに獲物を求める獣の目だ。

初めからここには香油で打ち消せないくらい誘惑の香りが漂っていた。

俺には信じられないが、どうやら理性で抑え込んでいるようだ。

周りの者を遠ざけたのは自らの爪に掛けないためだった。

だが、少女らが同じ考えではないことには思い至っただろうか。

あの少女らは主人に憧れとも心酔とも言えない感情を持っている。

時に、それを持て余すほどに。

その上での俺であれば気分がいい。敢えて爪に掛かってやる。

「男の体になるのは初めてだろ? 辛いだろうから最初に発散しよう」

「何を、」

「ここ、こんなになってるぜ。一度楽になった方がいい」

「……っ」

俺が触れると、シャーズィヤは高い声を発した。その声はやはり男のものだ。

限界のそれを撫でると、張り詰めていたものはあっという間に放出された。

息を乱しながら、シャーズィヤが恍惚としているのがわかる。

こちらも気が乗って口づける。シャーズィヤは男になっても綺麗だった。

「どれだけ我慢していたんだ……いいもんおっ立っててさ。最高だ。

だが萎れてしまったな……いや、そうでもないか。まだ元気が有り余ってる」

「……!」

「さ、次は俺のを頼むぜ。シャーズィヤに挿れたい」

「そんなの無理ですわ……ラバーブ、ねえ……無理よ」

口調が変わらないせいで女の印象と男の姿がちぐはぐだが、それがかえって色気を醸す。

「無理じゃない。さんざん俺とウルードのを見て、やり方も気持ちいいのも全部知ってるだろ」

言い責めると、体を震わせて逡巡する。

気の長い俺を発揮して、シャーズィヤが乞い願うまで待ったっていい。

その後はシャーズィヤのものを俺の中に誘い込んで、

初めての祝いに例のリズク酒で乾杯しようか。

口の端がにやけて仕方がないな。

だが、何だってこんな半端な時にシャーズィヤの体に異変が起きたのか。

その意味するところを考える。

俺もシャーズィヤもウルードを選び、祭りの果実から魔力を溢れさせたっていうのに。

一体どんな意味がある? まさか、別の生贄が選ばれたのだろうか。

ふと、ジャウハラの顔が浮かんだ。女の生贄が選ばれた……?

そこであることに思い至った。

もしもそうなら、ウルードはどうなったっていうんだ。

ジャウハラが力尽きてすぐ、ウルードは気を失ってその場に崩れ落ちた。

そうなるのを待っていた。

いつになったら意識が途切れるのかと思っていたがようやくだ。

床へ達する前に抱き留めると、ウルードの匂いを全身に浴びた気になった。

この匂いに心の底から震える。

どんなに触れ合ったとしてもまだまだこの男が欲しくなる。

「ダマスクローズが枯れたっていうのに、見た目によらず強靭だよな」

虹の目を持つ王の使者は、腕の中の男を愛おしそうに見つめた。

見つめる目は熱烈で、その頬は薔薇色に染まっている。

ウルードの返事はなかった。

アシュラフとジャウハラが祭壇にいる間、イルファーンは腕に付着した毒蜜を拭い取っていた。

さて、生贄になり得なかった者はここから立ち去る決まりだ。

ウルードを抱え、アルマーを連れてきた同族ともども儀式の場から辞去した。

王宮の一角にある俺らの領分へ入ると、一室でウルードの目覚めを待った。同族も追い払う。

祭壇よりずっと柔らかなベッドに寝かせ、飽きずに眺めていた。

しばらくすると、ウルードは静かに目を覚ました。

こいつはどこで目覚めても驚くような真似はしない。

昔はもっと感情の振れ幅が大きかったが、簡単に乗ってこなくなった。

ウルードは虚空を見つめて言った。

「なぜ……」

「花模様が一度消滅したせいで気を失ったんだ。リボンはどこにも繋がっていない」

自分の口からは乾いた声しか出なかった。

異常に咽喉が乾いていた。

「……知っている」

「じゃあ小娘のことか。宝石の娘は愉しい円舞のお時間だ。王と戯れている」

心臓の音も速く、破裂しそうだ。

毒蜜の副作用だとしても、待ちに待ったものを前にしたせいとしか思えなかった。

「……違う」

「お前が王に選ばれなかった理由なら、祭りの最中に第一級が入れ替わったからだ。

例えそれが偽物でも、王を騙せたのなら晶の守り神も欺ける。

あのデザートはそのためのものだ」

「……何てことを考えている!」

荒げた声に反して、魔力も体力も消耗した者は力なく、たいした脅しにもならない。

師と呼ばれようともアルマーは酷くか弱い。

花模様が失われた今、シャッルとの繋がりも切断されている。

ウルードの番いがこのことを感知することはない。

「不信心だろ。王も晶の守り神もいらない。お前を手に入れる」

夢見の間、念には念にと特注のオイルでどこもかしこも揉みほぐした。

媚薬の一種だ。

これに比べれば、巷に流通する惚れ薬はどれも玩具に過ぎなかった。

力が入らないのは単なる消耗のせいだけではないということだ。

「だから、これからシャッルとの繋がりを完全に断つ。

無垢の刻印に戻った気分はどうだ? ファラフの花模様を再び咲かせることは許さない」

「……許さないも何も、そんなことできる訳がない」

「それができるんだよ。実例がある。ファラフには消えてもらう」

「は……どういう意味だ」

それには答えず、イルファーンはウルードの下腹部に指で円を描いた。

指先に漆黒の顔料を付け、幾重の円を描き出す。

下腹部よりさらに下がえらいことになっているが、手を付けない。

描き終わり、息を吹き掛けると表面が微光を放つ全円の虹となった。

完成するとウルードは一層身を震わせた。

すでに溢れているとも言えるが、零れそうになっている先端を舐める。

舌先程度だったので、ウルードは焦れた目で俺を見た。

そんな目で見るなよな。俺を嫌っているくせにそうやって煽る。

だが、さすがにこのままで放っておくつもりはない。

「番いはシャッルだけじゃないって知ってたか?

リボンは再び結ばれる。ただし王の使者とだ……俺とのリボンを結んでもらう。

絶対解けないやつをな。夜が明けたとしても、もう逃れられないぜ……ずっと俺のものだ」

ウルードは絶望の中で目を閉じた。

その頃、サマルは水底で浮遊しながら爪を研いでいた。

「ねえ、ファラフ。俺、変じゃないかな?」

瞳と同じラピスブルーの爪は狩りの道具だ。

暇さえあれば、俺たちは鋭い爪の手入れをして自らを綺麗にする。

今が暇って訳じゃあないけれど、相手の気を引くためにわざと見せつけることもある。

魔力の性質が現れる爪は強さをも示すから。

力がみなぎれば美しく輝き、衰えれば艶は失われ、欠けることさえある。

「ライラは見えてるくせに、どこも変じゃないって言うんだ。それっておかしいだろう?」

「君の妹がね……確かにおかしな話だ」

鼻に掛かるような声で返答があった。

ここはファラフの縄張りだった。

ファラフは遠くもなく近くもない距離を保って水底の岩に腰掛けていた。

俺たちは群れることをしないが、仲が悪いでもないし良いでもない。

ライラのべったりは別で、あれは単なる執着だ。

仲なんて曖昧なものはよくわからない。

水の一族の序列には厳密な決まり事があり、魔力の質を見れば嫌でもわかる。

「いや、ライラだからかなあ。どちらも変だよ」

視線は互いに好きな方へ向けて言葉を交わす。

ファラフは波打つ髪をゆるやかに後ろで結んでいた。

薄青がかった黒髪は華やかで、瞳はトルマリンブルー。

同じ色の爪を研ぎ、くつろいだ様子で首を傾げてみせる。

「やっぱりファラフもそう思うだろう?」

爪を研ぐ行為には他にも意味があった。

甘えたい感情を持て余した時や高ぶったものを落ち着かせたい時に、無意識にしてしまう。

気づいても止められないことだってある。

ファラフがどういうつもりでいるか知らないが、俺自身は特に甘えたい気分だった。

手入れでもなく気を引くためでもなく、感情を持て余していた。

理由はわかっていた。

今夜は満月だっていうのに、俺の番いは神の好物の一つに並べられたらしい。

そして、俺の感知しない幕内で遊んでいる。誰だって恋しくなるだろう。

「ああ。だって、僕のリボンもサマルのリボンも切られている。そういうことだろう?」

「うん、そうだ。こんなことってありえないよ」

「本当に。僕のウルードが一番なのは変わりがない。並び立つアルマーはいない」

「神の好物は第一級の匂いをさせるアルマー。ダマスクローズの、君の番いだ」

「僕の番いを認めてくれて嬉しいよ。君のナランキュラスもなかなかだ」

ふふんと嬉しくなって笑みを浮かべる。

「俺のジャウハラはすごいよ。きっとすぐ一番になる」

「それはそれで悪くない話だ。でも今じゃないって言いたいんだろう」

「うん……俺の番いは13番も知らないっていうのに、

どうしてこんなことになっているんだろう」

爪研ぎをやめて、ファラフを見据えた。

ファラフはゆったりと近寄ってきて、周りを浮遊し始めた。

気取った視線でこちらを眺める。

「晶の守り神と人の間で交わした取り決めなど知らない。

知らないが、近頃妙な奴がうろついてる。決まって同じ男で二人いる。

一人は銀十字の男だ。オパールレインボーの王の使者」

「王の使者がどうして」

「ライラと魔力の交歓をしている。気づいているだろう。僕を試しているのかい?」

「そんなつもりはないよ。いつもライラはそうやって遊んでいるから。

王の使者か……オパールレインボーは今も息をしている。

ファントムホワイトの他にそんな奴がいるなんて、珍しいと思ってた」

「それだけ精気が強いのだろう。王の使者なら取り決めの内容も知っている」

「ふぅん」

「確かめに来たんだね。僕も君と同じ考えだ。そうだ、素直に答えた代わりに教えておくれよ」

ファラフは距離を詰めて言った。

「ワジュドはなぜ消えてしまったんだい? 君は知っているんだろう」

ワジュドは前の首領の名前だ。

水の一族の中で今もって知られた存在。彼は衰えることなく死んだ。

「知りたいの?」

目の前の同族は俺の質問に答えてくれた。

そうでなくたって、水の一族の頂点にいる俺が要求すれば、

拒むことはできやしないのだけれど。

まあ、その素直さを評価したっていい。

「いいよ。教えてあげる」

そうして俺はファラフの知りたいことを教えてあげた。

この年に命の危険に晒されるのはファラフなのだから。

彼なら知っておいてもいいだろう。

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