大祭-4 大祭が幕開け二体の生贄が王の面前に差し出される
2 つ の 収 穫 物
ついに大祭が幕開けた。始まりに王の御足へ口づけが為され、油が注がれる。
ナジュムンドの人々は供物をもって祈りを捧げ、
夜と昼を分かつことなく感謝と喜びを円舞で表わす。
それらの熱気に惹かれた晶の守り神が姿を現し、供物の中に生贄の印を探す。
しかしながら、再び無性の者に変化が兆し、一つに定まっていた生贄が二つに割れる。
神は惑い、王は見誤り、自らが求める物をかぎ分ける力を失ったままアルマーと出会う。
これは、虹の眼を持つ王の使者と飢えた魔性の水の一族がともに張った罠によるものだった。
◆
夜の帳が降りると、いつもと違った街が姿を現した。
雲一つない天には美しい満月が浮かび、その下で三日三晩の祭儀と祝宴が続く。
灯された花燈が華やかに街を彩り、街路や水路のみならず、夜天高く光が溢れた。
円舞が披露される広場を中心に賑わい、そこから放射状に延びた通り沿いに露店が立ち並ぶ。
目に映る店々は中央市場とは別の種類のものだ。
街の住人が商うのは旨そうな食べ物や酒が多いが、
そればかりでもなく、煌びやかな宝飾品や細工物も劣らず並べられている。
この時期だけの縁起物や土産物も目に留まる。
満月を模した焼き菓子、星屑がきらめくリズク酒、天幕の切れ端で作った香り袋。
中には、恋や運命を占う魔法を披露する者、
想いを遂げるという惚れ薬を売りさばく者の姿も見られる。
これらを欲するも子ども騙しと笑う者は、扉のある店へ足を運んで望むものを得る。
しかし、どこで手に入れたとしても効果の程は使ってみなければわからない。
一方、国の外からやってきた商人は、
巧みな口上ともの珍しい品々で祭りを愉しむ者の足を引き留める。
祭りが始まる前だというのに、すでにこのように賑わっていた。
円舞が最高潮に達する頃にはいかほどになるのだろうか。
目の前のアシュラフ様は街の様子にずいぶん気をよくして顔をほころばせている。
浮かれ気分のまま目についた露店で例の香り袋を買い求めた。
天幕の切れ端で作ったと謳う香り袋だ。
それを見て、私は呆れずにはいられなかった。ため息が出る。
「こういうものを馬鹿にしてはだめだ。
サクルが思うよりもずっと、もらった者は喜ぶものだよ」
戻ってくるなりそんなことを言う。
「馬鹿になど。始祖神様と晶の守り神様の恋物語にあやかったおまじないは情熱的です。
想いを伝えるにはこれ以上ないでしょう」
隣でうんうんと大袈裟に頷いている。
フードを被った内側でシルク質の髪がさらさらと重なって揺れる。
そのごく一部を花燈の光が照らしている。陰影が美しい。
「そうでなく、あなたが手に入れたことに対して呆れているのです。
誠実な者がいれば、気の多い遊び人がどこにでもいるようですから」
「ふぅん、誰のことを言っているのかわからないな。それよりサクルは買わなくていいのか?」
ゆるやかに口の端を上げて笑む。
見惚れてはいけないと思いながらも、アシュラフ様はどうしようもなく美しかった。
しかし、美しい容貌も魅せる動作も、平素の行いを知れば知るほどに困りものとなった。
今は私の衣服に似せて白を基調とした服装で、同じように白いマントを両肩に掛けている。
腰に着けている太めのベルトは剣を下げるためのものだった。
重いからと言ってアシュラフ様の腰に剣はなく、代わりに束ねたリボンを結んでいる。
リボンの束は小さな子どもらを遊ばせるためのものだ。
桃色や青紫色をしているかと思えば、赤や緑に変化してなびく。
くるくると弧を描いて垂れ下がり、すれ違うたびに子どもらが手を伸ばす。
私のベルトには本来差すべき長い剣があるが、これは貫くためのものでなかった。
アシュラフ様はお飾りと言って小馬鹿にする。これを使って人を切った試しがないからだ。
それは、それほど悪いことではなかった。
「たくさん贈るのは野暮だが、1つや2つ」
手のひらの上で香り袋を転がし、懐に入れて言う。
香り袋に使われている布地は、始祖神様が荒野に張った天幕に由来している。
始祖神様はこの国を造ったことから始祖王ともいわれ、
その容姿は晶の守り神様が惚れ込んだほどに美しかったという。
燃えるようなルビーレッドの瞳。
冴えた月光を連想させるシルバーホワイトの髪。
月の王の血を引く者にはこの特徴が受け継がれた。目の前の人物も例に漏れない。
フードはそれを隠すために欠かせなかった。
その上、月の王の再来と噂されるアシュラフ様は、
どれほどこちらを呆れさせても人の心を魅了する。
ともかく、恋に落ちた始祖神様と晶の守り神様が天幕の内で結ばれたことから、
香り袋は二人が過ごした夜の証となった。
幕内に立ち込めた芳しい香りに想いを馳せると陶酔せずにはいられない。
それが話の元となり、恋人や夫婦、想いを寄せる相手へ天幕の一部を贈る風習だ。
天幕の切れ端を縫って袋状にし、ドライフラワーを入れたものを好きな相手へ贈る。
愛しく思うことを伝えると等しく、暗には『あなたと想いを遂げたい』という意図を示す。
そのために渡し方次第で『交わりたい』というニュアンスになった。
「いや、3つくらい贈っても許されるだろ」
「そのような贈り物を3つも手に入れてどうしようというのですか。多いですって」
「これでも身を慎んでいる方だ。節制の第8番月は私には身の置き場がない。つらい月だ」
「つらいだなんて……欲の多いことです。もう少し恋の遊びはお控えください。
今後は相手を選んでいただかないと」
「相手を選ぶ? 俺は自由にするよ。
王など血を繋ぐために存在するのだから目的に違いはない。説教なら聞き飽きた」
うんざりしながらも不敵に笑うと、アシュラフ様は足を速めた。
説教か。
頭ごなしと自覚があるものの、苦言を呈するのが私の務めだ。
離されないよう足を速めながら、ここにハフサがいないことが悔やまれた。
ハフサ。彼女のことを考えると眩し過ぎる太陽を感じる。
輝く者は力強い。それもそのはずで、彼女は太陽を信仰する者なのだ。
大祭の間であれば、国外からやって来た商人の中に信仰をともにする者もいるだろう。
しかし、彼らはいずれこの地を離れる。
ハフサは古代ルートを辿ってやってきた異国の旅人だった。
古代ルートを通るなんてありえなかった。打ち捨てられた道は危険な旅路となる。
別の言い方をすれば、変わった旅人だった。しかし旅人は強靭で賢かった。
アシュラフ様は彼女を付き人に選んだ。
異論はないが、そのことに私は羨望と嫉妬を覚えた。
王は付き人を二人選ぶが、一人は私と同じく占いを生業とする家系から選ぶのが倣いだ。
もう一人は好きな者を好きに選ぶ。信仰を改めない者であってもいい。
彼女は私とともにアシュラフ様を守る役目を負っている。
今は別の場所で任務にあたっていた。
目的とすることは同じだ……こんなことを考えても仕方がない。
「さあ、もうお時間です。王宮へ戻りましょう。
儀式の間にアシュラフ様がいないことがわかれば、王の使者が途方に暮れてしまいます。
初めての儀式であるのに、そのようではいけませんよ」
「サクルに言われなくともわかっている。うるさい奴だ……」
そう言ってアシュラフ様は振り返った。
しばし黙るが、フードで隠れているためにどのような表情をしているかわからなかった。
人の流れから外れ、路地裏へ入った。当然、私も後に続く。
ようやく戻る気になったのか。ほっと安堵する。
『月の王の再来』と、当初は美貌と賢さのことを賛美する意味で使われていた。
満月の下に生まれ、いずれ王となることが約束された者は年少者であってもみなに、
そして私に憧れを抱かせた。
しかし、そこここで恋に遊ぶアシュラフ様を人々は同じように『再来』と口にする。
月の王は欲望のままに他者と契る。
アシュラフ様はまさしくそうだった。
香り袋の行先は、異性だけでなく同性へも贈られることだろう。
少々祭りの喧騒から遠ざかったとはいえ、浮かれた街はすぐそこにある。
不意に立ち止まると、
フードを払い除けたために暗がりの中でその輪郭は月光を思わせるように輝いた。
そして、燃える2つの目がこちらを見据えた。
誘惑の気配に体の奥に火がついた。
「サクル、いつまで経ってもうるさい奴だ。口うるさいのはいつになったら直るんだ……」
体に触れられると、ただただ柔らかな唇と絡まる舌を感じた。
同時に、贅沢で華やかな香りに包まれる。
「サクル……古典色の強い香りは嫌いだというのに、お前の香りはいいな」
「……あなたの香りには敵いませんよ」
そう言ったが、敵わないのは香りでなくアシュラフ様自身と心の中で訂正した。
しばしば私はこのように求められた。
ナジュムンドに実りを、豊かさを。
王は元より神に近い。王族も同じだ。
人の姿を持つアシュラフ様の欲望と魔力の程度は、私などには計り知れるものではなかった。
底の知れないそれを享受し、恵みの降り注ぐ感覚に酔った。
早く戻らなくては、と頭では思うがままならない。
油壺に透き通った黄金色の液体が満たされていた。
目で見ても蜂蜜ではないことが粘性の程度でわかる。
夜の中で香り立てば、心地よく感じることだろう。
油壺の表面を見つめながら、イルファーンはウルードにそれを注ぐ様を想像した。
いいな、と胸の内で思う。
今頃ウルードは控えの間で寸暇の眠りを貪っている。
早くその眠りから解放したいと思うが、目の前の物事を片付けるのが先だった。
そのために口を開く。
「月の王の名の下に誓いを立て、始祖王の血を継ぐ若き御子にこの身とこの魂を捧げます」
幾度となく口にした言葉を吐き出す。
「第8番の月が巡り、3つの夜と3つの朝が交わる間、晶の守り神様のために尽くします。
始まりの日に、生贄をそろえてお祈りします。
星宿る石、香り豊かな油、青く清らかな水、ユーカリの葉、ミントの花、柘榴の実、
瑞々しきアルマーを供えます。
第2番の日に、至上なる悦びをお贈ります。
輝く宝石を飾り、柔らかな紗を纏い、純潔なる王がアルマーを介し、
美しき晶の守り神様をもてなします。
終わりの日に、与えられた恵みに感謝します。
星を象る光が放たれ、澄んだ晶の輝きが暗き洞にもたらされたならば、永劫に喜び祝います。
円く輪になって舞い踊り、神聖なる儀が水の流れのままに執り行われますよう願います」
よどみなく続けた。寝言であっても言えると思った。
不信心。
アクアマリンの瞳がそう言う。
何だってそんな目で俺を見るんだ。不信心は誰のせいだ。
ウルードのせいだ。俺が欲しいのはウルードだけだ。ウルードさえいればいい。
この身もこの魂も全部お前のためにあるっていうのに。
ああ、一刻も早くウルードに触れたい。
そう思うと、あの日を思い出した。
欲望の赴くままに求め、すべてが壊れても留まることなく、幻影の沙嵐が吹き荒れた。
あの時の衝動は今もって鮮やかに蘇る。
最後には引き離されてしまったが、邪魔する者はもういない。笑みが零れる。
この想いをウルードの代わりに目の前の人物に口づけでぶつけた。
初め、ここには豪奢な椅子が一脚あった。
あとは美しい器に盛られた供え物が並んだ。生贄ともいう。つまらない方の生贄だ。
そこに始祖王の末裔が座した。
時間ちょうどに現れ、その瞬間からこの場は儀式の場に様変わりした。
何をなさずとも華やかさが漂い、自信と魅力に溢れた。
今はこうして片肘を突き、足を組んで上からこちらを眺めている。
赤い目に輝く銀白の髪は院長と同じだ。前の王も前の院長もそうだった。
顔の作りや肉の付き方、生み出す表情、内に宿る性質が異なっても同じ。
全部同じに見えた。だが、誰も彼も美しかった。
心酔する相手が別にいても王の血筋は魅力的だ。魔力のいい匂いがする。
宝石で飾られた肌。薄織りの綺麗な衣。
身に纏うものは儀式のためのものであり、それは彩るのみで何物も隠しはしない。
まずは踵に手を添えて爪先に口づける。その後は足の甲、脛、太股に唇を這わせる。
惹かれるままに太股の奥にあるものを舐めた。遮るものはなかった。
咥え、押し入れ、きつくする。
そうすれば、ますますいい匂いが満ちた。
恍惚としていると、髪を撫でられた。
「いつもこうしているのか?」
その手は羽毛でも撫でるように穏やかだ。
薬草で無理矢理色を抜いた白い髪は硬く縮こまり、荒れているだろうに。
「さあ、どうであったか覚えていません。したり、しなかったり。気分ですよ」
「気分、か。油を注ぐ儀式とはただそれだけではないようだ。
祝福と加護、そして力を与える象徴の儀式と聞いていた。
これは、象徴以上のことだろう。儀式に乗じて堂々と魔力を食うというのは本当らしい」
王の使者はそれには答えない。
「象徴以上のことをしても儀式そのものに変わりありません。
しかし、私はサーリー院長の匂いも知っています」
「ふん。宝石治療院の院長と王の使者は密接に関係しているからな。
王の使者とは奇妙な存在だな。お前も他とは少々異質のようだ。
しかし目的は変わらないのだろう……ともかく、サーリーよりいいだろう」
「恐れ多い質問をなさる。王は別格です。
満月に生まれた者の魔力は比類ないというのは本当なのですね」
頭上でもう一度鼻を鳴らす音がした。
その時、来る、と思った。途端にとろっとしたものが口の中に広がった。
勢いに任せ、喉を鳴らして口の中のものを飲み込んだ。
力が満ちる感覚に酔いながら、満足気に微笑む王の姿が薄目に見えた。
この男はうぶではない。噂も事実も承知している。
天上より加護と祝福が降ったという噂の真偽はわからない。ただ自由だ。
高ぶった俺のものもどうにかしてくれと思い、次の手順に移る。
油壺に手を差し入れ、柄杓のようにしてすくいとる。
手の尖端を染めるのはいつものことだが、今は肘までを緋色に染めていた。
そうでないと、油壺に満たされた毒の蜜にやられる。
この油は毒花から採取したもので、始祖王の血筋でない者には毒になる。
皮膚が腫れる、かぶれる。それくらいならまだいい。
素肌で長時間触れたならば、皮膚感覚が失われ、呼吸は奪われ、意識を混濁させる。
つまりはやがて命を、というやつだ。
だから、ウルードに塗れば苦悶することが想像できた。俺はそれを期待した。
いくらアルマーといっても神族ではない。王と違い、膨大な魔力は何の役にもならない。
虫を誘い、搾取される以外ない存在だ。
ウルードの弟子に注いでやってもいい。小綺麗で、狩られるための小動物ども。
それなのに3人目の水合わせの評価を読み誤ったことが気に食わなかった。
最高級でないと踏んだが、やはりハーディーの娘だ。どうも一筋縄ではいかない。
不遜と思える思考はいつものことだ。
俺は王に油を注ぐ。
不思議な月光を身に帯び、毒花の蜜を毒ともしない王に仕えるのはいい気分だ。
だが、もの足りない。
毒蜜に触れないよう、いいところを擦りつけながら儀式を続けた。
気持ちよくなるが、こんなものではまだ足りないと思った。
始まりの日に、アシュラフ王はイルファーンに油を注ぐ儀式を受けた。
晶の守り神に捧ぐものは、生贄以外にもあるのだった。
月と太陽。
ナジュムンドの人々は月の下に生まれ、死ぬと天に昇り星となる。
故に『月の子ら』とも呼ばれる人々は死すれば『星』と呼ばれる。
王は星にはならない。月より生まれ、月へと還る。
月は水を支配する。水の一族は月の力に敵わない。
命を弄ぶ気まぐれな魔族であるが、シャッルの棲む所は水が豊かだ。
月は元々、夜を父とする一族だ。そのために死を司る。
月と晶は恋し合う。秘められた関係は永久に続く。
その結果、晶の守り神はこの地へ恩寵を分け与える。
星宿る石のみならず、人々に不思議な力をもたらす。
仲を取り持つのは踊り子だ。アルマーは月とも水とも結びついている。
その匂いは神性にも魔性にも通ずという。
ハフサはこの地で得た知識を頭の中で繰り返した。
しかし、まだ知らないことが多かった。
アルマーは信仰の外側にある存在だ。彼らは人の目から隠れて暮らしている。
王の使者も正体が知れない。王に仕えているようでいて、別の目的を持って動く。
何にしろ、ナジュムンドの人々は月に類するものを崇めていた。
どうも、この国では太陽の存在は強すぎるようだった。
灼熱の太陽は水や食物、人々の咽喉を涸らす。恵みとは対極にある。
それ以上に、穏やかで静かな闇を好む性質のせいかもしれなかった。
私はというと、太陽の圧倒的な強さと燃え盛る美しさを崇めている。
新たな命を生み出すのは太陽だ。太陽の女王は明朗で希望と喜びに溢れている。
太陽に惹かれる気持ちは止められない。
月に入信するつもりは毛頭ないが、人々への興味は尽きなかった。
このことに対して、アシュラフは一切制約することがない。
太陽を排除する気もなければ、知識欲を満たすための質問も受け入れる。
その分、側付きのサクルが顔をしかめてくるのが笑えるのだ。
サクルは頭が硬く、口喧しい男だ。
結構な背丈があるくせになよやかで、涼やかな目元は運命を覗き見る。
伝統を重んじるために私を受け入れ難いのは当然だ。
思い出して思わずふっと笑った。
だが、悪い奴ではない。私を理解しようと葛藤する姿が目に浮かぶ。
彼の培った今までがそれを容易には叶えてくれない。
だからサクルは好ましかった。主人が選んだ私に嫉妬するのも可愛げがある。
どちらかといえば、アシュラフがおかしいのだ。
この国の王は、知らない世界を知る者に興味を抱かずにいられないようだ。
アシュラフとはヒバのチャイハナで出会った。
この国へやってきて、あの情報屋に辿り着いた幸運は大きい。
香りもここでは重要な位置にあり、ヒバの香りは計算された洗練さだ。
あの笑顔を思い浮かべると、好印象を抱かせようとする偽りの香りにも感じる。
こんなことを口にしても人好きのする笑顔で応じるに違いなかった。
ともかく、異国の話を聞きたがる奴がいる、とヒバが引き合わせたのがアシュラフだった。
出会った時は女と見間違えたが、ショールを取り払えば、紛うことなき男だった。
しかも手練れの狩人だ。『月の王の再来』と噂されるのも故なき事ではない。
そして今、大祭の儀式が始まった。
最上級の祭儀は秘めて行うため、儀式の邪魔にならないように点々と人が配されている。
しかし、私はその網の目に掛からない。アシュラフの最も近くで彼を守る役目だ。
アシュラフと王の使者がすることを眺めながら思った。
得体の知れない者とよくあんなことができる。
神聖な空気が漂う中で、あの二人は快感に酔う行為を始めた。
これも捧げ物のひとつだ。
晶の守り神が欲張りなのか、王が大盤振る舞いなのか。
数ある捧げ物に飽き足らず、と思う。
アシュラフもとぼけているが、対する王の使者もいかれている。
あの、イルファーンという王の使者は初めから嫌な感じのする奴だった。
アシュラフが気に留めなければ、バラカは物心つく前に王の使者に取り込まれるところだった。
取り込んでどうするつもりだったか考えるとうそ寒い。
権力争いの方がマシと思える。
バラカには選ぶ道が多ければ、生じる隙も多い。
サーリーの提案で宝石治療院に身を置くことになったので安心だが、気は抜けない。
王の使者の衣服を脱げないでいることも心配ではあった。
とはいえ、区切りのついた話だ。
そう思っていると、サクルが現れた。
交替です、とこちらを見て唇だけ動かして言う。
王宮へ戻ったばかりの時は文句が止まらなかったが、どうやらその口は落ち着いたようだ。
アシュラフを守るのは私だけではない。
うなずいて、別室へ移った。サクルがしていたことを引き継ぐ。
そこはアルマーが控える間だった。
中へは入らない。眠り姫を引き渡す際も足を踏み入れなかった。
ここから向こうは王の使者の領域だからだ。
中では、可憐な娘と美しい男がうつらうつらとしていた。
閉じた瞼が開かれたならば、ヴァイオレットブルーとアクアマリンの瞳がきらめくのだろう。
二体の生贄が儀式の場へ連れて来られた。
後ろには全く同じ格好をした王の使者がそれぞれ控えている。
生贄の一体は、プラチナブロンドの髪の男だ。
アクアマリンの眼差しは美しく洗練された輝きを放ち、見果てぬ海を思い起こさせる。
男自身は熟した甘みを醸す。
もう一体は、ダークブラウンの髪の女だ。
ヴァイオレットブルーの瞳はほの甘く透き通り、神々が住まう楽園の乙女と見まごう。
女自身は清らかで可憐に香る。
どちらも一枚の薄布を巻いただけの姿だった。
顔立ちの美しさは去ることながら、体つきの贅沢さは言い様もない。
だが何よりも内から漂う香りにとろける心地がする。
なんて純度だ……触れてもないのに肌を刺激するのだ。
王の使者が男の内太股を晒せば、そこには華やかな花模様があった。
アシュラフが花模様をすくう動作をすると、
ふんわりしたダマスクローズの花房が右手に現れた。
元の場所へ目を移せば、花模様は消え、星型の印だけが刻まれていた。
別の王の使者が女の前髪を払って額を晒す。やはりそこにも綺麗な花模様があった。
同じようにすくうと、繊細なナランキュラスが左手に現れた。
アシュラフの両手は天秤だった。
生贄となった二人は、10ほどの年の差が見て取れた。
第一級として招かれたのは男の方だろう。美貌の持ち主だ。名はウルード。
今まで父王と交わり続けた男でもある。
彼がウルード煙草の作り手であることを知る者は少ない。
そして、隣に女が立っている。
経緯の説明はできないが規定だとかで、生贄に成り得るアルマーという。
彼女の名はジャウハラと伝えられた。
あの時の娘だった。
真昼に生まれた熱が続いているはずもないのに、今もまた熱を帯びている。
「どちらがより神の好物と成り得るのか。王がお選びになりますよう」
イルファーンは儀式の言葉を使って『選べ』と言った。
この儀式は、両手で受けとめた花房の香りをかぎ、口づけをして終わりのはずだった。
それが、こんなことになっている。
自問する。
どちらも旨いに決まっている。両方、と言ったらどうなるだろうか。
サクルがとんでもないと怒り、ハフサが大笑いする様子が目に浮かぶ。
それが頭を過るが、両方と答える訳にもいかない。
両手に咲いた花に問い掛ければ、すぐに答えが出た。
決まりだ――――
アシュラフはナランキュラスに口づけた。同時にダマスクローズが枯れた。
この時、シャーズィヤの身の上に変化が起きていた。
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