宝石の娘-6 記録なき踊り子が引き起こす不幸な過去を紐解く


零 れ た 記 録

中庭に火が灯っていた。

木の枝に白く塗ったカンテラが幾つも吊るされている。

辺りが闇に沈む前の青い天を背景に、硝子を透かして金色の火が燃えている。

「先生、ただいま戻りました」

「ああ、おかえり。無事に、積み荷はすべて届けたのか?」

「はい。最初にマタルさんのところで納品して、順番に煙草を納めました。

最後はヒバさんのチャイハナでちゃんと宝石箱を受け取ったんだけど」

「休憩もそこで取ったんだ。ジャウが熱を出して俺たちで放熱したから、まだ微熱が続いてる」

「そうか。アズハール、ナルジス。食事は二人で済ませなさい。

ジャウハラはこっちだ。おいで」

「……はい」

ジャウハラの高熱は下がり、匂いは落ち着いたものの調子が戻ったとは言えなかった。

見るからにぼんやりしている。

ウルードはジャウハラの手を引いて屋内に消えた。

行き先は例の部屋に決まってる。次の満月まで籠るのだ。

中庭の丸テーブルの上には、広げた書物が逆さに置かれ、灰皿は吸い殻で溢れていた。

どうせ書物の内容は頭に入っていない。そのくせふりだけはする。

煙草も、いくら匂い煙草だからって吸い過ぎだ。

落ち着き払って籐椅子に座っていても、

俺たちの帰りを待ち遠しく思っていたのは明らかだった。

アクアマリンの目を通してだいたいのことは承知しているはずなのだから。

それにしたって、中庭にいること自体が滅多にないし、このカンテラの量だって変だ。

「『慣らし』って、今夜から始めるんだろうな」

「僕もそう思うよ。ジャウに一通り覚えてもらわなきゃ。何だか危なっかしいよ」

「危なっかしいって、さ」

そう言って、アズハールは上目遣いにナルジスを見た。

「ナルジスの時もはらはらしたぜ。もの覚えだって、誰が後で手ほどきしたんだっけ」

「最初の頃の話じゃないか。あんな風に受け入れるのは、それこそ慣れてなかったんだ」

ナルジスは頬をほんのり染めて口を尖らせる。

「ふーん。ま、ジャウには言わないであげるよ。

あの頃のナルジスは何でも俺を頼って可愛かったのにな」

「うるさい。仕方ないじゃないか」

あの頃のことを言うと、ナルジスは子どもっぽくなる。

むくれるのでもっと揶揄いたくなるが思い留まった。

「そうだけど。でもさ、先生も心配性だよな。

こんなにカンテラを隠してあったなんて知らなかったぜ。全部、魔法の火だし」

「……本当にそうだよね。全部に祈りの言葉が書いてある。先生って意外に、だよね」

「ジャウは俺たちと違って街の生活を知らないし。そういうのもあるんだろうな。

に、しても『慣らし』か。いいよなー。先生を独り占めできる」

「先生がすごいのは十分知ってるけど、僕ならアズを独り占めしたい」

「何だよ、妬いてんの? 向こうが籠るならさ、こっちは籠らなくても二人っきりじゃん」

そう言ってアズハールはナルジスの腰に手を回し、もう片方の手で顎を引き寄せた。

カンテラの火が照り映え、二人の顔に陰影を生む。

「……昼間、もっと触れたかった」

「俺だってそうだ。だってさ、ドゥアーのこと考えてうきうきしてただろ?」

唇を重ねるがそれに留め、代わりにナルジスの髪を玩ぶ。

「うん、少しだけだよ」

「じゃあお互い様だ。続きは食事の後にしようぜ。予定外の放熱だったから腹減った」

「えっ? そんな、こんなんじゃ準備できっこない。

手をつけたのはアズなんだから、最後まで」

ナルジスの瞳に堪えきれない思いが渦巻いている。

「したいの? 今、ここで?」

ナルジスが頷いて、アズハールはニヤニヤしながらシャツの釦を外しに掛かる。

「アズだってしたいって顔してる。食事の後なんて、嘘」

「まあね。だって、ドゥアーより俺がいいって言わせたかったから」

「……そんなこと、アズが大好きだよ」

「俺も、好き」

金色の火が明るく燃える中庭で、二人は熱く甘い息を吐いた。

「これを食べてごらん」

ウルードは小さな壺に匙を入れてすくった。

「ラービアで採れた蜂蜜だ。それに薔薇とムーンストーンを砕いて調合している」

ジャウハラをベッドに寝かせ、肩を抱きながら口に含ませた。

匙を抜くと、代わりとばかりに舌を入れて、内側の壁や天井、底の底まで蜂蜜で塗り広げた。

くちゅ、くちゅ、と音が響く。

調合した蜂蜜は興奮を高める類のもので、水の一族が発する気に近い作用をもたらす。

これとは別に水分を多くしたものは、滑りをよくするために口以外にも塗り込むことができる。

「……先生……」

「しゃべってはいけない。舌を噛んでしまうよ。もしくは私のを」

でも、とますます熱を持ち始めた少女は弱々しく言った。

「次の満月の夜にはサマルと正式に踊ることになる。それまでに一連の約束事を覚えるように。

もちろん、覚えるだけじゃない。ちゃんと体で応えられるようにするんだよ。

水の一族は美食家だ。逆を言えば、不味いものは食べない。では、『慣らし』を始める」

「……はい、先生」

こうしてウルードによるジャウハラの特別指導が始まった。

『慣らし』の部屋にはベッドと浴槽がある。

クッションが幾つも並んだベッドは天蓋付きで、

窓からのそよ風や二人の熱気でゆらぐほど軽い。

透かし織りの表面には宝石ビーズで水の波紋が描かれている。

隙間なく花びらが浮かんだ浴槽は、冷たい水で満たされた。

新しい水が注ぎ込まれては入れ替わり、常に清らかで冷たい水がたたえられている。

師弟関係を結んで暮らすアルマーの家には必ずある部屋だった。

ベッドは地上を、浴槽は水中を表わしている。

蜜月に水の一族と交わる場所はほとんど水中だ。

そのため、地上で応えられるようになったら水中で慣らしていくのだ。

また、蜜月を暗示するものは壁や床、調度品に留まらず、

持ち込まれる食べ物や薬、ここで使われるさまざまなものに類似の記号がちりばめられていた。

囲むようにして置かれた足元のキャンドルがゆらげば、夢とも幻とも錯覚する。

キャンドルから立ち昇る香りには特別な薔薇が練り込まれ、芳しい煙に酔いしれる。

蜜月という言葉は、水合わせをして間もない月を指し、

同じに蜂蜜のように甘い関係をも言い表す。

初めてこの部屋を使ったのはアズハールの時だった。

思いがけず、弟子を取ることになったあの時のことを思い出していた。

年長のアルマーであったハーディーが、ある噂を聞きつけてウルードの耳に吹き込んだ。

旧市場に怪しげな店があるそうだ。

調合師が商う薬屋だが粗悪品を売っている。しかも、裏では『花売りの真似事』をしている。

『花売りの真似事』とは、アルマーの体で報酬を得る行為だ。

「要するに、記録から漏れた無知なアルマーがこき使われている。

行って、本当か確かめて来いよ」

「そんなことは王の使者がやることだ。私に関係ない」

「そうかな。イルファーンに困ってるんだろ?

オパールレインボーの瞳を持ってるからって、

院長の目の届かないところで好き放題してるからな。

俺は相手にされないが、お前に夢中らしいじゃないか。迷惑な奴と思ってるだろ。

あいつらを出し抜くんだよ。正統ぶった王の使者に魔力を食われるだけなんて御免だ」

「出し抜いてどうする。今回のことと何の繋がりがある?」

「王の使者に染まらない奴を増やすんだ。あいつら、俺らを管理してるつもりなんだ。

こっちは世話されるのは勘弁だっていうのに。

当然のように院長の側近面しているのも気に食わない。

お前らの目や鼻が節穴だって笑ってやるのもいい」

「はっ。何だ、そんなことを考えているのか。くだらない」

本当にくだらない。染まらない奴を増やして一体何ができる?

だが、くだらなくていいと思った。無駄な抵抗でもいい。

王の使者を好きになれないのは同じだ。

記録だ儀式だと思いつき、それに乗じてアルマーの魔力を食う。

ハーディーは変わった奴で、好んで外部の者と接触する。

籠りがちなアルマーにしては珍しかった。

気さくで社交的だが考えの読めない男でもある。

ついでに言うなら、あちこちに恋人を作ってるらしい。それは本当なのだろうか。

単なる噂であっても、それ程に魅力的であるのは間違いない。

自分は相手にされないなんてよく言う。ハーディーはイルファーンのあしらいが上手だった。

私が現れたことで、第一級アルマーの地位を譲ることになったが、

それにも何か仕掛けがあるのかもしれない。

第一級という理由でイルファーンに付き纏われる身としては羨ましかった。

王の使者とうまく付き合っていると思っていれば、こんなことを考えていたとは。

成り行きであったが、こうして私は怪しげな薬屋へ出向くことになった。

その店は、気分が悪くなるような煙草の臭いがしみついていた。

辺りには猥雑さが漂い、不穏な空気をはらんでいる。

店主は胡乱な目をしてそれとなく客を値踏みしている。

確かに粗悪品ばかりが並んでいた。

その粗悪品を買い入れる際に『花』を買いたいと言った。

『花』は暗にアズハールの指名を意味した。

店主は疑いを浮かべながらも、こちらが金をちらつかせると、私を奥へ通すことに決めた。

奥の部屋では裸の少年がベッドにうずくまっていた。

少年の目は虚ろで、心臓の音は速く、その年頃にしては痩せて骨張っていた。

そして、体は熱を持っていた。

細く小さな体に放出できずにいる熱を溜め込んでいる。

劣悪な環境のせいもあるだろうが、熱のために唇は乾き、肌は硬く荒れるに任せている。

意識は朦朧とし、どこもかしこも螺子がゆるんでまともに思考できると思えない姿だった。

店主に不審がられないよう、体を撫でながら印を探す。

その体には傷が多かった。ずいぶんと使い込んでいる、と皮肉が頭を過る。

アルマー同士であれば、印の場所は簡単に見つけることができる。

匂いの流れがあるのだ。匂いの源は足首にあった。確かに無垢の刻印だ。

「……店主、これは死期が近いのではないのか。よく意識を失うだろう?」

死期が近いのはでまかせだ。

だが、このままでは熱で意識を失うのは本当だった。

意識を失うことが多くなれば、やがて夜の腕に抱かれる。それは死だ。

「私が最後かもしれないな」

店主はあまり興味が持てないようにくぐもった声で頷いた。

アルマーに対してこの興味の薄さは、それだけ体を酷使されたことを示している。

「病気の子どもを探している。ちょうど、こんな風に死にかけの奴がいい。

いずれ処分するんだろ? 薬の試験用に売ってくれないか」

価値を勘づかれてはいけない。

店主が提示する金額を値切って、私はアズハールを買い取った。

憐憫を感じずにはいられなかったが、こうまでならなければ手放されることもなかっただろう。

首尾が上々であっても気分は晴れない。アズハールを連れて店に戻り、応急処置をした。

枯れ果てたかに見えたアズハールは泣いてよがった。

今まで与えられたものとまったく別物だったのだろう。

泣く理由がわからないという表情で細やかな涙を散らし、感じては、か細い声を上げる。

空虚なプラチナグレーの瞳が私を求めて夜が明けた。

その日の朝にも宝石治療院へ連れて行ったが、閉院していた。

閉院だと。こんなことがあっていいのか?

扉が閉じられていることは初めてだった。今振り返っても、閉院はあの時だけだ。

結局、宝石治療院が開いたのは7日の後だった――――

その間、アズハールとともに過ごした時間は苦い記憶だ。

院長に預ける考えしかなかった私は、記録から漏れたアルマーの扱いに辟易した。

アズハールは虚ろであったために最初は大人しかったものの、

まもなく錯乱状態に陥り、暴力的な言葉と激しい感情をぶつけてくる。

つかみ掛かってくるも、細い腕は無力で弱々しい。

辛うじて果物は食べるが、暴れては落ち込み、私の施しを受けて力尽きて眠る。

施しを、体を任せることの心地よさを知ってしまえばあらがえない。

私を拒むことができず、これを繰り返して日が過ぎた。

不安定さが拭えないままであったが、

宝石治療院が開くと、アズハールはようやく院長の癒しを受けることができた。

私の施しと比べるまでもなく、院長の癒しの効果は絶大だった。

例え、それが着任したばかりのサーリーの手によるものであったとしても。

アズハールの瞳に光が宿り、生気を取り戻す様子は必見に値した。

そして、最後の仕事と言って、

前の院長はアズハールの受け入れ先となる師を探そうと提案した。

「俺は、もう……ウルードがいないと、生きていけない。師は……ウルード以外考えられない」

正気になったくせに、アズハールはそんなことを言った。

まさか、弟子として引き取ることになるとは思わなかった。

年少者の世話は億劫であったし、記録のないアルマーであれば面倒事が付き纏う。

そんなことは誰よりも自分がよく知っていた。

アズハールを見ていると、記憶の底に沈めた昔の自分を重ねてしまう。

思い出したくもない過去だ。

「構えることはない。ともに暮らし、水合わせの世話をすれば十分だ」

前の院長はそう言って微笑んだ。

あのイルファーンに見出され、王の使者に世話を焼かれることとなった私より、

同じアルマーに見つかって生活した方がマシだ。

アズハールを通して昔の自分を救うような気になり、そんなことを思った。

だが、どうしてこんなことになったのか。

ハーディーの口車に乗った。今にして思えば、その時から仕組まれていた。

そうとも知らず、私はアズハールと暮らし始めた。

10ほども年下のアルマーは、時折感情の抑えが利かなくなる。

常に目を離さないようにして、感情が大きく揺れると、落ち着かせるために唇を合わせた。

触れると安心するからそればかり、ずっと。

短い間にあれほど口づけをしたことはなかったし、

アズハールに施しを与えていたと思っていた。

だが、それは間違いで、施しを受けていたのは私の方だった。

呼吸を重ねた時間の蓄積は、この関係に愛しさを生んだ。

それに、私はあの7日間にアズハールの中で幾度も果てた。

弟子にするつもりもなく、アズハールと相性がよかったせいもある。余裕もなかった。

ライラックに似た柔らかな甘い香りは、私に院長にない癒しをもたらした。

過去は過去で深く沈んでいればよかったはずが、沈めなくていい過去へと変わった。

やがて、お守りとしてアクアマリンのチョーカーを贈ることを思いついた。

アクアマリンの目を通せば、アズハールの異変を見逃すこともないだろう。

今後、外出させることを考えるなら、その身の証明に必要なものでもある。

この頃にはアズハールは生来の明るさと生意気さを取り戻していた。

店の手伝いもよくし、身の回りのこともよく気がついた。

口答えもよくする。おねだりだってお手の物だ。

ただ、水合わせの儀をするにはまだ早いと思っていた。

そんな折に珍しい客がやって来た。

両耳に葡萄色の不透明な玉を連ね、涼やかなシトリンイエローの瞳をした男だ。

やって来たのは、宝石箱の作り手として頭角を現し始めたドゥアーだった。

すでに師を超えていると噂されるが、今はまだ師の工房に身を置く者だ。

「工房に変な奴がいるんだ。お前らの領分のような気がしてならない。

目障りだからどうにかしろ」

ドゥアーはお前ら、と言った。

後に知ったことだが、ドゥアーはハーディーを捕まえられず私を頼ってきたのだった。

「ウチの工房に見習い細工師が何人かいる。そいつらがおかしなことをしでかした」

不愛想で独りを好むドゥアーがわざわざ足を運んだことが気掛かりだ。

よくないことが起こっている。

『花売りの真似事』は金銭が生じなくても起こり得る。

「すぐ行こう」

このところアズハールは落ち着いていた。

アクアマリンも身に着けている。感情の抑えが利かなくなった時に飲む薬も用意している。

店じまいをすれば、ここに残しても問題なかった。

アズハールも大丈夫と言って手を振った。

「見習いのナルジスだ」

案内されたのはドゥアーが寝泊まりしている部屋だった。工房がある敷地内の一室だ。

見習い連中に個室は与えられないが、ドゥアーは鍵の掛かる部屋を使えるようだった。

扉と奥とを隔てるように、部屋の中ほどに受け皿が一列に並べられている。

受け皿には粗目に砕いたドライフラワーが小山に盛られ、そこから煙が立ち昇っている。

煙の向こう、部屋の片隅にシーツにくるまった人物を見つけた。

泣き疲れたのか、腫れた瞼を閉じて寝入っている。

煙は、その人物が醸し出す匂いに対する防壁と知れる。

守っているのは、その体かこちらの自制心か、それはわからなかった。

ここへ着くまでに事の次第を聞かされた。

ナルジスは、同じ細工師見習いである少年たちに虐げられていたという。

ドゥアーが気づいたのは最近だ。

ナルジスの身に降り掛かったのは昨日今日の話ではなかった。

きっかけとなった少年を問い詰めたところ、誘惑された、と言った。

お礼の代わりと言って、自ら体を差し出したから断れなかった、と。

最初は報酬を得て満足した。顔を合わせれば、再びそれが欲しくなる。

ナルジスは惜しまなかった。少年はその体に溺れた。

偶然に得た報酬を我慢できず仲間に話したことから、複数で無理強いをするようになった。

何人もが酩酊状態になって気づいたらしい。

師にはまだ伝えていないと言う。伝えない方がいいと思ったんだ、とも言う。

「ナルジス、起きろ」

ドゥアーは桜色に染まった白い頬を軽く叩いた。

「医者のような奴を連れてきた。背中を見せてくれ」

「医者のような奴、ね。はいはい」

「似たようなものだろ。だが、天才だ。ウルード煙草が一番いい」

「それはどうも」

起き抜けでぼんやりした少年は、着ていたシャツを躊躇いもなく脱いで背中を見せた。

それだけで酷く艶めかしかった。官能でありながら、透明で繊細な香りがする。

見るからにアルマーだ。純真なエメラルドグリーンの瞳がこちらを見据える。

親しい仲ではないとドゥアーは言った。

それなのに、言われたことに従う様は躊躇いがなく、無防備さを感じさせた。

背中にある無垢の刻印を確かめるのにそう時間は掛からなかった。

この少年も記録から漏れたのか、とやり切れない気持ちになり、ため息をつく。

ナルジスの身を引き受けると、そのまま宝石治療院へ連れていった。

今度は扉は開かれていた。そして、ともに暮らす者が増えた。

アルマーがアルマーとして記録されなかった場合、

常人より魔力があるために、適性に沿って細工師か調合師の師匠の下につくことになる。

だが、魔力を使いこなせず落ちこぼれる。使い道が違うのだから当然だ。

だいたいが成人する前に不幸な事件を起こし、王の使者に身柄を保護される。

『保護』と奴らは言う。その後で散々魔力を食うくせに。

処理の速さと単なる色沙汰と思われるために大きな事件にはならない。

工房の後始末に口を出すことは差し控えた。

ドゥアーが独り立ちしてすぐ、工房はひとりでに潰れた。

ドゥアーはそもそも師が怪しいと睨んでいた。

お礼とは、師にしたことを口外しないことのお礼だったからだ。

ナルジスは努力家であったが、実らぬ結果を他者から求められる形で補っていた。

見た目の純真さを武器に、今までにもお礼と言って自分を差し出していたらしかった。

問えば、他人事のように淡々と語った。

罪の意識がない代わりに心には歪みが生じていた。

「ドゥアーにお礼をしていない……」

暮らし始めてしばらくして、ナルジスは初めて思い立ったように言った。何度も。

底には、自分には何もない、という虚無の考えがある。記憶も情緒も不安定だった。

店の仕事の合間に、こっそりドゥアーに会いに行っていることも気づいていた。

だが、いつも振られて戻ってくる。

拒まれることに慣れていないのか、萎れた様子は傷ついたウサギに見えた。

その内にアズハールと仲良くなっていた。

アズハールは生意気さと同じくらい世話好きだから、放っておけなかったのだろう。

アルマー同士では報酬、つまりは魔力の受け渡しは起こり得ない。

そのために溺れることはなく、二人の間にあるのは喜びだけだ。

ともに水合わせの儀を終えた頃、ドゥアーは一度だけナルジスに肌を許した。

ナルジスはもう虚無の考えに依存していなかった。

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