温室-3 Sleeper under the moon / Corduroy
星 の 配 置 を 識 っ た 学 者 で さ え 宿 り 木 の 蔓 腕 に 囚 わ れ る
敬愛するスミス先生へ
冬の月 貴方が健やかであることをお祈りいたします
近頃大変冷え込みますが、スミス先生はいかがお過ごしでしょうか?
寒がりの先生ならきっとメルトン地のコートをひっぱり出していることと思います。
早速ですが、しばらく消息を絶っていたことをお詫び申し上げます。
その件について今回のお手紙を差し上げたのです。
私は、ある種の眠りについて研究をしてきました。
研究に興味を持った理由は私自身の不眠のためでした。
成長するに従い、私は当り前に女になることを受け入れることができませんでした。
身体の変化や女性の恰好を拒み、周囲の戸惑いの中、男装を好みました。
けれど、男に擬態しても限界があり、結局男になりきれない。
そうかといって女でもない私は地に足が着いていない存在でした。
自分の存在に葛藤し、不安と恐怖で眠れない日々が続きました。
そんな時、先生にお会いしたのです。
あの頃の頑なであった私に手を焼いたことでしょう。治療は進みませんでした。
先生は気晴らしと言って "Sanatorium" を紹介してくださいました。
このことを話題にすると、先生は少し顔を曇らせますね。
ご自分を責めないでください。そのおかげで、私は大切なものを得たのです。
"Sanatorium" での滞在は素晴らしい日々でした。
美しい雪原、月の映える湖、冬の動物たち、暖炉の中ではぜる火、香草をきかせた食事。
でも先生は顔を曇らせます。
その後は「チョコレートのない生活なんて味気ないにきまってるさ」と誤魔化されますね。
美しい保養地とはいえ、コンディトライもパティスリーもないところですから。
先生にとって長期滞在は無理なご相談でしょう。仕方がありませんわ。
後に "Sanatorium" に奇妙なものが棲みついていたという噂を耳にしました。
先生が気がかりに思っていたのはこのことだったのですね。
夜と夢を支配するという種族。私は "Sanatorium" でその種族に出会いました。
夢を渡り歩く彼らは一体何者なのでしょうか?
彼らの別名を挙げると『真夜中の来訪者』、『悪夢を喰らうもの』、『シたくてたまない』。
ごめんなさい、下品な言葉とお叱りになるかもしれませんね。
けれど彼らの性質を十分に表現しています。書き記さない訳にはいきません。
彼らの呼び名はさまざまですが、やはり『夜の使者』という表現が相応しいでしょう。
彼らは人間の夢の匂いを辿って現れるといいます。
夢をみるのはたいてい夜ですから、彼らが訪れるのも夜になります。多くは真夜中に。
真夜中は光の影響が最小になります。反対に、闇に属す彼らの能力は最大になる訳です。
いい夢も悪い夢も喰い、どちらかといえば悪夢を好むようです。
どんな刺激にしても、悪夢には心奮えるスパイスが効いていますから。
苦しみは喜びより多彩でもあります。
夢は空腹を満すもの。つまり、僕らにとっての食事と捉えるとわかりやすいでしょう。
彼らは夢主の了解を得て食事をしますし、快感を伴ういくらかの悪戯をしても、
悪夢からの解放を求める私のような者が後を絶たないことを考えますと、
共生するにはこれ以上ない相手に思えます。
でも、誘惑に抗えないようその者の趣向を体現した魅力的な姿で現れるというのですから
『了解を得る』というのもおかしな話です。
見せかけの合意の上で搾取が行われていると言えなくもありません。
そのときは自分でも何が起きたかよく理解できず、
それに、心の奥底にある欲望を明かすこのになりますから、
先生に打ち明けることがこんなにも遅くなってしまいました。
私が出会った夜の使者は、先生もお見知りになっている男性でした。
男に扮する際、私はどこかしら彼を真似ていました。
それは彼への好意の裏返しであることに思い至りました。
彼の姿をした夜の使者は、夢を喰う行為によって私が女であることを悟らせました。
夜の使者は見返りを求めました。悪夢の代償として『光』を要求しました。
私が抱く不完全な男の虚像を、
成り得なかった私の理想像という希望(ひかり)を奪って去りました。菫色の結晶を残して。
悪夢の夜から解放されると、
私は憑き物が落ちたように女としての自分自身を受け入れることができました。
そして、夜の使者に興味を持った私は彼らの研究を始めました。
夜の使者を調査していく内に "Crystal Coin" の謎に突き当たりました。
それは、夜の使者が残していった菫色の結晶に酷似しており、
神出鬼没な彼らの出現するところに "Crystal Coin" の発見がありました。
私は目をみはりました。しかし関連を見出してもその先はいつも行き止まり。
ところで、"Sanatorium" の滞在のため先生は
フォンテーヌブロー家の紹介状を用意してくださいましたね。
それがきっかけで、その令嬢であったアニエスと知り合うことができました。
彼女は今では私の大親友。明るく芯の強い彼女は、いつも励まされる存在です。
先生はクラウディオス様をご存知でしょう。
いつか、先生のお父様がフォンテーヌブロー家の侍医だったとおっしゃいました。
それもクラウディオス様の。
その伝手で紹介状を手に入れたともこぼしておいででした。
クラウディオス・フォンテーヌブロー。つまり、アニエス様のお祖父様。
かつての社交界一の美男子の変貌。彼の噂は絶えることなく、常に一際目を引く存在ですね。
そして "Crystal Coin" 蒐集の大家。
彼なら "Crystal Coin" の、ひいては夜の使者のことを誰よりも知っているはずだと思いました。
私は彼と接触を図りました。
自らの意思で行動したはずが、このときすでにクラウディオス様の手に絡めとられていました。
「私が持つ知識と財力を与える代わりに、私の目となり手足となりなさい」
クラウディオス様は片眼で微笑み、交換条件を示しました。
返答の前に彼は若い時分、夜の使者と出会った出来事を語りました。
金の双眸、赤銅色の髪、濡羽色の翼の魅惑的な男。その男に悪夢の代償に光を、
つまり失った片眼を捧げたと言いました。
"Crystal Coin" は彼らのと行為の結果生じ、
夜の使者は生成物である菫色の甘い蜜を食すと聞かされました。
己の身に降った出来事と符号する点が幾つもあり、身体が熱くなるのを感じました。
私との行為の後にもきっと、そうなのでしょう。
彼は、"Crystal Coin" が硬貨の形を取った精工な幻影装置であることを明かし、私に見せました。
偶然の発見ではない方法で "Crystal Coin" を手に入れていたこと、
夜の使者と女神を探すゲームを競っていること。
クラウディオス様が、他の蒐集家より優位にあるのはそうした経緯からでした。
そして、彼らの痕跡を辿るために蒐集に金を注ぎ、研究に精を出した。
変人と謗られ、富豪の道楽と蔑まれる蒐集や研究でしたが、私には財宝の宝庫に見えました。
それに彼の提示した条件は、私の目的そのものでした。故に、契約は結ばれました。
このことはアニエスには秘密にしなけらばならないと心の中で思いました。
「今後のことは、彼に相談しておくれ。彼とは馴染みがあるだろう」
思いがけない人物の紹介でした。彼の胸に孔雀の飾り羽がなびきました。
アイスナー家の末弟。エドガーの親友。アニエスの従兄弟。
私の中の失われた光、シェダルフ・アイスナーでした。
彼が好んだオラトリオグリーンの色煙が脳裏に蘇りました。
私がクラウディオス様の意思に従って動くことになってからというもの、
シェダルフに連れられさまざまの欲深いものを目にしました。
世の中には、眼球欲しさに人間を売買する取引が成立するのです。なんて残酷なことでしょう。
かつて、彼は眼球オークションで買った "Jewelry" を女神に仕立てる計画を実行しました。
私は薄ら寒さを感じてしまいます。夜の使者を作るなんて。
最も欲深い者は我が主人でした。このような計画は、神の領域に手を出すようなものです。
クラウディオス様が目を付けたのは名のない少女でした。
Jewelry密売人の説明によると、ハープ奏者の娘だといいます。
望まれない子はいらない荷物でした。
二者の合意により、少女はオークションの舞台に放り出されました。
不釣り合いに高価なフォーマルハウトのティアラを冠し、
"HONEY SUITE" の商品札を首から下げて。
金色の両眼が美しいと語りました。例の男と同じ金眼。少女はクロードと名付けられました。
クラウディオス様は本家とは別の、私的な屋敷を持っていました。
主人は "Maison" と呼び、少女を育てるために用意された場所でした。
少女の世話を任されたのは、シャウラという愛人の女性でした。
優美な香水壜を作るとして名を馳せた細工師。あのシャウラ・エルナトでした。
異国の顔立ちと謎めいた色香をまとう彼女がクラウディオス様のお相手とするならば、
納得でしょうけれど。
とはいえ、惚れ込んでいたのは彼女の方でした。
主人はその美と知性を称賛するものの、
少女の教育者としての彼女を手放さないために逢瀬を重ねる節がありました。
時は過ぎ、主人の手の内で育てられた少女は美しい女性へと成長しました。
彼女は凄惨な結末を迎えることになります。
クロードの面倒をみることに対して、シャウラはどんな感情を抱いたのでしょう。
恋人への愛情、任された役目のための自負心、幼い恋敵への嫉妬。
想像するばかりですが、ただ言えることは彼女はよくない感情を抱いたということです。
彼女の収入は桁外れ。金に目が眩んだとは考えにくい。
けれど、この頃の彼女の評判は芳しくなく、細工物の製作も停滞していました。
ともあれ、シャウラはJewelry密売人と結託してクロードを殺める計画を実行しました。
金眼は文字通り金になる眼球です。クロードの眼球を餌に密売人を手引しました。
けれど、どうした訳かシャウラも密売人も "Maison" で遺体となって発見されます。
クロードの眼球は潰れた状態で見つけられ、その持ち主は姿を消しました。
"Maison" の状況から生存の可能性は否定されました。誰も報われることのない出来事でした。
クラウディオス様が語る限り、最期までクロードも女神も見出すことはありませんでした。
そして、彼はその生にピリオドを打ちます。
老衰でした、彼は長く生きました。
同時に契約は終わりを迎え、持て余すほどの報酬を得ました。
後に、それは私達に一つの示唆を与えました。
随分長く私のお話をいたしましたが、もうしばらくお付き合い願います。
その頃、先生の周りでも変化があったことと思います。
グリフィス家とフォンテーヌブロー家の婚礼以前より、
先生はグリフィス家に仕え、旧当主・アルベルト様の侍医を務めていましたね。
アルベルト様は聡明なお方です。克己心が強く、博識で尊敬に値するお方だと存じておりました。
けれども、"Crystal Coin" に魅入られた者の常として、身を滅ぼした者の一人となりました。
先生がグリフィス家の診察に就いたときには、もう、"That Ship Has Sailed."
アルベルト様は心身を毒に侵され、狂気に侵されていました。
彼は "Crystal Coin" の毒気に抗うことができませんでした。
そして、先日の悲劇ーーーーアルベルト様の死に関わる悲壮な出来事。
ときに、クラウディオス様の死とアルベルト様の急変には密接な関わりがありました。
アルベルト様について申しますと、
死後身辺の整理とともに大量の "Crystal Coin" が発見されました。
もしかしたら、先生はその目でご覧になられたかもしれません。
アルベルト・グリフィスはクラウディオス・フォンテーヌブローが所有していた
"Crystal Coin" を自分のものにしました。
お二人が亡くなった今、どのような経緯でアルベルト様が手に入れたのか定かではありません。
譲り受けたのか、奪い取ったのか。けれど、そんなことは問題ではありません。
問題は "Crystal Coin" の獲得と同時に、
アルベルト様は抑えようのない毒素と狂気を手に入れたことです。
あまりに急激な変わり様だとお聞きしました。先生の心中をお察しします。
手立てはなかったのです。
立て続く葬儀、献花、鎮魂歌、その後の静寂。
アルベルト様の死はエドガーを廃人に変えてしまいました。
このようなときほど、アニエスは自分の感情を押し殺し、毅然とした態度を見せるのです。
アルベルト様の息子であり、夫である者を熱心に介抱する姿は、胸に差し迫るものがあります。
女神の声も彼の耳には届かず、車椅子に乗せられた夫は虚ろな目をしたまま全てを拒否しました。
彼の姿を見て初めて私は知りました。その静寂が夜の使者の来訪によってもたらされるものだと。
それも特別な種類のものでした。
一見眠ったようで外界を遮断し幻覚を映す眼差し。身体は極度に高温が続く興奮状態。
意識が戻らなければ、必要以上に体力を消耗し、やがて彼は死の虜と化すでしょう。
アニエスが窮地に立たされている。彼女を助けたい。
そう決意したとき、クラウディオス様が明示しなかった意思にはっとしました。
予定にないはずの報酬は、彼女を救うために用意された資金でした。
アニエスは祈りの歌である "ROYAL BLUE" を歌うことが多くなりました。
メランコリックなその歌は、年少の妖精王が恋人を失った場面のものでした。
私とシェダルフが屋敷へ招かれたあの日、アニエスは疲労の色を見せていましたが、
その瞳に強い光を宿し、彼女本来の明るさを取り戻しつつありました。
「二人に手を貸してもらいたいの」
協力は当然のことでした。命を失う可能性があると伝えられても、やはり答えは同じでした。
「これから私は奇妙なお話をするわ。けれど信じてほしいの」
アニエスは語りました。
旅回りの興行師が現れ、エドガーの夢の秘密を解き明かそうと言ったそうです。
「"Lilith" が夢の糸を紡いでいる。
皇帝は今、自分に都合のいい夢の世界に浸って、そこから抜け出せないでいるのだ」
"Lilith" に魅入られた者は、現実のから逃亡により夢という籠の内で鎖に繋がれる。
心地よい夢をみせる裏で心を蝕ばみ、身体を犯す。"Lilith" はそうやって悪夢を喰らう。
眠った夢主の精と魂の消耗は避けられず、いずれは死神の手に掛かる。
覚醒が必要だ。
興行師は、大きなリボンをつけたシルクハット男でした。
赤と銀のodd-eyesに見据えられると、現と夢の境界が滲んでゆく感覚に陥ると。
男は『ヒュプノス』と名を告げました。
「私は彼に賭けることにしたの」
常識に当てはめるなら、アニエスは狂気に触れたと思うでしょう。
ですが、彼女が語るヒュプノスの言い分は、私達の推測と似通っていました。
ーーーー『Lilith』と『夜の使者』は同義である。我々が探し求める『彼ら』を指す言葉だ。
そのとき、クラウディオス様のささやき声が聞こえました。
ーーーーヒュプノスは、おそらく "Festa" を経た者だ。彼の策略は上手くいくだろう。
ーーーーだが気をつけるのだよ。ヒュプノスのすべてを信じる訳にはいかない。
なぜなら、ヒュプノスも "Lilith" だからでした。
新月の夜、時は満ちました。
アニエスはヒュプノスとともに夢に沈みました。
すると、たちまちランタナの花が二人を覆い、意識を手放した無防備な姿を隠しました。
「俺達は合意の上に事を行おうとしている。心変わりは禁物という忠告だな。
裏切りはランタナの液果を毒と化すだろう、か」
シェダルフの言葉に、疑惑と後悔が胸の内を駆け巡りました。
男にアニエスを委ねたのは間違いだったのではないでしょうか。
ヒュプノスの編んだ夢は、エドガーの望んだ夢を覆い、
夢の盤上に繋がれた駒達のワイヤを断ち霧中の鳥籠へ堕とした。
嵐がすべてを連れ去る……なぜなのか、その全貌が私の頭の中へ流れ込みました。
3日3晩の後、蒼白な顔をしてアニエスは目覚めました。
彼女は嵐の直前に現実(こちら)へ戻されたのです。
同時にランタナの花が枯れました。私はその瞬間を逃しませんでした。
その後、エドガーが覚醒し、みなで事の成功を喜びました。
衰弱していた恋人達は互いを抱きしめ、隔たった時間を取り戻すかのようでした。
一方で、ヒュプノスは目覚めませんでした。
それは、私がヤドリギの種を彼に植えたからでした。
ーーーージオットは良い子だね。
優しくなだめるかのような声が耳元で聞こえました。
ーーーー花盗人は重罪、彼にはその罰を受けてもらおう。これから夢の中でたっぷりと。
ヤドリギは彼の身体から芽を出し、夢の中へ縛りつけるのでした。
そしてまた、私の心をも縛りました。
死してなお、私はクラウディオス様の掌の上で踊らせています。
この呪縛を断ち切るにはどうしたらよいのでしょうか。
ジオット・ベラトリックス
あなたもジンドゥーで無料ホームページを。 無料新規登録は https://jp.jimdo.com から