温室-2 Sleeper under the moon / Master


月 の 淵 を 漂 え ば   一 角 獣 の 涙 が 皇 帝 の 覚 醒 を 導 く


やめて、邪魔しないで。
苦しいの。息ができないわ。

苦しくなんてないよ、大丈夫。
ほら、そっと瞼を開けてごらん。パーティの時間だ。

パーティ?本当だわ。
こんな月下のパーティ、見たことがないわ。

悪い夢でも見たのかい。夜はこれからだというのに。
おや、涙を浮かべるほど怖い夢だったのだね。

悪夢に魅せられていたの。嵐がすべてを奪い去っていく。
涙なんて流してないわ。こんなに赤い、血だわ。

本当だ。ロードナイトの涙晶が伝い落ちている。
いや、アルマンディンかもしれないな……優美な結晶。

赤い石は嫌い。ママのお気に入りなんて。
ママ、水はやめてよ。だってあんなに苦しいもの。
薔薇たちが騒がしいの。香りにむせ返る。
ディオス、どうして来てくれないの。
お願いだから、その紅玉の眼で見つめないで。
ヒュプノス、これ以上壊さないで!

気が狂わんばかりの叫び声で目が覚めた。
反動で上体を起こし、荒い息と滲んだ汗を知覚するまでしばしの時間を要した。
心が揺さぶられる叫びだった。そして懐かしく心地よい女性の声。
なぜそう思ったのかわからない。
けれど、恐怖に彩られたそれは、鋭利なナイフとなって僕の心臓を一突きした。
叫びを発したのは、もしかしたら己の咽喉かもしれない。悪夢から目覚めた時に似ていた。
乱れた息を鎮め、冷静さを取り戻した僕は、柔らかな月明かりの下にいることを知った。
辺りは薄靄に包まれ、月光を分散させるためか淡い輝きを放っている。
それに舟の上。僕は舟の上に仰向けになって眠っていたらしかった。
舟は、揺り籠に似た心地よさでゆるやかに流れている。
薄靄のために気づかなかったが、身体の上や周囲にはクリーム色の薔薇の花片が散らばっていた。
傍らには、身体を起こした拍子に頭上から滑り落ちた薔薇の花環もあった。
このようなことが以前にもあった気がした。
調整された温かな空気。歓喜に羽根を震わせた少女。約束……あれはどこで見たのだろう?
目覚めたばかりの冴えない頭では思い出すことができなかった。
羽根が生えた少女だなんて馬鹿げていた。
あの快感も。夢のできごと、きっとそうだったのだろう。
それにしても、僕は自分がばらばらになったと思い込んでいた。
この花片のように身体が一つの塊がまとまりを失い解けてゆくようで、
やがて小さな竜巻に変化して上空へ向かった。
雲を飛び越えたところで、大きな夜色のクロスに包まれて花片は舟に投げ出された。
「ようこそいらっしゃいました、薔薇の王子様。いやいや、皇帝殿といったところか。
ご到着を心待ちにしておりましたよ。月の舟でしばしの眠りを捧げましょう」
意識が遠く中で、男の声が微かに聞こえた。そして今に至る。
自身の手足を思わず疑いの目で見てしまう。
身体が作り物めいて感じ、偽物でないかと訝しながら指先を動かしてみた。
自分の意の従って滑らかに動くことがわかると、僕は安堵した。
次に舟に目を向けた。舟に櫂はなく、流れに任せて漂うに過ぎない。
そもそも雲でできた海に櫂を入れても舟が進むように思えない、か。
「シガレットの火をくれ」
唐突に声が発せられた。前触れもなく、マントを目深に被った男が現れたのだ。
向かいに腰を下していた。まるでずっと以前からそこにいたかのような風情だった。
男のずぶ濡れのマントから滴り落ちる水が、たちまち舟底に水溜りをつくった。
「火を」
男がもう一度口にして初めて、僕は自分の口にシガレットをくわえていることに気づいた。
銀色がかった白色の巻紙はNight Seriesのシガレットに違いないが、
見覚えのない零番が捺されている。
それに、手にオイルライターを握っていた。
男の指が苛立たしく催促する。終いには、オイルライターを奪い取って火を点けた。
男が口を開いたため、何を言うのか身構えると同時に、
シルバーセレナーデの煙が顔に吹きつけられた。
不意打ちを食らって僕は咳き込んだ。
「軟弱だな」
呆れた様子だ。
「まあ、今に知ったことでもないか。
ここでは予想しもしないことが起きるものさ。こんなものは序の口。
それらはお前に与えられた物だろ。バラバラになって記憶まで飛んだか?
あるところに少年がいた。そいつは "Sanatorium" で夜の使者に魅入られた。
少年は青年になり、受け入れがたい事実に行き当たった。青年は逃げた。
温室の中はぬるく、責める者はいなくとも居心地がいいとは言えない」
男は意地悪く笑った。話の見当もつかない。それがかえって僕を不安にした。
「そんなつまらないものを捨ててしまえば頭も冴えるだろう」
オイルライターと同様にシガレットを奪い、雲の海に放るため腕を上げた。
反射的に男に手を伸ばすと、足元が大きく揺らぎ、舟が突然動き出した。
僕はその場に無様に座り込むほかなかった。
「動き出した舟の上ではご注意を」
声を上げて笑う。
「特に、こんな月の舟から落ちてしまえば、水の乙女の棲む海へ真っ逆さま。
乙女に捕らわれたなら逃げ出す術はない。気を付けることだ、皇帝殿」
芝居がかった慇懃な口調に僕は目を瞠った。それに、この声音。
背後から一際強い風が吹いた。
男にとって正面から吹きつけた風は、被っていた頭巾を後ろへ追いやり、顔を露わにした。
目に飛び込んできたのは、白い面に左右の異なる虹彩色、螺旋を描いた2本の黒角。
男の出現に比べれば、それらの風貌はごく自然なこしらえものに映った。
「お前は夢の案内人か?それとも死神なのか……。乙女より先に、僕を捕らえたのはお前だろう」
「一つは悪くない線だ。一つは、その通りと言っておこう」
僕をしげしげと眺めてそう言った。先程より幾分注意深い目をして。
「カードの配り手でも水先人でもないが、私はお前を導く役を負っている。
コイツは預かっておこう。雲の海へ落とすようなヘマはしないさ。
からかって悪かったな。好きな女を盗られた仕返しなら可愛いもんだろ」
身に覚えのないことばかり口にするが、僕の口から出た答えはこうだった。
「いいだろう」
男を信用する訳ではない。だが、その言葉に嘘はないように思えた。
しばしの沈黙。すると、甘酸っぱい匂いが鼻腔をくすぐった。
林檎の匂いと思い至ったときには、男の手に棒付き林檎が2本握られていた。
そうかと思えば、僕と男の間に2つの壺が現れ、蜂蜜がとろけ、チョコレートがふつふつと煮立った。
男は一つの林檎を蜂蜜にくぐらせ、もう一つをチョコレートにくぐらせた。
「食えよ。仲直りといこう。林檎は幸福を暗示するのは知ってるか?
幸福を拒めば、それは腐り、意味するものは変転する」
脅しのこもった林檎はなおさら不吉に思えたが、紅く輝く林檎は垂涎ものだった。
拒む理由もなかった僕は、蜂蜜がかった林檎を受け取って一口かじった。
林檎の爽やかな酸味と金色の甘みが、口の中でさっと溶けてゆく。
「さて、謎解きを始めよう。チョコレートと蜂蜜。中身は同じく林檎」
チョコレートで覆われた林檎は男の口へ。
そこから棒が突き出たままだが、よどみなく言葉を繰り出す。
空になった手が空中で拭い去る動作をすると、
周囲の靄が凝固し亀裂が走ったかと思えば、氷の欠片が弾け飛んだ。
驚きに見開いた目が捕らえたのは、男に降りそそぐ氷片と、それを両腕に抱く姿だった。
腕の中に残されたものは、マーブル模様の薄氷だった。遊戯札ほどの大きさだ。
歴史の記された粘土板に似て、隙間なく文字が刻まれている。
黄金色と暗褐色が混ざり合い、薄氷越しに男が指を差す。
「このプレートにはあの日の出来事が刻まれている。
お前は知らなければならない。イヤだろうが教えてやるよ。
受け入れられなかったものを今度は……」
男の言葉が終わらない内に指先から力が抜け、瞼は重く僕を夢の底へ誘う。
抗う気持ちなど、林檎の蜜とともに溶けていった。
黄金の蜜が溢れるような感覚に身体が熱を帯び、僕は思わず咽喉を鳴らした。

ーーーーゴクリ。

静けさの中で、鷹の羽ばたきが聞こえた。
しだいに近く大きくなった翼の音に僕は意識を取り戻した。
闇に包まれたベッドルームに窓を透かして雲間から春の月光が差した。
月の光が紅く染まっている、そう思った。
意識が戻ると、ひどく甘い歌声が頭の中によみがえった。
歌の題名は『魔法にかけられた山羊』、歌うのはグイド。
今までに彼のこんな声色は聞いたことがない。欲情が疼いてたまらない風だ。
花の女神に魔法にかけられた、つまり女神の恋に堕ちた山羊が、生贄になる歌物語だ。
歌が過激な表現に差しかかったとき、微睡む花の女神をグイドが抱く姿が見えた。
挑発的なアメシストの眼差しを僕に向けたまま、女神の柔らかな唇に激しく喰らいついた。
薔薇色に蒸気した女神の肌。女神の、妻の、アニエスの肌を貪るように吸う。
グイドが欲情を向ける相手は彼女だった。アニエスだった。
山羊が "Night Series No,19-ENIGMA夜シリーズ「十九番 夜鳥」" に手を付けたと思えば、
アニエスの虚ろな目に立ち上るブラックカンタータの煙が映った。
欲望の矛先が再び戻ると、グイドは菫色の錠剤を口に含み、
用量次第で百年先まで眠りをもたらすという劇薬・"Sleeping Beautyスリーピングビューティ 眠り薬" を口移した。
シガレットの煙は、夜鳥の群が眼前を覆うかのようにその情景を掻き消した。
「わが主人の命令に従ったまでだ」
グイドの言葉が聞こえた。
僕はただ立ち尽くしていた。
しかし、そ の時間は長くは与えられず、ぬるいものが頬を伝い落ちると、手足が震え出した。
月光が露わにしたものの正体を僕は知っていた。紅と紅か重なり、黒ずんで見える塊。
紅く染まっているのは月の光ではない。世界が紅く染まっていた。
頭部から流れ伝う血が、見るものすべてを血の色に染め上げていたのだ。
ここは最奥のベッドルーム。そこは父上の部屋。
塊を見下ろす形で立ち尽くした僕の肩に鷹が留まった。
猛々しい目は獲物を見据えて光り、嘴は紅く染まっている。
父上であったはずの塊。"それ" から目が離せない。
眼球があった場所は冥い空洞となり、皮と薄い肉に隠されていた内容物が晒されていた。
ちぎれた指には菫色の宝石が輝いていた。銀の輪に儚くも座している。
発見後まもなく母上に贈られた気高い宝石。やがて母を死に至らしめる宝石。
それは父上の指に舞い戻り、微睡みの中で狂気を育むこととなった。
実年齢以上に老いた硬く乾いた肌、息絶えた咽喉を締め付けるのは僕の手だった。
驚いて手を離すと、すでに息絶えた父上は床に崩れ落ちた。
衝動に駆られた命令の結果。鷹を統べる業を用いた背徳。
血の臭いにむせ返りそうだ。眩暈がする。父上の姿が霞んで見える。
兄も僕もこの世に生み落とされる前のこと。
父上、グリフィス・アルベルトは "Crystal Coin" の発見により名声と富を得たという。
"Crystal Coin" は大抵本来の姿を隠し、一見汚れたコインで見つかることが多い。
しかし、正体を見抜くことができれば、研磨によりそれは美しい宝石へ生まれ変わる。
また、宝石としての価値だけでなく、
精密な細工物として評価するなら値が付けられないほどの代物だ。
"Crystal Coin" が生み出す幻影は神秘そのものだという。あるいは楽園、夢。
その虜となった父上は "Crystal Coin" を手に入れるため、
さまざまな方法でアニエスを脅迫していた。
"Crystal Coin" 蒐集の大家・クラウディオス様の孫娘にあたるアニエスが、
その在処を知っているとした。そうと知らずに僕は、僕は……。
僕は、今なお権力を持つ父上の屋敷に縛りつけ、アニエスを苦しめていたことになる。
グイドは、アニエスを傷つけたあの夜、父上の謀略の一端を知った。
そして、過去の出来事を振り返ると、父上の思惑が透けてみえた。
目の前が暗くなり、咽喉がおかしな音を出している。
叫び声だと認識した時、滑らかな夜色の幕が幾重にも僕を包んでいた。
生まれた絶望は、誰かの名前を叫んでいた。それが誰なのか僕にはわからなかった。
けれど、闇の中で僕の手を握る者がいた。
「今晩は、マスター。ぼくの名前を呼んでくれたんだね」
耳元でささやく声。いい匂いがする、とも言った。
傍に少女が立っていた。大きな白翼を背に持った人成らざる姿。
薄絹を纏い、肌が透けている。濡れた瞳と紅く色づいた唇で誘惑をする。
「大好きだよ、マスター」
頬にキスすると、目と目を合わせ微笑した彼女の唇が甘く囁く。
「夢をみせてあげる。君の望んだ世界の夢を」
説明などいらなかった。彼女がもたらすものをずっと前から知っていた。
甘い蜜の予感があった。僕を待っている。
心を閉ざすことが許され、もたらされるのは楽園の果実の夢。
王座が見えた。本当は王座を模した王子様の椅子。
柔らかな青いビロード張り。琥珀色の枠組み。豪華絢爛な装飾。
そこに座る者がいた。幼さの残る青い眼の青白い肌の少年。
少女は舌の上の "Viola" を少年の舌に絡めた。
すべてを少女に任せれば、心地よい刺激が身体中を駆け巡り恍惚感に満たされる。
そうしながら菫色の光は冷たい熱をもって喉元を落ちていった。

ーーーーそして、僕は少年の殻に閉じこもった。

雲の海をゆく舟が、幾隻も月の淵へ辿り着く。
砂浜になったそこから内陸へ向かえば、まもなく硬質な岩盤の上へ降り立つことだろう。
岩盤は青みを帯びて透き通り、鏡面と見まごう滑らかな表面に月を映し出している。
頭の中の霞がかったようで周りの音がよく聞こえない。
角男の姿をみとめると、その口がこう言った。
「林檎を見つけることだ。一角獣が喰らう前に」

乱暴に背を押されて、はっとした。
前のめりになった状態から身体を立て直すと、舞踏会に足を踏み入れたことを知った。
人々のおしゃべり、高揚した空気、流れる音楽。胸が高鳴るのは程なくダンスが始まるからだった。
「ここにいたのですね、マスター」
男が二人、駆け寄ってきた。
「ギンヅキ、グイド。お前たち、妻を知らないか?」
「ええ、奥様もマスターをお探しです。どうぞ、こちらへ」
ギンヅキに促されながら、僕はふと疑問を感じた。
"妻" と口にしつつも、なぜか僕は妻の顔を思い描けずにいた。そんなはずがない。
「エドガー、君の女神様がお待ちかねだよ。早く行っておやり」
すれ違い様に兄のレイが肩を叩いて行った。
片手にシャンパングラスを持ち、"Sanatorium" の運営状況の話をしている。
ステージを見物していたジオットが振り返り、小さく手を振った。
傍にはスミス先生が微笑んでいる。
ステージには、奇術師と従者とみえる3人のピエロが芸を披露していた。
魔女と狼、そして狩人の扮装。彼らの顔ぶれに見覚えがあった気がしたが、
派手な化粧と色鮮やかな衣装に包み隠された素顔を思い出すことができなかった。
「マスター、どうか足元にお気をつけください」
ふらついた僕を支えてグイドが言った。
「ああ、すまない」
ひどく汗をかいていた。言いようのない不安が胸にわだかまっている。
正体の知れない者が、親しい者たちをかたどった仮面で僕を惑わせるようだ。
「おーい、こっちだぞ」
大きく腕を振るシェダルフの姿を見つけ、訳もなく安堵した。
シェダルフは仮面を着けてなどいない。
それから、そう、その隣にはホワイトローズのドレスを着た女性がいた。
シェルピンクの瞳が僕を睨みつける。その美しい僕の妻はどうやらご立腹の様子だ。
なぜこんなに美しい女性を忘れてしまったのだろう。懐かしく心地よい女性の声。
「悪い、アニエス。ずいぶん待たせてしまった」
「遅いわ。どれだけ待たせれば気が済むのかしら。
最後の曲に間に合わなければ、許さないつもりだったのだけれど」
「そう、間に合った。どんな罰をくれてやろうか楽しみだったのにな。エドガーは運がいい」
シェダルフがからかう。アニエスはすでに笑顔だった。
蕾が花開いたような笑みに僕はすばし見惚れた。
僕はひざまずき、アニエスの手を取った。ダンスのお伺いを立てる。
相手として許しが下りると、白く美しい手に口づけた。
「まあ、御義父様と御祖父様がご覧になっているわ」
「見せつけるのもいいだろう。さあ、踊ろう」
アニエスを抱き寄せ、深い口づけをした。
その時、僕らをかき消すように雷鳴が鳴り響いた。
辺りは暗くなり、稲光に照らし出された彼女はアニエスの姿形をしていなかった。
波打った長い金色の髪がなびき、金眼が光った。
そして1本の角が白く輝いていた。美しい獣。
はっとし、雷鳴の夢を見ていたことに気づいた。真夜中の鐘が鳴っている。
音楽は途切れることなく心地よく会場を包んでいる。
しかし、心地よさは変化し、欲望が僕を取り巻いた。
突然、アニエスの手首につけた薔薇のリストレットが目に飛び込んだ。
「そいつは君の物ではない。なぜならそれは偽物だから」
声が僕に呼びかける。
「さて、本物はどこでしょう?林檎は何れ腐る。その前に見つけるんだ」
アニエスがいない、アニエスが。彼女でないことに気づいてしまった。
思わずアニエスを象ったそれを突き飛ばした。
眩暈がして、視界を渦が巻くようにぐるぐると目が回る。
ああ、こんなこと、ずっと前から知っていたような気がした。
知っていて僕は知らないフリをした。フリをして、それが本当になった。
自分で自分を騙し、どれか本物でどれが嘘かわからなくなってしまった。
けれど、もう自分を騙していてはいられない。アニエスが泣いている。そんな気がした。
自身の瞳から溢れる涙に気づかないままアニエスを強く望んだ。
その時、渦の中、目の端を美しい一角獣が駆けていった。
一角獣の軌跡がきらきらと輝いていた。
頭の上に漂う霞が晴れていくと、そこは僕のベッドルームだった。寝台に寝かされていた。
僕の顔を覗き込む者がいる。瞳をうるませ、頬を紅潮させ、微かに震えている。
一目で本物とわかる。アニエス、君だった。
わっと僕らは互いを抱き締めた。口づけをし、彼女を享受する。
「還ってきたのね、エドガー。還ってきた……」
「そうだよ、君のもとに」
ぬくもりを感じると、今まで気づかずに冷たい檻の中にいたと思えた。都合のよい夢をみていた。
けれど、彼女は温かい。どんな現実も受けられると思えるほどに。
大好きだよ、もうずっと君を離さない。
遠くで懐かしい女性の声が聞こえた。彼女もまた泣いていた。

どうして、いなくなってしまった。
ひとりぼっちはいやなんだ。

なぜそう思うのだい?
君はもう独りではないというのに。

ぼくの夢を否定されたんだ。
ぼくの存在を否定されたんだ。

君の涙は朝を誘ったのだよ、パーティが終わってしまった。
ああ、目覚めの時間が訪れた。

 3-2