鳥籠-2 Maschera in the mist / the Duke of F


遊 び 飽 き た 公 爵 は   夜 を 性 と す る 者 と 悪 戯 に 契 約 を 交 わ す


サンルームのドアには "Bird In The Cage" というルームプレートが掛けられていた。
A.G. が先導して中へ招き入れる。
鳥籠状のサンルームはほのかに碧緑に透き通り、
周りを囲む梁は天頂で集合する仕掛けになっていた。
その天頂近くに三日月が昇っていた。
下方へ視線を戻せば、中央には白いクロスを掛けた円卓があり、
そこに座るのは仮面を被り美しく着飾った三人の "Mascheraマスケーラ"。
右手に座る眼帯の男は、羽根の揺らぐ派手な公爵のマスク。
眼帯に重ねた翠玉のマスクの下で、柔らかな微笑みを浮かべている。
肘を立て顔の前で両手を組み、これから起こる出来事が待ち遠しいようにみえる。
左手に座るベールの女は、持ち手のある上品な皇女のマスク。
メランコリックな面立ちを隠しきれぬまま、伏し目がちな瞳は陰っている。
蒼玉のマスクを持つその指にはダイヤモンドの指輪がきらめく。
そして、正面に座るシルクハットの男は、真ん中で紅玉と白銀に分けられた奇術師のマスク。
その穴から覗く眼は、マスクと反対の色が配されいるため奇妙な感覚を呼び起こす。
大きなリボンのついた帽子をやや傾がせた状態で、
歓迎の意を表して両の手のひらをこちらに向けてみせる。
奇術師の正面には空席がひとつ。
「今宵はこのような夜会へようこそおいでくださいました。
貴女の席はそちらへご用意させていただいておりますよ。
どうぞお座りください、"HONEY SUITE" 」
ここへ足を踏み入れた時から、ぼくの顔もまた仮面で覆われていた。
蝶を模した金色のマスク。軽やかに空気を孕んだドレス姿。
ドレスは純白に輝くホワイトローズが縫い付けられ、
さらにゴールデンダイヤモンドが散りばめられていた。
肩ほどもなかった髪は腰まで伸び、唇にはルージュがひいてあった。
空いた席にふわりと座ると、足元でカシャンと鎖の音がした。
「さて、遊技役者がそろいましたことですし、ゲームを開始致しましょう」
奇術師が指を鳴らすと、目の前にカードが現れた。
こちらに向けられたカードの背面は、古風な薔薇の模様が描かれている。
そうかと思えば、小さな弧を描くようにカードがスプレッドされる。
「ゴブラン家のトランプだね。薔薇の花片に謎が仕込まれている」
公爵のマスクが感嘆して言った。
「流石は見識の広い "Crownクラウン" 様で。
言い改めるならば、血塗られたゴブラン家に伝わるトランプにございます。
トランプにまつわる血生臭い逸話で皆様のお耳を汚す訳にはいきませんので
この話はさておきまして、
紳士淑女の皆様がここへ集われたのは、昔語りのためであります。
時の配列に従い、順を決めるならこれを用いるのも一興」
奇術師が咽喉の奥で笑う。
笑いに合わせて奇術師のシルクハットが小刻みに震えた。
そうかと思えばシルクハットからピンクの鳩が飛び出し、
左手を振ればリボンとキャンディが飛び出した。
鳩は目の前へ来て空中に留まると、奇術師の合図でロリポップに変化した。
「ブラボー……」
苦々しく口にするが、両側の公爵と皇女は愉快に拍手を送る。
どこからともなく現れたシェイカーが空中でひとりでに振られ、グラスが円卓で踊っている。
シェイカーからカクテルが注がれ、チョコレートやナッツ、チーズがプレートに並んだ。
簡素だった家具や調度品も華やかに生まれ変わり、夜会の準備が整った。
ついでとばかりに奇術師はトランプから4枚を引き抜いた。
表を見せると、ハートを抱いたキングたちが猫のように笑った。
「キング、クィーン、ジャック、エース……これらの札で順を決めるといたしましょう。
まずは今夜のゲストより引くのが相応しいかと。
素敵な来訪者様、どうぞお引きくださいませ」
ぼくは、差し出されたカードに描かれた薔薇の模様を順に撫でた。
「公正な心で臨むことを忠告、いたします」
奇術師の囁きとともに、その中の1枚を選んだ。
"Maschera" 達にカードが行きわたり、最後に残されたカードは奇術師のものになった。
「はてさて、運命の女神の導く先に待ち受けるものはどんなものでしょう」
それぞれに自分のカードの表を返した。
奇術師の顔に浮かんでいた笑みは消え、目が細められる。
「……おや、これは感心しない。悪戯好きのジョーカーが紛れ込んだようだ」
奇術師がカードの表を見せる。
そこにはトランペットを吹くジョーカーがいた。
「こちらもジョーカー」
「こちらも同様にだ」
当然手持ちのカードもジョーカーだった。
「番狂わせだ」
耳をつんざくトランペットの音が鳴り響くと、ゲラゲラ笑ってジョーカーはカードから抜け出した。
奇術師は溜息をついて両目を伏せた。銀色の睫毛の影が落ちる。
「一体何を恐れているのかな?
君と違って、我々には時間なら限りなくある。
時間があるということはいつまでもゲームを続けていても構わないんだ。
終わりがなければ、このくだらない遊びは永遠に続くことになる。
この意味が理解できるかな?」
奇術師が両手を叩き、重ねた手が離れると蝶が溢れて飛び立った。
蝶はサンルームに散ったジョーカーをあぶり出し、首をねじった。
ゲラゲラ笑いが収まると、奇術師はシルクハットのつばを上げた。
「興も冷めたことですし、手法を変えるといたしましょう。
皆様方の目の前にありますミステリーボックス、こちらで手を打つのはいかがです?
さあ、正八面体(ダイス)をご覧くださいませ」
ビロードのクッションの上に玻璃でできた4つのダイスが座し、
隣にはミステリーボックスと呼ばれた七色に輝く立方体が口を開けている。
突然現れたそれらに驚く者はもういない。
「ダイスにはイニシャルコードが映されております。
これをミステリーボックスにお入れしまして、
穴から出てきた順にお話を進めようではありませんか。
賛成の方は拍手をお願い致します。異議など、ありもしませんでしょうが」
奇術師は拍手の中、なおさら芝居ぶって一礼した。
天頂の月は急ぎすぎた婦人のように短い間に満ちていた。
七色の箱から最初に飛び出したのは

『F』

「貴方が幕開き役のようですよ、公爵」
「一番手とはもったいない役どころだが、ご光栄に預かろう。
夜伽は得意だが、オールドテイル、いや、私にとってのフェアリーテイルをお聞かせするには
少々老体に響くようだ」
老体には似ても似つかない青年は、マスクの奥の瞳に愉快の色を浮かべて口を開く。
「始まりはいつとも知れず、私の記憶にあるのは夜の使者に出会った時のことだったーーーー」

遊び事に倦み疲れた男がいた。
金も時間も豊満にあり、酒も賭博も快楽も不自由なかった。
蜜の味を覚え、女もいいが飽きたらず男遊びにも興じた。両性を具する者を知るのはまだ先のこと。
熟れた蜜はやがて腐った灰の味に変わったが、その灰の味が苦く暗くとも
一度知った灰の味を舐めずにいるなんて、そんなことができる筈もなかった。
夜ごと派手に浪費し、放埒な日々を送りながらどこか退屈に過ごしていた。
そんなある夜のパーティだった。
「シガレットの火を貸しておくれ」
スラングとも受け取れる問い掛けを私は口にした。
シャニール家の屋敷で開かれたパーティは、異彩を好む貴婦人が主であるだけに、
斬新奇抜、退屈さが紛れるほど華やかで、出入りする輩も様々だ。
つまり一夜の相手を探すには絶好の場所という訳だった。
バルコニーに出ると "Virgin Series No,3-FLOWERSHOWER女神シリーズ「Ⅲ、花」" の煙が立ち上っていた。
ブロンズフロースの薄い煙幕の向こうに鷹のような金の双眸。
鮮やかな金眼の男に火を求めると、オイルライターを投げて寄こした。
「これは、シャニールの恋人殿。一服の愉楽を捧げよう」
男は続けて聞き慣れない言葉を口にした。祈りの言葉と推測する。
異国の模様が描かれたオイルライターを受け取り、シガレットに火を点ける。
「『女神のそれを奪うのだ』、か 。
いいのを吸っている、市場では出回らない銘柄だ。ひいきの商人でもお持ちのようだな」
金眼の男は微かに笑ったようだった。
先ほど、男はシャニールの貴婦人に挨拶代りの手品を披露していた。
驚嘆と気の利いた贈り物。そして称賛。
私は貴婦人の腰に手を回しながら同様に驚嘆した。手品とその金眼の美しさに。
バルコニーの前を通ったボーイにワインを二人分もらう。
一つを男に渡すと、グラスを持ち上げて宙で乾杯をした。
「シガレットを当てた礼と言っては何だが、面白いものをお見せしよう」
グラスに手をかざし、弄ぶかのように指先を動かす。
ワインの赤は、瞬く間に橙、黄、緑、青に変化した。
その後、緩やかに青から藍、紫へと色相が変わってゆく。
「色変わり魔法、虹色ワインを貴方の舌の上にも」
男が指を鳴らすと、持っていたワインが虹色に変化した。
タネのない手品を見るような心地に、賛美の言葉を贈る。
「どうぞ召し上がれ」
促されるままに不可思議な液体と化したワインを飲み干すと、不意に酔いを感じた。
手品師の深緋の髪が夜風になびき、黒い外衣(マント)もひるがえる。
双眸だけではない、一種の獣性の魅力が露わになり、しばし見惚れた。
「シガレットの火で遊ばないか。オイルライターなんてものじゃなくてさ」
Virgin Seriesを好む奴は気がしれない。
いかれている。
狂人の嗜好品だ。
そして同じ穴の貉だった。
空になったグラスは、いつしか黒濡れした羽根に変わっていた。
再び自身の唇に寄せたシガレットは "Virgin Series No,1-MOONSHINE女神シリーズ「Ⅰ、月」"。
ゴールドルナの煙が尽きるまでゆっくり味わい、私はその言葉に応じた。

清冽なヴィオラの匂い。
月光に濡れた寝台。
moonshineの杯。
シーツの上には快楽の獣が2匹。
互いを存分に享受した後、1つのオイルライターで2本のシガレットに火を点けた。
手品師は若々しい見かけより遥かに老練で、心地よい絶頂を幾度ももたらした。
その度に私のものを嚥下し恍惚する様子が見られた。
そんな性癖もあると聞き知っていたが、存外悪い気もしなかった。
「シャニールの貴婦人に偽名を使っていただろう。
ニュクス、夜の女神の名を騙るとは豪気だね」
「手品師の本名を明かす奴はそういない。ニュクスは私の好きな女だ。
我々は夜を性とするため『夜の使者』と、そう名乗ることが本来多い。
シャニールが納得しないから記号を与えたまでさ」
「女性とは物事をはっきりさせたがるからね。
それにしても、君のような手品師が他にもいるなら驚きだ。旅芸人か何かなのかい?」
「そんなところだ」
ブロンズフロースの煙を吐いて唇を重ねる。ヴィオラが薫るようだ。
「我々の崇める女神は、人間から神に成り代わった女でね。
神と賭けをして勝ったのさ。随分な女神様だろう?
女神は自分の礼拝堂で夜と戯れて過ごしていたが、
ついには礼拝堂を飛び出し、旅先で夜と遊んでおいでだ」
夜というのは明らかな隠語だ。奔放な女神様という訳か。
「宗教?」
「女神を崇めるのは趣味だよ。余技を磨いている。
まあ、そうでない奴もいるが、みな惹かれているのは同じだ」
「結構なことだね」
みなとはいか程の数をいうのか。余技とは絶頂をもたたすための技能をいうのだろうか。
私は欠伸をして煙草を押しつけて消した。同時に疑問も消えた。
「そんな魅力的な女性なら手に入れたいものだ。
小鳥のように籠の中に閉じ込めて誰にも渡しはしないけれど。
愛を与え慈しみ、私だけのものにしよう」
「君は女神を見つけられない。女神は私が手に入れる」
「そうかな?決めつけはよくないな。
人生は、運命が溢れ出さんばかりに注がれた杯というだろう。
私が先に女神を見つけた時はどうしてくれる?」
「君にキャンディをあげよう」
「キャンディ?ああ、とびっきりのヤツを頼むよ」
酔いと疲労のため瞼が重く、意識と意識の隙間に夜の使者の声がする。
どうせ眠りは束の間、こんな夜でさえも悪夢に目が覚める。
予定調和に心を乱されることも慣れてしまった。
「君は今夜も悪い夢をみるつもりなのか?」
妙に明瞭な声が聞こえる。男の声だとわかっていたが、欲望に煽る女の声に感じた。
「君の心を麻痺させる悪い夢は私が喰ってやろう。
悪夢なぞ飼うものじゃない、喰うものだ。
今夜は甘美な楽園の夢を贈るよ。
お代は、君の瞳に眠る光の結晶。キャンディは賭けが決するまでお預けだ」
閉じた瞼に唇を感じた。
ヴィオラの残り香が消える頃、私は目を覚まし一眼を失ったことを知った。
小卓の上には、潰したシガレットの横にストライプ模様の包み。
包み紙を開くと、ヴィオラ色の玻璃玉が転がった。

片眼の代償には十分過ぎる夜だった。
ヴィオラ色の玻璃玉は私が望めばそれは美しい幻影を見せる。
時折彼を感じることがあると、あの夜の快感が身体を駆け巡り、独り果てる。
誘惑した筈が誘惑され、夜の使者は精を奪い姿をくらました。
旅芸人に身をやつすのは彼等の手法で、悪夢喰らいをして放浪するという。
あの出会いから物事は一変し、夜の使者の痕跡を蒐集することに没頭した。
自らは彼等の消息を調べ、人を使って "Crystal Coin" を集めさせた。
その行動を嘲笑うかのように、ニュクスと名乗る男から忘れた頃に手紙が届く。
「いまだに女神を見つけられないでいるのだろ?」
ある考えから、私は眼球オークションで少女を買った。
籠に閉じ込めるための小鳥を買ったのだ。
放蕩三昧から一変して蒐集に熱を上げた若者の変わり様に、後に人々は変人の名を冠す。
「彼の名をクラウディオス・フォンテーヌブロー。
舞台の上では『F公爵』、つまるところ私のことだ」
話を終えた男は公爵のマスクを外した。
片眼は眼帯で覆われているが、露わな部分から稀に見る美貌の持ち主と知れる。
「再び見(まみ)えたことを感謝しよう」
『F』のダイスが砕け散った。

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