古城-4 Pierrots on the board / Flannel
眠 り の 秘 密 は 夜 の 使 者 が も た ら し た 果 実 に あ る
零時を告げる鐘が鳴り響くと、第二の幕が開かれた。
「失礼ですが、チケットをご提示ください」
入場口で呼び止められた。
グリフィス家の推薦証を見せ、先へ進もうとすると再度行く手を阻まれる。
「第二幕のチケットは『小さな王』の遊戯札となっております。
ご提示のない場合はお引取り願わなければなりません」
『小さな王』とはコル・レオニスのことであったが、そんなチケットは持ち合わせていなかった。
コル・レオニスは細工師の中で異質の存在で、おぞましさと醜悪さを魅力とする。
彼の創造の素を『大さな王』と称し、
対する表現者である生身の己を『小さき者』と表したことに由来している。
微笑みを崩さないままポケットをさぐるフリをしたが、無いものは無い。
「そこにあるのは何かしら?」
不意に声が掛けられた。
可笑しさをこらえながら歌うような声で、通り過ぎざまに指を差す。
指が示した先は自身の胸ポケットで、とても遊戯札のようなカードが入ってるように思えない。
「その青いポケットチーフを開くといいわ。じゃあね」
ゆるやかに波打つ金色の髪に、細くしなやかなホワイトローズのドレス姿。
薔薇のリストレットを結んだ手をひらひら振って、金色の女性は背を向けたまま先へ消えた。
ポケットチーフを開くと、そこには確かに遊戯札が入っていた。
4つに折りたたまれた札を広げると絵柄は狩人。
狩人は半人半馬で毒々しく、弓を引く姿はけだものにふさわしく醜く映った。
遊戯札を入れた覚えなどなかった。一方で、最初から持っていたような気もした。
ひとまず入場を果たしたフランネルは、チケットの謎はそのままに金色の女性を思い返した。
うっとりと眠ったような面差しが心に残った。
すでに第二幕のショーは始まっていた。
ステージには、ストライプ模様の長椅子が等間隔で置かれてあった。
そこに腰掛けるのは12、3歳の少年少女で、どの子もみな簡素な白い服を着ていたが、
それが返って端正な輪郭を浮かび上がらせていた。
リボンで目隠しをされた姿でも瑞々しさがほとばしるように思える。
ちょうど、金色のリボンの少女の目隠しが解かれた。
同時に客席から感嘆の声が漏れる。
金色のリボンが解かれると、燦然とした蜜色の眼が輝いていた。
強すぎる光は相手を刺すようで、悪意を隠すことのないその目に俺は一瞬息を止めてしまった。
"HONEY SUITE"
ゴールデンダイヤモンドを模した少女の商品札を目でなぞる。
このショーの主眼も主眼にする商品(もの)は、眼球であった。
宝石さながらの眼球オークションは実に華やかなものだった。
ダイヤモンド、ルビー、エメラルド、アクアマリン、アメシスト……
宝石商がとっておきの顧客にしか披露しないジュエリーケースに似ていた。
リボンを解かれた色とりどりの少年少女が競られてゆく。
リボンは眼球の色と一対になり、眼球に匹敵するジュエリーを身につけている。
このオークションは眼球の売買を主とするが、一種の人身売買である。
罪なる行為を隠す蓑としてジュエリーオークションという表看板が用意されている。
そのため競りはジュエリーの値から始まる。
それも今夜はフォーマルハウトのジュエリーコレクションだ。法外な値が飛び交う。
また、手元や足元に目を移せば、そこにも薔薇の連なりが続く。
よくよく見れば銀の鎖に薔薇が絡ませてあり、誤魔化し切れない鎖が少々痛ましい。
荊でできた鎖は、棘の痛みに耐えさえすれば解くことができるが、
銀の鎖であってはそうもいかない。
客人はみな美しく装った黒い衣服に、男性はマスク、女性はベール。
少年少女の新たな主人(マスター)は、飼い主になるのか、あるいはただの買い主か。
こうやって買われた少年少女は、少年には女名を、少女には男名を付けられる。
買い手のついた少年少女の行く末は知れない。
愛情をもって養われるのは稀で、眼球だけくりぬかれ処分されるのが大抵だった。
処置をされたとしても酷い扱いを受けながら生かされるだけだ。何しろドールである。
人形は束縛なしには、まやかしの自由すら手に入れることはない。
そうこう考える内に、
どうやら眼帯の上にマスクをした男が "HONEY SUITE" を落としたようだった。
長い手足をくつろがせ、薄桃色の片目を満足そうに微笑ませている。
派手な衣装の美男だった。身に着けている物以上に、
本来持って生まれたモノの上等さをうかがわせる。
けれども、眼帯に重ねたマスクはやはり風変わりだ。
それにしても、この町の連中は色彩に異常な情熱を持っている。狂執といってもいい。
フランネルは "Night Series No,3-DARKNESS" に火を点けた。
ブラックマドリガーレの煙は、夜闇よりなお一層深い黒となって立ち昇る。
色に憧れる一方で、アルビノのような色素体を蔑視し、
迫害の傷を生み、追い詰めてきた歴史を持つ。
色を持たないシルクの髪を思い浮かべる。
温和な性格に反して、伸ばした髪は社会への当てつけであることを知っていた。
絹のような髪に触れた感覚を思い出すと、頬が緩んだ。
そこで意識せずシガレットの吸い口を強く噛んでいたことに気づいた。
この世界は際立った美しさを持つ者であっても、
その美しさを持たない者であっても苦しめるようだ。
美しい色彩の持ち主である少年少女と、色彩を欠いたシルクの境遇には共通点がある。
どちらも不遇。
グリフィス家の長男であるシルクは、その色素体のために家督を継ぐことはなかった。
劣性と不吉さを強く感じさせるためでもあり、
同じ血を分けた兄弟には色素に恵まれた者がいたためだ。
シルクのしていることといえば "Sanatorium" の管理で、
管理とは名ばかりの檻の中の生活でしかない。
好き勝手が許される分、シルクの境遇はそう悪くないが、あの態度がフランネルを苛立たせる。
そして手を出した。手を出して、犯した。静かに涙を流す姿は一層そそる。
色なんて関係なかった。苛立ちと同じ理由で、シルクはぞっとするくらい欲情を誘うのだ。
むしろ色の抜けた髪を乱してサファイヤの青さで見つめられると、どうしようもなく煽られる。
思い返して自嘲した。色彩にこだわる意味では奴らと同類だ。
いっそ、夜を崇拝する入植者達がまともに思えた。
夜の中では色彩は失われ、あるのは闇ばかり。
彼らが狂った情熱を燃やすのは生死に対してであり、色ではない。
それは人間として当前の欲望だ。
"ROYAL BLUE"
商品札を読み上げるM.C. の声が再び耳に届く。
ステージに目を向ければ、青いリボンで目隠しされた少年の番になっていた。
M.C. の口上は巧みにも華々しく飾られるが、すべてが真実とは限らない。
贋作、作り物である場合もあり、競り落とす側には商品を見定める目が必要だ。
しかし、本物であろうが偽物だろうが、この少年は今夜の目玉に違いない。
リボンが解かれると、ひときわ大きな波となった驚嘆が会場を包んだ。
今夜一番の値が付くだろう。
吸い込まれるような清廉な青さ。高貴な青色が鮮やかに映える。
そう感じたのは一瞬で、たちまち眠りの中にいる者のように目を伏せた。
今度は繊細さを感じさせる。客人を虜にするには十分な代物だった。
「これはたまらないな」
今夜保護する少年とは彼のことであったが、フランネルは冷めた目で成り行きを見つめていた。
競り値はフォーマルハウトのクラウン価格から始まり、瞬く間に値が吊り上がる。
ある値を超えたところで残っているのは二人となった。
それが実に奇妙な組み合わせだった。
F公爵の孫娘・ラシャ、その夫となる婚約者・ツィード。
「おかしい……どうして」
まるで代弁するかのように、隣の女性が青ざめた顔で言葉をこぼした。
「妙ですね。第二幕の主催者がツィードとはいえ、二人で争って意味があると思えない」
女性ははっとして手で口を覆った。
まさか答えがあると思ってもみなかったのか、怯えたように一度こちらを見て視線を外した。
どうやら返事は期待できないようだった。
彼女は俺のことを覚えていないだろうが、俺は彼女を知っていた。
あれから悪い夢に悩まされなくなっただろうか。
コーデュロイ。
彼女の名前を舌の上で転がしながら記憶を手繰る。
彼女は "Sanatorium" へ訪れた貴族の娘で、F公爵家の紹介状を持っていた。
グリフィス家とF公爵家は懇意の関係にあり、そのご息女・ラシャの紹介を受けたコーデュロイは、
シルクによって丁重にもてなされた。
そもそも "Sanatorium" というのは通称で、グリフィス家の別荘であったが、
シルクの悪夢が除かれたことに始まり、訪れる客の悪夢が解消されるとして噂になった。
そして、いつからかどこぞの貴族達が別荘を訪れるようになっていった。
そこで付いた名が "Sanatorium" だった。
コーデュロイは一日のほとんどを地下のライブラリーで過ごし、
書物を捲る以外に物思いに耽る姿を見掛けることがあった。
紡ぐ言葉は少なく、真っ直ぐに見つめる瞳は真実を見透かす小鳥のようだった。
F公爵家の特別な客であろうと俺には興味もなかったが、手帳を拾ってから彼女に関心を持った。
それには眠りについての思索が書き込まれており、夜の使者を思わせる記述があったのだ。
記憶を手繰り寄せる間に、拍手の波でラシャが "ROYAL BLUE" を落札したことを知った。
「おやまあ、あんなお嬢さんが夫を出し抜くとは結構なことだ」
コーデュロイに聞こえようが聞こえまいがどちらでもよかったし、
落札者が誰であれ、やはりどうでもよいことだった。
次の瞬間、ステージライトが落とされた。
その事が何より重要だった。
辺りは真っ暗になり、見る側であったこちらが漆黒のリボンで目隠しをされた気分になった。
ベルベットとオークの仕業に違いなかったが、会場が嫌に静かだった。
悲鳴の一つもあってもいいはずなのに、水を打ったかのように静まり返っていた。
凍てついた、と言った方が相応しいほどに。時間が凍りついたかのような錯覚を覚える。
短い間を置いてステージライトが復旧し、目映い光に思わず目を細めた。
再びライトが照らし出したステージには椅子に座らされたままの少年と、
その背後に奇術師が立っていた。
目を伏せたまま胸に手を当て、芝居がかった口調で言葉を繰り出す。
「紳士淑女の皆様、ここでおひとつ奇術師・キャメルが余興をお見せ致しましょう」
見開かれた奇術師の眼は、一眼は血の紅の滴を、一眼は銀世界の結晶を抱いていた。
大きなリボンのシルクハットを被り、片手にステッキを持っていた。
「これほどの青い眼の持ち主にお目通りする機会に恵まれることは稀でございます。
マスターになられたご淑女と、会場の皆様をお喜びさせるため、
いくばくかお時間を頂きたく存じます」
ステッキを一振りすると観客席へスポットライトが向けられ、
マスターの座を勝ち取ったラシャの姿が浮かび上がった。
了承の拍手が送られると、奇術師は左目をウインクしてみせた。
ゆっくりした動作で間を空けた後、指を弾けば、
もう片方の手にあったステッキは真っ赤な刃を持つナイフに変わった。
「こちらのガーネットのナイフは、硝子体に火を宿しております。
その火によって血赤色に輝いてみせるのです。
さて、このナイフで "ROYAL BLUE" の眼球をくり貫いて差し上げましょう」
少年の顎を手で引き寄せ、色を確かめて過剰に驚いてみせる。
「いやはや、この眼球ほどローヤルブルーに相応しいものはありません。
高貴な美しい青、清冽な深い青、世界を魅了してやまない青。
眼球をくり貫く際に少年を傷つけることは一切致しません。
硝子体に隠された火によって少しばかり焼かれるように感じるやもしれませんが、
それはまやかしの痛みにございますので、少年が暴れることがあっても、
お騒ぎになりませんようご了承くださいませ。
では、この少年の美しい眼球をこのジュエリーボックスに入れて
一層美しく飾って差し上げましょう」
どこから出したのか、星化粧を纏ったジュエリーボックスを空いた手に持っていた。
ハダル・ハレーのものと思われるジュエリーボックスはスポットライトを受けて青白く輝いている。
「ご了承いただけますでしょうか、可憐なマスター?」
「宜しいですわ。貴方の奇術を楽しませていただきましょう」
「畏まりました」
恭しく礼をし、笑顔を浮かべる奇術師はナイフの柄を握り直す。
そして、実に軽快にナイフの先が少年の瞳へ向かった。
事の成り行きに恐怖した少年は叫び声を上げた。
「それはぼくのものだ」
ナイフが払われたかと思うと、血赤色の刃は柘榴の実となって弾け散った。
「これはずいぶん荒っぽい。作法の教育が足りなかったようだ」
柄だけ残ったナイフは、手から滑り落ちステージの床の上を跳ねた。
視線の先では、金色の長い髪とホワイトローズのドレスが激しい身振りに反してふわりと揺れる。
奇術師のナイフを払ったのはあの金色の女性だった。
眠ったような目差しは微塵もなく、怒りに満ちた光が射抜くように放たれる。
その目差しは先刻の少女のものと同質だった。
手首に巻かれたリストレットの下から、鎖ではなく銀のワイヤが幾筋も伸びている。
ドールはマリオネットに姿を変え、操り師の存在を欠いたまま生気を持った。
「その姿は実に不愉快だ」
奇術師は怯むことなく言い放った。
ワイヤは奇術師の片腕に食い込み、鮮やかな赤に染まっていた。
「うるさい、何をしに来た。マスターは渡すものか」
「お前のマスターに用はない。罠に掛かった兎の首を取りに来た」
「ぼくがお前になんかに捕まると思っているのか」
「逃げても無駄だ。夜想の調べを止めることはできない。この夢はもう壊れる運命にある」
金色の女性は何かを叫んだが、その叫びは言葉にならず目だけが大きく見開かれた。
彼女の口を塞ぐのは長く伸びた黒い影だった。
影は彼女の身体に絡みつき、瞬く間に彼女もろとも深い影に沈んだ。
「さあ、これからは我々のNight Partyにお付き合い願おう。
当然、ノーという答えは許されない。しかしパーティだ、楽しんでゆくといい」
外の世界で出会っていた人物、俺にとってのコーデュロイという鍵に接触した以上、
舞台から降ろされるのは時間の問題だった。
奇術師の声は次第に遠のき、夜色の幕が幾重にも降ろされてゆく。
そして意識が途絶えた。
目を覚ますと、灰鯨の骨晶液の微かな匂いが鼻腔をくすぐった。
巨大な鯨が悠々と泳ぐ海が脳裏に浮かんで消えた。
シーツは汗でぐっしょりと濡れ、悪い夢を見ていたことを物語っていた。
生々しい感覚を確かめながら身を起こし、時計を見遣る。
針は、すでに真夜中の領域に踏み込んでいることを報せていた。
四人の "Pierrot" の内、一人を除いて駒たちは目覚めた。
薄暗い実験室を兼ねた地下室で、汚れた下町のねぐらで、雪深い山村の小屋で。
目覚めてしまえば、パーティの招待状は無効になってしまう。
真夜中の訪れとともに狂気のパーティが始まる。
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