古城-3 Pierrots on the board / Oak


夜 想 の 調 べ は   世 界 の 崩 壊 を 報 せ る 曲 を 紡 ぎ 出 す ん だ ぜ



男は一度だけ、"ROYAL BLUE" と口にした。
そしてライターに火を点けた。もう幾度目かの点火だ。
アイスブルーに透き通った床面に姿を映し、コツコツコツコツと靴の踵で床を叩く音が響いていた。
空気を奮わせる。まるで苛立ちが伝染したかのようにピリピリしている。
さっきから妙な色の煙が立ち上っているのは、奴がくわえたシガレットのせいだった。
冷ややかな青い目は相対する男を見据えている。
二人の男は何事か話し込んでいるが、ここからではよく聞き取れない。
爆弾魔、地下牢、逮捕劇、新聞記事、模倣……
それでもいくつかの単語から大方の内容は窺い知れる。
また別の男が目の前を通り過ぎた。
はねた金髪に翠緑色の眼。体格はいいが目つきの悪い男だった。
まあ、目つきの悪さは俺といい勝負か。
身なりのいい金持ち連中の一人にしては粗野に思えたが、こいつも奴等のお仲間だ。
不意に男が立ち止まったかと思うと、こちらに視線を向けてわずかに睨んだ。おっと。
凶暴な鳥類を連想させる鋭い目つきだぜ。
しかし、視線の先に人の姿がないことに気づき、疑問符を浮かべて再び歩き出した。
その頃には床を叩く神経質な音は止んでいた。
高い天井に広い廊下の隅は闇の一部と化しており、
人ひとり潜んでいたとしてもそう気づくもんじゃない。
見覚えのある奴だったからこちらに気づかねーで都合がよかったぜ。
先の二人と合流して、奴等はホールへ向かった。
オークは黒いタイを緩め、使用人の格好でだらしなく壁に背を預けた。
くわえた " Night Series No,11-NOCTURNE夜シリーズ「十一番 夜想」" を噛み潰す。
火を点けると、匂いのないシガレットはただシンフォニーブルーの煙を立ち昇らせた。
そこでレノーからの信号を受けた。
俺はレノーの位置を辿りつつ信号を送ったが、居場所を特定できないことを怪訝に思った。
ふと床に視線を遣ると青眼の男が吸っていたシガレットが落ちていた。
ラベルには "Night Series No,0-PARTY夜シリーズ「零番 夜宴」" の文字が刻まれていた。
製造されているNight Seriesの中で、幻の存在といわれる零番。
ふざけたシガレットを吸ってやがる。気に入らねえな。

衣擦れ、悶え苦しむ声、『女』の笑う気配。
俺はドアの向こうの光景をうっかり想像してうんざりした気分になった。
「ねえ、入って来たらどうなの?」
ベルベットの呼び掛けに、部屋とを隔てる扉から身を離して真鍮のノブに手を掛けた。
鍵が掛かっていたから蹴破った。
部屋に一歩踏み入れると、シガレットの煙が皮膚を刺激した。長居は御免だ。
小部屋の中を見渡せば、重たそうで高そうな皮張りの椅子が倒れており、
その横の寝台には乱れた跡。
そして寝台を乱した張本人が目の前にいた。
寝台には黒髪の美丈夫が意識を失って縛り上げられていた。
先刻、あのふざけたシガレット野郎と向かい合っていた男だった。
今はシーツで縛られ、随分と気持ちよさそうに寝ていやがる。
"Night Series No,7-SPRING" の煙に当てられるなんて馬鹿な野郎だ。しげしげと面を拝む。
苦悶の表情に、気の毒に感じなくもなかったが。
もう一人は……最悪の『女』だ。
「壮絶」
半眼にして相手を見据える。
「こんな男、縛り上げるなんてわけないわ」
「ちげーよ。お前の身体だよ。見たくもねーもん見せやがっていい迷惑だ」
ドレスを身に着けていない今、ベルベットの身体は露わで、
両性を有するそれは想像より妙な艶かしさがあった。
うえー、と声を上げる。
「あら、こういう身体を選り好む男もいるのよ。滅多に拝めないんだから、得したでしょう?」
「悪趣味な身体見て得なもんか。んなもん好む奴の気が知れねーわ。
ヘルマフロディトスの出来損ないが」
罵倒の言葉にベルベットは片眉を上げて批判したが俺は無視して顔を背けた。
ヘルマフロディトスは両性を持った異国の神だ。男の精を奪うという。
造りモンの両性具有者であるコイツにはお似合いの神サマだ。
背後でキスの音が落ちた。
ぞっとしたが、それを合図に俺たちは小部屋を後にすることになった。
駆けながらもこいつと肩を並べるのは不服だった。
口から出るのはベルベットを罵る言葉ばかりだ。
「野郎と遊んでんじゃねーよ。待たせやがって」
「あれくらいで待たせたなんて言わないで頂戴。我慢の足りない馬鹿ね。
あら、そういえば馬鹿を真似た馬鹿な爆弾魔は捕まったんですって?とんだ茶番劇ね!」
「うるせぇな。俺は馬鹿じゃねーよ!アイツは馬鹿だがな!」
「やだやだ、馬鹿は自分を馬鹿って認めないからね。世の中馬鹿ばっかりね、嫌んなっちゃうわ」
「黙れ」
ベルベットは余裕の笑みを浮かべてとりあえずは黙った。それはそれで気に入らない。
ともかくも俺達はレノーの後を追うことにした。
走りながら俺は例の爆弾魔のことを思い出していた。
先刻の男達が話していたのは数日前捕まった爆弾魔のことに違いなかった。
新聞記事にはイカれた知的階級の青年が載っていた。
あの野郎が、俺が大昔に起こした爆破事件を真似て町の主要施設に爆弾を仕掛けやがった。
お粗末な計画は瞬く間に "Back Yard Watcher裏庭の監視人" に伝わり、
爆破の一つもなしに馬鹿馬鹿しい事件として幕を閉じた。
「……馬鹿馬鹿しさで比べりゃ俺の爆破事件といい勝負かっ」
「何か言った?」
「うるせぇな!何でもねーよ」
「あら、そう」
小馬鹿にした視線を寄こすベルベットに心の中で毒づく。
コイツと出会う前、つまりはマスターに雇われる前まで俺は下町で破壊工作を請け負っていた。
金をもらって破壊する。こんな楽しいことはねえ。
だが、中には気に入らねえ依頼もあるもんだ。
あの依頼は初めから胡散臭かった。その依頼主が先刻のアレだ。
目つきの悪い男、名前は確かピーコック。派手な孔雀の飾り羽を胸に挿した男だった。
依頼内容は、ある人物に『贈り物』とやらを届けることだった。
受取主は "Sanatorium" に逗留、
青いビロードのリボンを掛けた白薔薇一輪に手紙を添えて渡すこと。
『贈り物』は見事なまでに炸裂し、
不眠症の金持ちどもが集まる "Sanatorium" は再開不能となった。
しかしだ、爆破の最も近くにいた受取主は死んでいなかった。
俺がそれを知ったのは孔雀と仲良く談笑する受取主に招かれたときだった。
ふざけた依頼の腹いせに俺は依頼主のもとへ爆弾を贈り、
結果として "Back Yard Watcher" に捕まった。
地下牢へぶち込まれた俺は、人づてに奴等がまだ生きていることを知った。
笑える話じゃねえか。
俺達はレノーの下ったであろう階段を駆け下りた。

行き着いた先には地下講堂めいた空間が広がっていた。
暗がりの中で持ち合わせのカンテラを高く掲げる。
蓄光石の金色の光が辺りを照らす。
奥に向かって柱が連なり、チェッカー模様の床は埃が厚く積もっている。
こもった空間の匂いが満ちている。
進んでゆくと巨大な姿見に突き当たった。
「噂に聞く『鏡の城』の姿見とはこのことかしら。けれども割れた鏡なんてナンセンスね。
これじゃあ鏡の魔族を拝むこともできないわ」
「鏡の魔族かよ、んなもん信じてんのか」
「あら、面白いじゃない。あんたを鏡の中に引きづり込んで、入れ替わってくれたら助かるのに。
あんたよりお利口さんに違いないわ」
「はっ!ふざけんなよ!てめぇが入れ替われ」
まるで意に介さないベルベットに、吐き出すように文句を言う。
姿見の足元にはタイピンが落ちており、青光りしたその側に1枚のカード。
カード上では、トランペットを吹くジョーカーがおぞましくも愉快に笑っていた。
「何だ、こりゃ?不っ気味なカードだな」
落ちていたのを拾い上げる。タイピンにはレノーの名が刻んであった。これはレノーのもんか。
「嘘でしょ、知らないの?コル・レオニスの一作よ」
「知らねーよ」
「あんたの吸ってるNight Seriesの製造者が創作した『不っ気味な』カードよ」
ベルベットは嫌味っぽく俺の言葉を引用して説明を続けるが、知らねえもんは知らねえ。
「あっそ」
「まるで無知ね」
砕けた鏡の欠片を踏み潰しながら、ベルベットに毒づくつもりで後ろを振り返った。
「ずいぶん仲がいいんだね」
男の声と同時に冷えたものが首筋に触れた。
「イリュジオン地下礼拝堂へようこそ。君たちのどちらが僕と成り代わってくれるのかな?」
耳元で囁く声にぞわりとした。
氷の刃に触れたような冷たい手が首筋を掴んでおり、身動きが取れない。
手元から滑り落ちたカンテラが、音を立てて床に倒れた。
遠くでガシャンと音がした。
「こんなところへ人間が訪れるなんて幾世紀ぶりになるだろうか。
礼拝に訪れる者が絶えて久しく、公爵も僕と遊んでくれない。
こんなにも遊び相手に飢(かつ)えているのに。
ねえ、君達は退屈で可哀想な僕にその体を差し出してくれるよね?」

――――ねえ?

俺は、反射的にナイフを振るっていた。
けれども、声の主は微笑みを浮かべながら、いとも簡単に身をひるがえした。
「ここがいつから在るのか知ってる?地下礼拝堂の存在を知る人間なんてごくわずか。
君達は入植の歴史を知ってるのかな?この町はある思想家達によって隠された村だった」
何度刃を向けても、入植の歴史とやらを喋り続けている。
「夜を崇拝する彼等は礼拝堂を地下に築いた。
地下は光を遮り、いつでも闇を生み出せるからね。
彼らは、夜をして夢、死、運命、眠りを誘(いざな)い――――」
頭の芯が痺れ、周囲の音は遠のいてゆく。
なぜだか手元が狂い、相手の動きを捉え切れない。苛立たしさが押さられない。
壁際まで追い込んだがやけに呼吸が苦しかった。
追い込んでいるのはこっちなのに追い込まれたような気分だ。
何だ、こいつは。
「この馬鹿が可哀想だから、お芝居もほどほどにしてやりなさいよ」
ベルベットの声が聞こえたのは、ナイフを握ってから数分後のことだったと思う。
「得体が知れないのは苦手なのよ。妙な暗示も掛けてるようだし。
それに、灰鯨の骨晶液を使ったわね。蒸発して匂い立っているわ」
微笑みは絶やさないままであったが、ベルベットの言葉にその微笑は冷たい色を帯びた。
「ご名答。もうお終いとはつまらないけれど、まあよしとしよう」
「あんた、フランネルでしょう。灰鯨の骨晶液は眠気覚ましの薬よ。
そんなものを匂わせていたら存在を教えているようなものよ。
知らないの?それとも私を試しているのかしら?」
「よくご存知で。微香だからといって不注意だったかな。君は鼻がいいんだね。
お会いできて光栄だよ、『薬漬けの魔女』。それに『下町の爆弾魔』」
「光栄だなんて嘘おっしゃい、『光影の狩人』。
―――いいえ、『男喰らいのネル』野郎だったかしら」
すでに周囲の音が戻ってきていたが刺々しい会話の間で呆然とした。
「……ネル?フランネル?」
「そう、フランネル。ネルよりもフラノの方がいいねえ。
魔女は好みじゃないね。君もマスターに雇われて "Pierrotピエロ" をしているのだろう?
次の仕事は俺と組まない?退屈なのは本当だよ。フリーは飽き飽きしてね」
カンテラをかざせば優男風情の男だった。口を閉ざすことを知らないのか、ベラベラとこの男は。
「こんな汚ったらしい爆弾馬鹿でもいいの?」
「たまにはこういう荒々しいのも悪くないね」
きっぱりとしたその言葉に再びぞっとした。
「まあ、呆れたものね。
オークも私と組むのは嫌って喚いていらっしゃることだし、ちょうどいいじゃない」
さも可笑しそうに呆れてみせるベルベットに苛つく。
「冗談はさておき、これから行われることを伝えておこう。
"ROYAL BLUE" が競りに掛けられる。
君らが探している少年は "ROYAL BLUE" という名の商品でショーの舞台に立つようだ。
さあ、競り落すのは一体どんな輩かな?
君達の目的は、レノーの居場所を突き止めることじゃない。レノーは少年を見失ったようだからね」

「さて、これで満足かな」
ベルベットとオークが立ち去った後、フランネルは呟いた。
少しの間を置いて背後から乾いた拍手が聞こえた。
かと思うと、床に崩れたままのカンテラの灯りが白山羊の手袋を照らし出した。
「上出来ですよ。『光影の狩人』はお仲間をも騙す。
鏡の魔族の真似事とは、あなたも随分乗り気のようですね」
カンテラの灯りの前に姿を現したのは、大きめのリボンのついたシルクハットの男だった。
「シルクの頼みでなければ、こんなことに付き合ってやるものか。
ディーラーは骨が折れるがあの二人はただの "Pierrot" だ。
駒は真実も知らず踊るだけさ、俺も例外なくな」
と嫌味っぽく続ける。
「はは、まさにくだらない。レノーの芝居に付き合せてすまないと思っていますよ。
さてさて、フランネル。君といえども長居は無用です、わかっているでしょう?
灰鯨の骨晶液はよく利きますからね。あなたに残された時間も少ないようですし。
あの二人はすでに舞台を下りる手筈が整っている。
君も早くショーの舞台から下りる鍵を見つけることだ」
「では遠慮なく、その鍵とやらを探すとしよう。後始末はお前に任せたよ」
シルクハット頭を縦に振ると、その内で紅い右眼が火球のように反射した。
「引きずり出すのはレノーだけでいい。ふざけたショーには幕引きを」
フランネルの耳にその言葉は届かなかった。
男は夜想の調べを口ずさみながら、闇に吸い込まれて消えた。

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