古城-2 Pierrots on the board / Velvet


毒 の あ る 蜜 を   あ な た は 飲 み 干 し た の で し ょ う


F公爵に関わるのはこれで二度目になる。
胸元が広く、肩を出した黒いドレスに身を包み、
ベルベットは手に持った硝子ケースに視線を落とした。
硝子ケースの中にはクリーム色の薔薇が並べられていた。
首から上を切り離し凍結した薔薇は花開いた状態を永遠に保つ。
下に敷かれた白綿のクッションは清らかな寝台、
若々しい姿のまま寝かされた薔薇達はさしずめ眠り姫。
競売のステージ脇では、今夜競りに掛けられるF公爵のコレクションの準備がなされていた。
ヴィオラ色のコイン、幻師の蝶、コル・レオニスのシガレット標本……そして青藍硝子の化粧瓶。
最後に目を向けた化粧瓶の硝子ケースに自分の顔が映し出されている。
黒いドレスに青薔薇のチョーカーを身に着けた私は魅惑のドール。
ドレス自体は地味で不満この上ないが、私自身がこのドレスを魅力的に見せている。
紅い唇の端を上げて笑みを浮かべる。
先刻、使用人を一人捕まえて舞台裏の事情を聴きだした。男を誘惑するのは訳ないわ。
少々催眠をかけたため、副作用で男は今も眠りの中にある。
しかしその内目覚めるだろう。私の仕事がすべて済んだ後ではあるでしょうけれど。
そうして私は夜会に潜り込んだ。
F公爵は実に興味深い人物だ。彼との取引を思い起こす。
先程の青藍硝子の化粧瓶は私が公爵に売り払ったものだ。
異国の珍しい硝子を使った化粧瓶だったから高額を吹っ掛けてやったが、
公爵の興味が化粧瓶よりその中身にあることを知ってそれなりの値で取引することとなった。
化粧瓶には毒蜜と称されるヴィオラ色の薬品で満たされていた。
私にとってそれは特別こだわるものではなく、あの謎めいた公爵の興味を引くものを
多少なりとも知ることができるのならこの取引は随分面白いものになると思ったのだ。
商談の際、彼はある者達の痕跡を蒐集していると言った。
ある者達とは一体何者なのか、その目的とは?
探りを入れたが巧くはぐらかされてしまった。
ただ、『彼ら』が作り出したものが紛れている可能性があるから、と含みのある言で返された。
公爵とはそれ以来接触していなかった。
だから私は公爵の目的を知らないままでいる。この取引もすっかり忘れていたのだけれど。
ついでに思い出したことがある。
「君はアンドロギュノスの素質があるね。両性具有(アンドロギュノス)は完璧だ。
人間の完成形と言える。何より君は美しい。
両性を持った暁には、ぜひ君を私のギャラリーに招待したい」
公爵はギャラリーを他人に見せることをよしとしない。
つまり、自分のコレクションの1つになれと暗に示したのだ。
当人を前にふざけた人物だ。けれど私はそんな公爵が気に入った。
彼ならものの価値もわからない男どもと違い、存分に私を愛でるだろう。
しかしすべては化粧瓶の中身に関する情報を引き出すための遣り取りだったのだ。
化粧瓶はすでに空で、毒蜜の行方は知れない。

競売の開始を告げる鐘が鳴った。
ホールでおしゃべりをしていた招待客が、会場へと吸い込まれてくる。
連中がめいめい席に着く頃合を見計らって照明が落とされる。
私は会場の端で使用人として控えていた。
他にも黒い衣服に青薔薇のチョーカーをつけた使用人が控えているのが見受けられる。
客達は小波のようにざわめいていたが、
M.C.master of ceremonies 司会者 の挨拶とともに会場は競売の空気へと染まっていった。
先程目にしたコレクションたちが静かに落札されてゆく。
それらを目に映しながら、客達の中に少年の姿を探った。
みな上流階級に属する連中だ。
名は高く財を誇る、特権を持つ者達。あるいは彼らに囲われた学者や楽士、画家ら。
少々荒っぽい連中も交じってるようだが、彼らはものの数に入らない。
その中の一組の男女を捉えた。
男性は金髪にローヤルブルーの瞳。一等級の容姿に目を奪われる者は多いだろう。
若造に思えたが、その目差しから厳格さが窺える。
それなりの家柄だろう、上等な身なりや洗練された所作から推測する。
それから隣の女性に目を向ける。
長い髪を結い上げ、可憐さを備える反面、強い意志を秘めた目をしている。その色はシェルピンク。
清廉潔白さを持つ、後ろ暗いところなど一つもないようなお嬢様だ。
おそらく私の苦手とする手合いだ。
美しい黒レースの夜会服。手首に青薔薇の付いたリボンを結んでいる。
ステージから降るライトを反射して彼女の手の辺りで光が弾かれた。
白く細い指には指輪がはめられていた。ダイヤモンドの婚約指輪だ。
彼女がF公爵の孫娘だ。そして今夜会の主催者でもある。
どこをどう間違ったらあの公爵の血筋にこんな子が生まれるのか不思議でならない。
再び男性に視線を戻すと、特別理由はないが妙に引っ掛かるものを感じた。
そもそも男の家柄が不明だ。だいたいそれがおかしい。
過去に闇取引をした相手や付き合いのある連中ではない。考えても思い浮かぶものはなかった。
その時、通信機にランプが点った。
レノーガ少年ヲ発見、合流スル。
オークからの信号だった。
他には見えない位置で操作し、応答を待つが反応がない。
ひとまず会場からの退出を決めた時、目の端が捉えた人物に戦慄した。
表面上は平静を装ったが、自分に内心の狼狽は隠せなかった。
先刻の男性に耳打ちする男がいたのだ。見間違えようもない、知っている男だった。
血に染まった紅い包帯が脳裏に浮かぶ。
えぐれた眼孔、アメシストの義眼、片眼を隠すようにかかる黒髪、冷たい唇、胸の傷跡。
生々しい感覚とともに忘れていた記憶が蘇る。
次から次へと披露されるコレクションがステージライトに照らし出される。
そのライトの届かない暗がりを移動し、幕の隙間から私は会場を抜け出した。

下調べしておいた小部屋へ滑り込む。
小部屋と言っても古城の一室だ。下手な屋敷より広々で上等な調度品がそろっている。
オークからの信号を受信すると、こちらへ向かっていることが知れた。
暖炉の前の革張りの椅子に座り、隠し持っていた "Night Series No,7-SPRING夜シリーズ「七番 春夜」" を1本取り出した。
オークと合流する前に一服しようと火を点けると、カーニバルピンクの煙が渦巻いて霧散した。
カーニバルピンクはいやらしものを連想する。色欲を誘い、気を昂らせる。
煙に息を吹きかければ、蝶の姿をとって飛んで消えた。
「品行不良の使用人だ」
聞き忘れていた声が不意を突いて発せられたとしても、驚くに値しない。
ゆっくりと声の主の方へ、笑みを浮かべた顔を向ける。
内心穏やかでなかったが相手に悟らせる真似などしたくなかった。
「お久しぶりね、タフタ」
振り返るとアメシストの双眸がこちらを見据えていた。殺意を含んだ視線に心臓が高鳴る。
タフタはドアの前に立って、後ろ手にドアの錠を下ろした。
「挨拶など必要ないだろう。何を嗅ぎ回っている」
「ふふ、嗅ぎ回るだなんて不躾ね。私の動向に興味がおあり?」
椅子から立ち上がり、視線は外さないまま逃げ道を探る。
「興味などないが理由を聞く必要がある。
怪しい奴は排除。わが主人(マスター)の邪魔となる因子は消えてもらおう」
タフタは距離を見定めながらも隙なく間を詰める。
逃げる間もなく壁まで迫られ、動きを封じられた。
「マスターねえ。あれがあなたの新しいマスター?
随分可愛らしいじゃない。ペットにして苛めてあげたいわ」
目の前の相手は答えない。鼻先ほどに接近した距離で再び口を開く。
「それよりあの傷は治ったのかしら?思い返すほどにぞくぞくするわ。
今はどんな風になっているの。随分綺麗な模様になっているのでしょうね」
高揚して口を開くと、タフタは嫌悪感も露わに舌打ちをした。
手を上げる思った瞬間、素早く懐から抜き出したダイヤモンドピックで胸を狙った。
タフタは身をかわしてそれを避けた。その隙を突いて脇をすり抜ける。
けれど数歩も行かない内に、加減なしに片腕をつかまれ後ろに引かれた。
腕を支点に勢いをつけて振り返り、再び急所を狙って鋭い針を振るう。
「左眼も潰してあげましょうか!」
ざっ、と頬の皮膚が破られ血が溢れる。
タフタはわずかな怯みもなく、ピックを持つ私の腕を捕らえた。
ピックを払い落とし両腕を捩じ上げたかと思えば、横向けに寝台に押し倒された。
「……っ!」
腹部を蹴り上げるが、やはり相手は呻きもしない。身体を押さえつけてくる。
タフタの唇が首に押し当てられ肌を吸う。
そして肩から腕へと、指先まで唇と舌で撫でるように触れてゆく。
最初からわかっていたことだが、タフタの身体能力は私より圧倒的に上なのだ。敵う訳がない。
相手を知るだけにこの場を逃れる気などとうに失せていた。
熱っぽい吐息を漏らすと、タフタは憎々しいとばかりに顔を歪め、口汚い言葉で罵った。
その口を塞ぎながら、左頬に手を添える。
「深くやられたものね。血が止まらないわ」
「自分でやっておいてよく言う」
「左眼を潰したかったのに残念だわ。けれど素敵な傷」
えぐるように刺したのだ、横に伸びた傷口からは頬を血が伝い落ちている。
「お前のその性癖にはうんざりだ」
「知ってるわ。私だってあなたにはうんざりよ。どうして私のものにならないの」
そう言って、私は紅く濡れた傷口を指でなぞった。
その指で右眼にかかる髪をのける。
「まだアメシストの義眼をしているのね。あなた、馬鹿だわ」
タフタの頬から伝った紅い血が、私の頬に数滴の斑を落とした。

彼を目に留めたのは、取引相手の中でもひときわ美しい眼を持っていたからだ。
正確には彼は私の取引相手の護衛をしていたのだけれど、その眼のせいで印象に残っていた。
透き通った瞳は美しいアメシスト色で、例のヴィオラ色の薬品にとてもよく似ていた。
あの時、路地裏で彼と擦れ違った。
路地裏で彼と知りながら擦れ違い、私は彼の眼のことを考えていた。
そして角を折れた瞬間、背後で爆音が響き渡った。
振り返った私が目にしたのは、半壊した煉瓦造りの建物と血塗れで倒れている通行人の姿だった。
爆音の原因は当時ここらを騒がせていた爆弾魔の仕業だった。
後にその事情を知るが、その時は爆発に巻き込まれた彼を運び出すことにただ夢中だった。
遺体と思って運んだのだ。
あの身体から眼球を取り出し、透明な保存液に漬けたらさぞ綺麗だろう。
所有物(もの)にするために、心を躍らせながら根城としていた地下室に連れ込んだ。
しかし期待外れだった。
片眼は潰れ肉体の損傷は酷い有様だったが、彼は生きていたのだ。
もちろん虫の息だった。その息で彼は紙片を取り出してここへ連れて行ってくれと言った。
そこは見知った医者のところだった。メルトン、あの腰抜けのもとへ連れて行けと?
このアメシストの瞳が私を差し置いて他の医者を、よりによってあれを頼るなんて許せなかった。
私は正規の医師ではない。けれどもそこらのヤブより医術に長けているという自負があった。
だから私は自ら執刀し彼の身体を修復し、えぐれた眼孔に代わりの義眼を埋め込んだのだ。
彼の身体が回復するまで私は彼を幾度か抱いた。
その後一月ほど、恋人といえる甘美な生活が続いた。

この手で移植されたアメシスト色の義眼に見下されていた。
その目の奥に怯えがあるのを私は知っている。
そう、あれは本当に甘美な日々だった。
恋人の傷を修復し、完全に治癒する前に再び傷をえぐり、気まぐれに犯した。
狂気と蔑む目で私を見つめながらも、彼はこの行為に一種の歓びを確かに感じていた。
タフタはそれと知りながら、毒のある蜜を飲んだのだ。
まさに毒蜜、例の化粧瓶の中身を彼に存分に与えた。
それを与えた後は、ただ悶え苦しむだけ。
目の前で悶絶する恋人の姿は今思い出しても陶酔感を覚える。
けれども、そんな生活にも終止符が打たれた。彼は私の元から姿を消した。
前触れに気づいたけれど留める気など起きなかった。拘束していたわけではないのだから。
「ねえ、遊戯の時間くらい許されるでしょう?少し付き合いなさいよ」
返事はなかったが同意を汲み取った。
タフタは手際よく身に着けていたものを脱がしてゆく。
太腿に取りつけてあったベルトを外しながら、内股に冷たい唇が触れる。
再び顔を近くに寄せた時、タフタの顔が強張った。
アメシストの目に危機の色が浮かんでいる。
私はにたりと笑った。ゆるやかな動作で首に腕を巻きつけ唇を引き寄せた。
呼吸を奪う深い深い口づけをする。
ついでに、歯の間に仕込んでいた毒を口に流し込んだ。
毒といっても、これは少々の眠り薬にしかならないだろう。
"Night Series No,7-SPRING" に仕込んだ痺れ薬がようやく効き始めたのだ。
室内に充満した煙は肌を通して相手の自由を奪う。さらにシーツで身体をきつく縛り上げた。
「ねえ、入って来たらどうなの?」
ドアの向こうへ呼び掛けると、数秒の後、激しい音を立ててドアが開いた。
開いたというより破壊された。
「呆れた。随分なご登場ね」
姿を現したのはオークだった。部屋に入るなり、壮絶、と口にする。
壮絶な音を立てた馬鹿が口にする。
最初の言葉に返事がなかったので、ドアのことは受け流すことにした。いつものことだ。
「こんな男、縛り上げるなんて訳ないわ」
「ちげーよ。お前の身体だよ。見たくもねーもん見せやがっていい迷惑だ」
うえー、と言って嫌悪も露わに目を細める。
ドレスや下着はベッドの上に脱いだままだった。
身に着けているものといえば、せいぜいチョーカーとハイヒールくらい。
つまり、性の混在した肉体をさらしていると言える。
「あら、こういう身体を選り好む男もいるのよ。滅多に拝めないんだから、得したでしょう?」
「悪趣味な身体見て得なもんか。んなもん好む奴の気が知れねーわ」
オークは続けて下品な言葉を吐いた。
タフタはというと、ベッドの上で安らかに眠っているかようにみえた。
もちろん、縛り上げられた状態であったが。
最後に彼の右眼にキスをして、部屋を後にした。

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