古城-1 Pierrots on the board / Renault


夢 を み せ て あ げ る   君 の 望 ん だ 世 界 の 夢 を


時計塔の鐘が3時を報せた時、男が現れた。
黒いスーツに身を包んだ男は無言で室内にいる者達を見渡したようだった。
レノーは窓の張り出し部に腰掛けたまま話し始めた男の声に耳を傾けた。
手持ち無沙汰であったためポケットの中のキャンディをもてあそぶ。
キャンディは琥珀色で青いビロードのリボンが結んであった。
「今回の任務はこの少年を保護することだ。
名前はエドガー・グリフィス。名門グリフィス家の子息だ。
彼個人の詳しい内容についてはレポートのとおり。
今夜、湖面に臨むF公爵家の古城、通称『鏡の城』で盛大な夜会が執り行われる」
渡されたレポートには写真が添えられており、それには幼さの残る12、3歳の少年が写っていた。
写真だけ取り外して、キャンディと一緒にポケットに入れる。
「夜会といっても会の趣向は競売だ。君達にはその夜会に潜入して少年を探してもらう」
抑揚のない声は冷たいけれども心地よく響き、男は流れるように仕事内容を伝えてゆく。
昼間だというのに陰った室内には、ぼくと男の他に二人の人物がいた。
小さな砂糖菓子をつまんでいるのはベルベットだ。
赤い糖衣で包まれた焦がしアーモンドを口に運び、片肘を突いた格好で紅茶を飲んでいる。
表面に浮かぶ野薔薇の実を口に含んだかと思えば、弾けた音とともに甘酸っぱい香りが広がった。
滑らかな金色の長い髪には、窓から差し込んだ光が反射している。
金色の睫毛で縁取られた眼はとびきりのスピネル。
彼女の眼はどことはなしに偽物めいた光を帯び、容姿にしろ肢体にしろやはり作り物めいている。
「すでに我々の同輩が動いている。フランネルという男だ。
君達は彼を知らないだろうが、必要があれば向こうから接触するから心配は要らない。
支度は整えてある。指定の時刻になったらルール通り動いてくれたらいい」
カッ、と壁に掛けられたダーツボードにナイフが刺さった。
そちらへ視線を遣れば、ふんぞり返って座るオークがいた。
細身の黒いシャツに汚れたブーツを気にもせず履いている。
脚を組み直しシガレットをくわえた。
黒い衣服を纏った姿はまるで野蛮な狼。
シンフォニーブルーの煙が立ち上ると、
匂いのないそれは甘酸っぱい匂いと打ち消し合うように思えた。
ぼくらに指令を伝える男はディーラー。
彼は、ぼくらの雇い主であるマスターとの連絡役だった。
怜悧で氷の美しさを感じさせる眼でこちらを見据えたから、ぼくは笑顔で返した。
ぼくは彼のことをよく知らない。
けれどマスターは彼に心を許している。だからぼくは彼を信用する。
「水先人(ピロタージュ)、魔女(ウィッチ)、狼(ウルフ)……次は狩人(アーチャー)」
遊戯札をめくりながら呟いた。
ぼくが彼らと仕事を始めて幾つ目かの月が過ぎようとしていた。
背にした窓を振り返れば、アーチ型の窓を枠にそびえる古城が小さく映っている。
今夜の舞台がそこにあった。

凍てついた湖面は氷で覆われている。
太陽が昇れば美しいアイスブルーをたたえる湖は、
夜の帳が下りたこの時刻には闇夜に染まりダークブルーに沈んでいる。
ついさっきベルベットとオークと別れた。ディーラーとはもうずっと前に。
ぼくは外套を羽織って古城へ乗り込んだ。
夜会にはチケットという名の推薦証さえあれば参加することができる。
もちろんぼくのチケットはディーラーが用意した偽造ものだった。
そのチケットで難なく古城へ踏み入り、ショーの会場へ向かった。
門さえくぐれば床に敷かれた青い絨毯が会場まで導いてくれる。
けれど、今はまだショーの催される会場への扉は閉ざされていた。
途中で絨毯の道から外れ、会場前のホールで開会を待つ人々の中へ交じった。
大勢は紳士淑女と称される人々であったが、そうでない連中も目についた。かくいうぼくもね。
この夜会は古城の持ち主であるF公爵が招いた客人達が出席している。
ぼくは華やかな衣装に身を包んだ彼らから少し離れた壁に背を預けると、
すぐさま "Night Series No,9-FANTASY夜シリーズ「九番 幻夜」" に火を点けた。
ホールの表面は鏡面のように滑らかで、透き通った面にものを映し出している。
人の手を入れずとも永久的にこの状態を保つ石だ。靴音も心地よく響く。
この城は、床だけでなく壁面や天井も同じ材質でできている。
取り囲むようにしてある湖とこの材質からF公爵家の古城は『鏡の城』と呼ばれるそうだ。
しかし、本当のところもう一つの噂が人々にそう呼ばせるらしい。
古城のどこかに巨大な姿見があり、そこに鏡の魔族が棲んでいるという。
普段彼らは姿を隠しながらも湖や石の向こうを好き勝手に行き来するが、ふとした瞬間に姿を現す。
その時、姿を見た者を鏡の中に引きずり込み、人に成り代わるのだそうだ。
古城の所有者であるF公爵もそうだとかいう噂がまことしやかに流れている。
だからここは『鏡の城』だそうだ。
シガレットの煙を吐き出した。つまらない噂話だ。
「マスター……」
溜め息とともに吐き出された言葉は、サーカスパープルの煙とともに宙に霧散する。
そういえば、しばらくマスターに会っていない。だからなんだか乗り気がしないんだ。
大好きなぼくのご主人様(マスター)は、
病弱で両脚が不自由であるために領地から一歩も外へ出ることなく暮らしている。
けれどあの温室へ行けばぼくはマスターに会うことができた。
初めて出会ったときも温室だった。お屋敷にある薔薇園の温室だ。
ぼくはその温室でマスターに拾われた。記憶を失くしたぼくは、ディーラーに連れられていた。
そこであの清冽な青い眼を知って、ぼくはマスターに惹かれたんだ。
あの時のことはもうよく覚えていないけれど、ぼくらは約束をした。
約束……どんな約束をしただろうか。
そういえば、例の少年の瞳も鮮やかな青色だった。
青い眼はこの町では特別な色だった。
だからぼくのマスターも特別な存在でないはずがなかった。
うーん、やっぱりよく思い出せない。
とにかく温室へ行けばいつでもマスターに会うことができた。
溜め息を吐き出す。
会いたい。会いたい。会いたい。
「会いたい」
「君は、そのマスターに恋をしているのですか?」
ぼくの独り言に返事をする者がいた。
ゆっくり、閉じていた瞼を開けると、連中の一人がぼくと似た格好で隣に佇んでいた。
学者然とした雰囲気を纏っている。フレイムオレンジの眼に、髪を束ねて編んでいる。
しかし周りの連中に比べて飾り気のないスワローテールを着ていた。
「言葉が、こぼれていましたよ」
「本当だ」
ぼくは自分の唇に触れて、悪戯っぽく指で唇に触れてみせた。
「君も、君のマスターに使わされて来たの?ぼくは、まあそんな訳だけど」
「そんなところです」
「獲物を手に入れたらすぐ退散さ。つまらないよね、まるでいい気なんてしない」
「そうですか?私には君が何だか楽しそうに見えましたよ」
「さあ、どうかな」
うなずきながら相手はいいように解釈したようだった。話を続ける。
「今夜の目玉の品はご存知ですか。
F公爵のコレクションの中でも稀有な "Crystal Coinクリスタルコイン" がお目見えするともっぱらの噂ですよ」
「珍しいものなの?」
ぼくは周りに目を光らせながら、ショーが始まるまでおしゃべりで暇を潰そうと思った。
今この時間も仕事の内だけれど、『彼』と遊ぶのもきっと楽しいだろう。
「"Crystal Coin" は珍しいものです。見た目はヴィオラ色の硬貨ですが、精密な細工物です。
成り立ちや細工の取り扱いはいまだ不明ですが、あの美しさに魅了された者は数知れない」
身を滅ぼした者も、と言葉を添える。
ぼくは相槌を打つ。
夜会には、大人に連れられた年少の者達も交じっている。ちょうど12、3歳のね。
社交界への扉を開いたばかりの少年少女だ。大人同様にきらびやかに着飾って品よくしている。
「F公爵も魅了された一人ではありますが、
彼は他より突出して多くの "Crystal Coin" を所有しています。
成分に毒が含まれていることを解明したのも彼でしたし。
そもそも "Crystal Coin" は古銀貨に紛れていたところを発見されたんです。ほら、あそこ」
指差した先には、一組の男女がいた。男性の方です、と言う。
ぼくは促されるままに指の示す人物を見据えた。
「彼のご先祖にあたる人物が発見したんです。
"Crystal Coin" の関連書物には必ず出てくるツィードという人物です。
そういえば彼のお父上も同名でしたか。伝説的な話ですよね。
それに、"Crystal Coin" の発見者と蒐集家の末裔同士が結ばれたようです。
一緒にいる女性がF公爵のお孫です。どんな経緯があったのか興味深いものです」
最後は微かな笑みを浮かべて締めくくった。
「本当に知らないのですか?」
「知らないね。でも似たものなら知ってる。
ぼくの知っているものはヴィオラの清廉な香りがするんだ。それに甘い。
液状で、手を加えるとコイン型にならなくもない。ああ、そうだ。これだ」
ぼくは男の姿から視線を離すことができなかった。
だから目を逸らさずポケットから探り出したのだけれど、相手は息を飲んだようだった。
その時、開会を報せる鐘が鳴り響いた。
ちょうど、ぼくも少年を見つけたところだった。
男の影からさっと少年が抜け出した。
こちらに背中を向け、入ってきた扉とは別の扉へ駆けてゆく。
少年を追うため足を踏み出したとき、話の相手がぼくの腕をつかんだ。
「なぜあなたが "Crystal Coin" を知らないなんて言うのですか……!
それが "Crystal Coin" そのものですよ!」
「へえ、ぼくらはこれを "Violaヴィオラ" と呼んでいる。君こそ、これを知らない?」
相手は、フレイムオレンジの瞳を揺らすばかりで答えない。
「悪いけど用ができたんだ。君とのおしゃべりも時間切れだ。手を離してほしい」
「駄目です。なぜ、なぜ、」
「なぜって。それなら君はなぜドレスを着ないの?」
女の身で男の衣服を着た『彼』が驚いた拍子に手を払った。
『彼』がぼくの後について来れないことはわかっていた。
だってぼくはピエロだから。ジョーカーともいうのかな。
誰もぼくには敵いやしない。
それに早く行かないと少年を見失ってしまう。

少年を追いながら通信機へ手を伸ばす。
オークのダイヤルに合わせて信号を送る。少年ヲ発見。
通信機のランプが点り、すぐさま了解と返信があった。
それに加えて、今何処ダ。
振り仰げば長い回廊だった。ホールと同質の床はぼくの足音を高く響かせる。
回廊の先は深く暗闇に飲み込まれ、少年の姿は見えない。
ホールからの道順を思い出そうとしたが、あの扉を抜けてそれで?
ひとまず先を駆ける少年の足音は捉えていた。
ふと、遠くに聞こえる足音が変わった。
しばらく走ると、左手に地下へ続く通路を見つけた。足音はそこから聞こえる。
ホールからの実に大雑把な道順をオークに報せた後、ぼくは地下へ足を向けた。
階段を下ると、暗闇に沈んでいた空気が揺さぶられる感覚がした。
まるで暗闇に意思があるかのようだったが、
それがぼくを受容しているのか拒絶しているのかわからなかった。
一段一段下るたびに気が昂ぶった。
手に入れたいものがこの先にあると感じた。
手に入れたいものだって?ぼくに手に入れたいものなんてあっただろうか。
王座を模した椅子が思い浮かんだ。
血にまみれたベッドルーム、鳥籠状の檻、冬薔薇の咲く温室、
眠りを誘う "Sanatoriumサナトリウム"、 "Maisonメゾン" のローズガーデン……
関連の見出せない光景が脳裏に浮かんでは過ぎてゆく。
ぼくの記憶だ。
そして約束の言葉が浮かんだ。
「夢をみせてあげる。君の望んだ世界の夢を――――」

パシャン。

水音が響いた。
階段はそこでお終いになっていた。
足をつけた床はチェス盤のようで、青と白のチェッカー模様の表面は水で覆われていた。
そのせいで足元は水で濡れてしまった。
床から視線を上げれば、その先に少年が立っていた。
青白い顔をこちらに向けているが、目は穿たれた穴のように暗く、何も見てはいなかった。

ぼくの後ろで鏡の割れる音がした。
そうだ すべて おもいだした

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